第185話 何言ったって、本当かはわからないんだから
ブレアは小さくなっていたことを覚えているのだろうか。
無断でかけてしまったし、やはり怒られるだろうか。
「――ぅぅん……。」
等と1人で考えていると、ブレアが小さく唸った。
もぞもぞと布団の中で動き、そのまま身体を起こす。
「え、早!?おはようございます先輩!」
10分も寝ていないからか、ブレアはいつにもまして眠そうだ。
重い身体を起こしたと思えば、虚ろな目でルークを見つめている。
「えーと、先輩……?」
暫くそのまま動かないので、心配になったルークが控えめに声をかける。
「……あ、ルーク……。」
すぐ傍まで近づくと、ようやくアメシストの目がルークを捉えた。
「え、名――はい、ルークです!おはようございます!」
「おはよ。……僕、さっき――。」
嬉しそうに目を輝かせるルークを、ブレアは呆然と見つめている。
魔法の影響で気が動転しているのだろうか。
一連の出来事を教えるべきかわからないままにルークが黙っていると――突然、ブレアの目からぽろぽろと涙が零れだした。
「えっ!?先輩!?大丈夫ですか……?何で泣いて……え?」
静かに涙を流すブレアを見て、ルークは混乱したように慌てだす。
ブレアの泣き顔なんて久しぶりに見た。
「先輩……?何か嫌なことでもありましたか?すみません……。わぇっ、先輩!?」
おろおろとしながらもとりあえず謝るが、ブレアはルークの言葉を聞いているのだろうか。
何の反応も示さないと思えば、突然両手が伸びてきた。
ぎゅっとルークのシャツを掴み、顔を埋めるように抱き着いてくる。
「どうしたんですか……?」
ドキッと跳ねた鼓動が煩いが、それよりも心配が勝つ。
ブレアの顔が見えなくとも、明らかに取り乱しているのはわかった。
「待って、ダメ、違うの。嫌だ……!」
うわごとのように呟いたブレアは、ゆっくりと顔を上げる。
涙で塗れた顔は、まるで幼い頃の姿のように幼く見えた。
「――しよう、」
「え?何ですか?」
小さく動いた口からの音を聞き取れず、ルークは遠慮がちに聞き返す。
更に手の力を強めたブレアは、叫ぶように言った。
「――結婚しよ、お願い!」
更にブレアの顔が近づき、ルークは唖然として固まってしまう。
「……え、えええぇぇぇぇ!?」
ようやく発した声は言葉を紡げない、間抜けな音だった。
「さっき言ったでしょ……?僕が大人になったら結婚してって。」
「い、言いましたけど……。」
「いいよ。」
ルークが気まずそうに顔を逸らすと、ブレアはぐいとその向きを直した。
しっかりと視線を合わせ、縋るようにじっと見つめてくる。
「いいから。君が大人になるの待ってるから……。」
涙を流してながら言うブレアの声は、弱々しく震えている。
声だけでなく、その身体も。
少しでもましになるのではないか、と、ルークは華奢な肩に触れようとする。
――が、手は言う事を聞かず、ぴくりとも動かなかった。
まるで何かに固く縛られているかのように、手も足も動けない。
気が付いた途端、急に身体が重く感じられた。
「だから、結婚して……?」
いつか味わった感覚。
ブレアの瞳を見ると、考えるまでもなくピンときてしまった。
涙の溜まった紫色の瞳の中に色を持った小さな光が渦巻いていた。
白く染まった瞳孔が不規則に動き、歪められた表情をぐらつかせている。
「ね、お願い。約束して。」
自身の異常に気が付いていないかのように、ブレアは変わらず震える言葉を続ける。
すーっと深呼吸をして、ルークは一度目を閉じた。
大きく音を立てる心臓も、ブレアの少し荒れた息使いも聞こえないフリをして魔力の流れに意識を向ける。
魔力の流れる感覚、というのはまだよくわからない。
しかしブレアが言うことを思い出すと……魔力がかなり減っている状態。だが、完全に枯れているわけではないのだと思う。多分。
「先輩――。」
その証拠に――ゆっくりと、氷が溶けだすように身動きが取れるようになった。
今度こそ伸ばした手で、優しくブレアの頬に触れる。
「――大丈夫、ですか……?」
口をついたのは、返事でもなんでもない、誰にでも言えるような言葉だった。
それでもブレアは目を丸くして、一瞬涙が止まる。
触れた肌の温度が、ゆっくりと共有される感触がして――ブレアは堪えきれなくなったように、再び涙を流した。
先程より大粒の涙が、ぽろぽろととめどなく零れていく。
「大丈夫……じゃない。大丈夫なわけ、ないでしょ?……大丈夫なわけないよ!だって僕……僕……嫌ぁぁぁ!」
悲痛な叫び声をあげて、ブレアは倒れ込むようにルークに抱き着いた。
顔を隠すように埋め、子供のように声をあげて泣いている。
落ち着いてください、なんて声をかけようとして開いた口を、ルークはそのまま無言で閉じた。
離しかけたブレアを抱き留める手に、もう一度力を込める。
何分くらいの間、そうしていたのだろうか。
気が済んだのか疲れてしまったのか、ブレアの声が次第に小さくなっていく。
それでも震えの収まらない肩に触れようか迷っている間に、弱々しい言葉が聞こえた。
「……やっぱりいい。何言ったって、本当かはわからないんだから。」
ぐいと手で涙を拭ったブレアは、ゆっくりとルークから離れる。
代わりに少し冷たい空気が入ってきて、なんとも言えない寂しさを加速させた。
「ごめん、もういいよ。」
「もう大丈夫ですか?」
どこか素っ気ない言い方に、ルークは不安そうに問う。
そっと自分の腕を撫でたブレアは、小さく首を横に振った。
「怖いんだ。君を傷つけるかもしれないのも……君がいなくなるかもしれないのも。」
「俺は――」
「いらない、そういうの。」
ルークが否定しようとすると、ブレアは大きな溜息を吐いた。
傷つかないし、いなくならない。とは言わせてはくれないようだ。
長い息を吐ききったブレアは、ぽつりと呟いた。
「……君と、会わなければよかったのに。最初から。」
「え……。」
「もう寝る。おやすみ」
ルークが聞き返す暇もなく、ブレアは逃げるようにベッドに潜ってしまう。
制服のまま寝ないでください、と注意する余裕もない。
――会わなければよかった。
ブレアが何故そんなことを言ったのか、ルークには全くわからない。
理由も、返す言葉もわからなくて……ただただ、悲しかった。




