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異世界くじと神々の塔  作者: 天樹
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誓いと絆

 割と足がガクガクになってるのを隠しながら、係官の人に控え室に案内され、金貨250枚を提出する。いやほんとに気疲れした。フィジカルは強化されていても、メンタルは元のままだからなあ……。


 会場を後にするときにちらっと見まわしたが、フードの男はすでに姿を消していた。失策だっただろうか。しかしどちらにせよ今は彼を追い詰めることはできない。ただの客に過ぎないのだから。尾行くらいはできたかもしれないとも一瞬思ったが、私はこの後、奴隷購入の手続きをしなければならないのだから、どうせそれも無理だったか。


 まあ仕方ない。何もかもうまくはいかない。今は目の前のことを一つずつこなしていこう。これからすぐ、気の重い作業が待っているんだし。


「ラツキ様、おめでとうございます! さすがですな、見事な競りでございました!」


 扉を開けて入ってきたのはメガックさん。そのつるつる頭が紅潮している。いやなぜあなたが興奮してるんですか。まあ、仲介人であるメガックさんの懐にも落札価格のいくらが入るので、高値で売れればそれだけ彼の利益にもなるのだが。

 ……って、それは意地悪すぎる見方かな。もちろん儲かったということもあるだろうが、多少は知り合いである私のために喜んでくれてたりはするかもね。


 メガックさんの後ろから、静かにアンジェリカが入ってくる。緊張の中にも少しだけ笑みがたたえられているように見えるのは私の欲目なのかな。


「では、ラツキ様。間違いなくアンジェリカをお渡しいたします。この後は聖殿においでになって、誓刻の儀式を行っていただければ、正式にラツキ様がアンジェリカの主として聖殿に登録されます」


 メガックさんが言う。誓刻の儀式とは、呪術的な、あるいは魔法的な刻印を奴隷の身体に打つことらしい。ごく小さいものなので外見的な影響はほとんどないが、その刻印を打たれたものは、主に対し積極的あるいは消極的な損害を与えようとすると、例の苦痛が襲うという仕掛け。なお積極的損害とは文字通り自ら明確な敵対行動を取ること、消極的損害とは逃亡、あるいは主の重大な危機を認識しつつ不作為であることだ。


 ちなみに正式な主人づきの奴隷となれば、魔法封じの仮措置は解除されるため、奴隷は他人に対して、必要とあらば魔法その他の攻撃ができるようになる。ただしその責めはすべて主人が負うこととなり、そのために聖殿に奴隷と主人を登録するということになっているのだが。

 

 まあ適当に聞き流す。どうせもう私には関係ないもん。


「その前に、少し、彼女と二人にさせてもらえますか?」

「かしこまりました。ではごゆっくり」


 メガックさんと係員さんが退出し、控室には私とアンジェリカだけが残された。

 メガックさんの店で私と彼女の二人だけが応接室に残された時を思い出すな。


「アンジェリカ」

「は、はい、ラツキ様」

 

 名前を読んでみる。思った以上に声が自分の喉に貼りついた。我ながら緊張しているな。それはしかし彼女も同様のようで、私の変な声には気付かなかったようだが。


「約束通り、あなたを買ったわ」

「はい。あ、あの……よ、よろしくお願いいたします、……ご主人さま」


 ――うわ。

 いきなりそういう極大殲滅鏖殺兵器ぶっ放すのやめてくんないかな! アンジェリカの可憐な声と可愛い口調で「ご主人さま」とか鼻血出るわ!


「ご、ご主人さま、大丈夫ですか!?」


 鼻血とまでは言わないが、リアルで衝撃のあまりうずくまっていた私にアンジェリカが慌てふためいて声をかける。いきなり醜態をさらしてしまった。


「へ、平気よ。ちょっとこう、眩暈しただけ」

「ご、ご無理なさらないでくださいね?」


 案じてくれる彼女の声にようやく立ち直る。

 うん。

 もう、これでいいや。十分だ。

 もう、思い残すことはない。


「――アンジェリカ。これからなんだけど」

「は、はい。聖殿にいらっしゃるんですよね」

「そうよ。聖殿に行って、そして……」


 私は小さく息をつく。

 ちょっと眼の奥が熱くなるけど、自分で決めたことだ。今更惑うな。




「あなたを、奴隷から解放するわ。それで、お別れ」




「……えっ……?」



 アンジェリカの表情が固まる。

 これが、私の出した結論だ。

 私はアンジェリカを奴隷にはしない。


 結局、私は、私の中の葛藤を乗り越えられなかったのだ。

 それは、単に奴隷売買をするという行為の倫理的問題というだけではない。もちろんそれもあるが、より根本的な、そして本質的な要因はもっと個人的なところにある。


 ――私はどうしても、自分の性的指向を、主従という立場を利用して無垢な少女に強制することはできなかったのである。

 女性を愛する女性を受け入れろ、とは。

 私の中にあるそれは、とても大切なものだから。

 だからこそ他の人に、無理に押し付けることはできない。

 相手に対してだけではなく、私自身に対しても、それはきっと裏切りなのだ。決して侵してはならないものへの冒涜なのだ。

 

 奴隷にだけして、ずっと側に置いて、それでも愛さなければいいといわれるのかもしれない。だが、そんな苦痛を、苦悩を、あえて甘受しなければならないのか。私がそこまで自分を犠牲に……いや、自分を否定しなければならない理由がどこにあるのか。このように生まれたことが罪だからその罰だとでも?

 ――そんな罪、受け入れてたまるか。


 ああ、まったく。

 私のような人間は、人より一つハードルが多いんだ。

 男女の間でさえも想いが成就することなど至難だというのに、私のような人間はさらにもう一段の壁がある。余計に辛さを味わわなければならないもう一つの嘆きの壁が。

 ずるいよね。何かもう、泣きそうだよ。


 ……だから、私はアンジェリカを奴隷にはしない。側には置かない。かつて私自身がはっきり認めたのだ――「アンジェリカを買ったなら愛さずにはいられない」と。そしてそれが嫌ならば、奴隷にしておくことはできない。


 ならばなぜ無理をしてまで彼女を一度は買ったのかと言えば。

 ――馬鹿だからだ。そう一言言ってしまえばそれで終わる。

 この少女のために何かできないかとそう思っただけだ。

 それが何の意味もない自己満足以下の行為だと誰よりも私自身がわかった上で。

 彼女を自由にしたかった。それだけの、本当につまらない理由だ。

 だから、フードの男も、このあと私が一人でカタをつける。それも私が勝手にやることだ。


「どうして……ですか……?」


 アンジェリカが凍った表情のまま、震える声を絞り出す。


「私がそうしたいから。それだけよ」

「――だって!」


 彼女の大きな声を初めて聞いた。


 えっと。怒って……いる?

 あれ? 何か思ってた流れと違う。え、だってアンジェリカを奴隷にするんじゃなくて、自由民にするって言ってるのに、……あれ?


「だって、あんなに一生懸命になってくださったのに。ご主人さまは私をお求めではないのですか? ……私をお望みではないのですか」

「わ、私はあなたの主人にはならないわ。だからその呼び方は正しくない」


 動揺しながら私も必死だ。何故こうなっているのかよくわからない。


「『ご主人さま』が!」


 私の否定に構わずアンジェリカは言い募る。結構強情だこの子。


「あのように仰られたから……だから私は、考えて、そして、お待ちすることにしたんです。ご主人さまが私を買って下さる日を」

「アンジェリカ、聞いて。私は、そうしたくないの。私の、……えっと、その、私の感情を、あなたに無理に……」

「無理にじゃありません!」


 ぴしゃりと言い放たれる。優しい顔に似合わぬその気迫に、私は思わずたじろいだ。


「私は、……私は。ご主人さまの、そのお気持ちを、無理強いされているなんて思いません」

「待ってアンジェリカ。私をそんなに気遣ってくれなくていい。ほんとにいいのよ」

 

 怯える。

 どうして。

 私頑張ったのに。頑張ってあきらめたのに。勇気出してあきらめたのに。

 それなのにどうしてそんなこと言うの。


「私がよくありません! ……私は。私自身が。私が自分で考えて、それで」


 アンジェリカの声は静かに強く溢れて。

 私を壊す。


「――私が、ご主人さまのお側に置いて頂きたいんです!」


 やめて。お願いだからやめて。

 そんなすがりたくなる言葉を。

 そんな望みたくなる言葉を口にしないで。

 ……もう、いじめないでよ……。



「ご主人さまに……私の心をお見せできればいいのに」



 ぽつりとつぶやいたアンジェリカに、いつかうなだれていた私は思わずはっとして顔を上げる。

 ダメだ。その言葉はダメだ。

 それを言ってしまったら、条件が満たされてしまう。

 自分の心を見せてもいいと。その意思を示してしまったら。

 私のスキルが――使えてしまう。

 『パーソナル・リサーチ』が。


 見てはいけない。でも見てしまいたいという欲求に逆らえない。

 見たらきっと後悔するのに。

 彼女の思いは私のそれと同じではないと知って傷つくのに。

 それなのに。それでも。

 ――それでも。

 彼女の心が、私の中に、流れてくる……。





 何故、いつも泣いているのでしょうか。

 この、美しい人は。

 黒い髪と黒い瞳の。美しくて強いこの人は。


 初めてお会いした時も。

 その後二人になった時も。

 そして今、この瞬間も。

 この方はいつも、泣いています。

 私が、泣かせているのでしょうか。

 

 ああ、それでも。それでもこの方は、私の顔を見ると、微笑んでくれました。嬉しそうに、そして恥ずかしそうに。

 御自分の中にある重たい何かを抱えて、子供のように泣いているこの方が、子供のように照れてくださる姿がとても微笑ましくて。

 こんなに強くて、そして少しだけ怖いのに、この方はきっと、本当はとても可愛らしい方なのだと。

 私には、そう思えたのです。

 それがとても、嬉しかったのです。


 だからこの方に、もう泣かないでと。

 だからこの方に、その可愛らしい姿をもっと見せて下さいと。

 そう、お伝えしたくてたまらない。

 こんな気持ちは初めてだから、何と呼ぶものなのかは分かりません。

 あの方のお気持ちとは違うものなのかもしれません。

 あの方のものほど深く尊い気持ちではなく、もっと幼くて、もっと曖昧で、もっと未熟な気持ちなのかもしれません。


 でも、同じでなければいけないのでしょうか。

 私があの方に、微笑んで欲しいと思う気持ちは本当なのに。

 ――ラツキ様に、幸せになっていただきたいと思う気持ちは本当なのに。

 だから、お側に、置いてくださいますか。

 ラツキ様。





 ――そういうのはさ。

 ずるいよ。

 もう、否定できなくなっちゃうじゃない。


 確かに、アンジェリカ自身が考えていることは事実だ。彼女の気持ちは、愛や恋などというものではない。ただの憧れ。思春期時代に、少し素敵な同性の先輩に対して抱くほのかな憧憬に過ぎない。彼女の中にあるのは、ただキラキラと輝いて美しい部分だけで、人の、人へ対する想いの、苦しく辛く重く汚く醜い部分を知らない。


 だが。

 結局のところ、それは些事だ。

 一番大切なものはそこにはない。

 そんなシンプルな事にようやく気付いた。気付けた。彼女のおかげで。


 私は自分でも思いがけない笑みを浮かべた。苦笑とも微笑ともつかない笑みを。

 そっと、アンジェリカの滑らかな頬に触れる。


「アンジェリカ」

「はい」



「わかったわ。幸せにしてあげるから、覚悟しなさい」


 

 そう、結局は。端的に、私がこの子を幸せにしてあげればいいだけだ。どんな形でも、どんな関係でも、そこに行きつけば何の問題もない。

 強引な開き直り、ではあるが。唯一にして最適の解、でもあるはずだ。

 少なくとも、私とアンジェリカにとっては。



「いいえ、ご主人さま。だって、私だけが幸せでは、私は幸せではありませんもの。ご主人さまもお幸せでなければ」



 百万の薔薇が咲きこぼれるように、艶やかに華やかに、そして清らかに笑う少女。

 ……あー、もう、ダメだわ。

 私は、この子に、勝てない。

 そう悟った瞬間だった。


「……もう!」


 悔し紛れに抱きしめてやる。参ったか。


「きゃ」


 小さな悲鳴を上げるアンジェリカに、顔を寄せて。でも、耳元でもう一度ささやいてみる。


「ねえ、もうあなたとお別れするとは言わないわ。でもせめて、自由民にならない? そこから改めてまた……」

「だ・め・です」


 技の出かかりをキャンセルで潰された。


「だってそうなったら、私とご主人さまを結び付けるものがなくなってしまいます。形のある何かを欲しいと思っては、いけませんか?」


 あれ、もしかしてこれ。

 私の方が拘束されつつあるのでしょうか。

 むー。なんかどんどんドツボだぞ。そしてそれが嬉しいと思ってる私はきっともう手遅れだ。


「……いけない子ね」

「いけない子は、お嫌いですか?」


 くすりと笑うアンジェリカ。


「嫌いな子には、こんなこと、しないわ」


 彼女の顎の下に、軽く指を当てて。

 ふわりと羽が舞うように、アンジェリカの顔が私の間近にある。

 彼女の黄金の睫毛が揺れて、瞳に陰を落とした。小さな吐息、それさえもう私に届くほど。

 潤う唇が何か物言いたげに微かに動く。だが、自由には、させない。

 ――その唇はもう、私だけのためにある。




「……いやじゃ、なかった?」


 我ながらムードの欠片もない言葉ではあるが。NGだろそれって言われる代表的な言葉ではあるが。でも気になるものは気になるんだもの。頭で考えていたのと、実際に――唇が触れ合ったのとでは、感覚が異なるかもしれないと。


 しかしアンジェリカは、恥ずかしそうにうつむきながらも、頬を染めて、微笑した。


「いやだったら、こんな顔、しません。……でも」


 ちろり、と、赤い舌で微かに唇を湿す。うつむいたまま、上目遣いで彼女は言った。


「私、その、そういうこと、全然知らないので。……だからあの、色々、教えてくださいね?」



 ――だからそういう極大殲滅鏖殺兵器ぶっ放すのやめてくんないかな。


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