8.レイシーとの出会い
調べた限りでは、レイシーはセシルの住んでいた地域に行ったことがないし、セシルが死んでから生まれているのでセシルとの接点もない。
青い蔦模様の刺繍の仕方も完璧に同じなのに、玉留めのデザインまで全く同じ。
それなのに、レイシーとセシルの接点が全く見つけられない。
これは本当にレイシーはセシルの生まれ変わりなのではないだろうか。
そうでないとしても、レイシーとセシルには何か神秘的な共通点がある。
レイシーのことを調べつつも、レイシーの婚約者のことを調べると、その素行の悪さが目についた。
レイシーがいながら、他の相手と付き合うようなことをするし、レイシーのことを嘲ったり、馬鹿にしたりする言動が多いというのだ。なにより、レイシーが学園に入学以来首席を保っているのに、婚約者のレナン・ドルベルは成績は下から数えた方が早くて、退学寸前ということまで分かった。
レイシーがどんな令嬢であるにせよ、セシルと少しでも似ているのであれば、レナンのような婚約者は相応しくない。
レイシーとわたしがどんな関係になりたいのか、まだわたしには答えが出せていないが、レイシーと顔を会わせれば、それも分かるだろう。
それまでに打てる手は打っておきたかった。
レイシーとレナンは別れさせる。
皇帝に恩のあるディアン家の令嬢が、馬鹿にするような婚約者と結婚していいはずがない。
レイシーとわたしがどうにもならなかったとしても、レイシーにはもっといい相手を考えてやりたいと、わたしは思っていた。
その時点で、わたしはレイシーのことをかなり特別に考えるようになっていた。
二十五歳のとき、レイシーのデビュタントの日が来た。
貴族は十五歳になると直々に皇帝に挨拶をして、デビュタントで社交界デビューを果たすのだが、貴族の数が多いので、毎年十五歳になる子息令嬢は十数人いる。
その一人一人が挨拶をするので長くなってしまわないように、挨拶には手順が決められていた。
皇后がいない場合には、皇太后が皇帝に貴族の子息令嬢を紹介し、紹介された子息は膝をついて、令嬢はカーテシーで挨拶をする。
一人に対する所要時間は三十秒から一分ほど。
その時間でわたしはレイシーを見極めなければいけない。
挨拶をする場所も、わたしは壇上に座っていて、子息令嬢は壇の下から離れて行うので、きちんと見定められるか不安はあった。
それでも、セシルはわたしの運命だった。レイシーがわたしの運命ならばどれだけ離れていたとしても一目で分かる自信があった。
デビュタントの日、わたしは壇上の玉座に座って、母が玉座の横に立っていた。
身分の順に挨拶をするので、子爵家のレイシーは最後の方だった。
「ディアン子爵家の令嬢、レイシーです」
母がレイシーを紹介したとき、地味なドレスを着た少女が前に出た。
黒い長い髪、紫色の目。
その顔立ちはどこかセシルと似ている。
「皇帝陛下にご挨拶申し上げます。レイシー・ディアンです。皇帝陛下におきましてはご機嫌麗しく」
形式上の挨拶を述べてカーテシーをするレイシーから目を離せなかった。
レイシーの声はわたしがこの十九年、ずっと聞きたかったものだったのだ。
レイシーの声はセシルの声と全く同じだった。
レイシーはセシルの生まれ変わりに違いない。
わたしはレイシーに運命を感じた。
生まれ変わりなどという非科学的なことが信じれらなくても、レイシーはわたしの運命だと強く感じた。
レイシーを手に入れよう。
短い邂逅を終えて下がっていくレイシーから視線を反らせずに、わたしはずっとレイシーのことばかり考えていた。
デビュタントが終わって、レイシーを確かめてから、わたしが始めにしたのは、レイシーと婚約者のレナンを別れさせることだった。
皇帝として圧力をかけてもよかったが、それではレイシーの立場が悪くなってしまうかもしれないし、皇帝としての権力を使って召し上げられたと彼女に思われたくなかった。
レナンの行動を探って、エミリー・モローという裕福な商家の平民女性と付き合っていることを突き止めて、二人の仲が深まるようにひとを使ってこっそりと手を回した。
エミリーの方には、モロー家の使用人を買収して、レイシーを排除すればレナンと結婚できるかもしれないということを吹き込ませて、レナンの方にはドルベル家の使用人を買収してエミリーが結婚したがっていることを吹き込んでいく。
レナンはエミリーにのめり込んでいくし、エミリーはレナンと結婚するためにレイシーとレナンが別れてくれるように頼むようになるだろう。
陰でそんなことをしつつも、わたしはレイシーが少しでも楽になるように、レイシーの売りに出している品物は全て買い占めさせていた。
身分を隠しているが、大貴族が買い占めているというので、店はレイシーの刺繍したものに高値を付けるようになった。その分レイシーにも報酬が高く支払われるようになったようだった。
レイシーの刺繍したハンカチや小物や布を買い占めて、わたしは全て大事に取っておいた。ハンカチは常に持ち歩いて、汚さないように気をつけつつも使っている。
その他の小物や布は、セシルの思い出の服と共に鍵のかかる箪笥に入れて大事にしまっておいた。
レイシーのハンカチの玉留めの部分を見るたびに、わたしは胸が温かくなるのを感じる。
相変わらずわたしの表情は凍り付いていたし、食事の味は分からなかったが、レイシーの刺繍したものを手に取ったときだけはわたしは感情が生き返るのを感じていた。
わたしがレイシーに心を傾けているのを、母は気付いていた。
反対するどころか、母は大歓迎している様子だった。
「皇帝陛下が妃をお迎えになるかもしれない。皇帝陛下に家族ができるかもしれない」
喜んでいる母よりも、わたしの方がずっと浮かれていただろう。
次にレイシーに会えるのは、レイシーが学園を卒業するとき。
学園の卒業パーティーには成人した貴族の門出を祝うために、皇帝も出席することになっていた。
レイシーのことを知ってから六年。デビュタントでレイシー本人を確認して、運命だと悟ってから三年。
ひたすらに執務に身を投げ打って、時間が過ぎるのを待った。
レイシーが成人して学園を卒業した暁には、必ずレイシーとレナンを別れさせて、わたしとレイシーが婚約をする。
レイシーがセシルの生まれ変わりかどうかなんて、もうどうでもよくなっていた。
レイシーとセシルには共通点があるし、何よりも、わたしはレイシー本人を見て自分の運命だと感じた。
これは覆すことができないことだ。
レイシー・ディアンを手に入れる。
そのためならば、わたしはなんでもできる気がしていた。
レイシーの卒業パーティーの夜、わたしは皇宮から馬車で卒業パーティー会場である学園の講堂に向かった。
レイシーの姿を見つけ、遠くから様子をうかがっていると、エミリーを連れたレナンがレイシーに近付いて来ていた。卒業パーティーでは好きな相手をパートナーにして出席するのだが、レナンはレイシーを誘わなかったようだ。レナンが誘ったのはエミリーだった。
レイシーの隣には、金髪の少女がいる。恐らく、レイシーの妹のソフィアだろう。レイシーとよく似たデザインのドレスを着ている。わたしにはそれがレイシーの手作りであることが分かる。
セシルと同じように、レイシーは自分と妹のドレスも縫っているのだろう。
ドルベル家の使用人とモロー家の使用人に手を回して、吹き込んでいたことが現実となる。
わたしは静かに、レイシーとソフィアとレナンとエミリーのもとに近付いていた。
「レナン殿はお姉様の婚約者だと思っておりましたが、その方はどなたですか?」
沈黙を破ったのはソフィアだった。
冷静だがレナンを責める口調で問いかけている。
「これはこれは、ソフィア嬢、レイシー嬢、ご紹介が遅れましたね。彼女はエミリー・モロー。モロー商会のご令嬢ですよ」
悪びれることなく堂々と答えるレナンに、ソフィアとレイシーが眉をひそめているのが分かる。
「ディアン子爵家に婿入りしたら、レナン様は御苦労なさるでしょう? それで、賢明な判断をなさいましたの」
「どういう意味ですか?」
「レイシー嬢との婚約を破棄して、わたくしと結婚するんです」
「何を言っているか分かっているのですか? あなたはディアン子爵家を侮辱しているのですよ?」
「貧乏子爵家ごとき、わたくしには怖くもなんともありませんわ。ねぇ、レナン様もそうですわよね?」
責めるソフィアに、エミリーは堂々と告げている。これはわたしの思った通りの展開になりそうだ。
「レナン殿、わたくしとの婚約は破棄したいとそういうことですね?」
それに対するレイシーの態度は冷静なものだった。むしろ、その声には喜びまで含まれている気がする。
レイシーもやはりレナンとの婚約が嫌だったのだろう。
「ディアン子爵家は一昔前までなら皇帝一族に恩を売った素晴らしい家柄だったかもしれませんが、今はドレスの一枚も誂える資金がないのでしょう? そのドレスも素晴らしい出来ですが、レイシー嬢のお手製と思うと」
「あら、素敵なご趣味ではないですか。ぜひわたくしの結婚衣装も作ってほしいものですわ」
レイシーを嘲笑う声にも、レイシーは動揺していなかった。
「婚約破棄に関しては、両親に申し出てください。慰謝料をしっかりといただきます」
声をかけるならば今だ。
わたしはすかさずレイシーに声をかけた。
「婚約を破棄されたのならば、レイシー・ディアンにわたしが求婚することも許されるな?」
驚いた表情でわたしを振り返ったレイシーの紫色の瞳と目が合う。セシルとよく似た容貌で、声は全く同じ。
わたしは弾む心を抑えきれなかった。
レイシーの前に歩み出ると、ソフィアもレナンもエミリーも周囲の貴族たちも水を打ったかのように静まり、膝をついて深々と頭を下げる。
状況がよく分かっていないレイシーが動きが少し遅れた。
「皇帝陛下……」
気付いたのか急いで膝をつこうとするレイシーの手を取って、わたしはそれを許さなかった。
「わたしはアレクサンテリ・ルクセリオン、ご存じの通り、この国の皇帝だ」
「あの、手を……」
「レイシーは婚約を破棄されて婚約者がいなくなったのだな?」
「は、はい」
「それでは、わたしと結婚してくれないか?」
レイシーに求婚すると、レイシーの紫色の目が見開かれる。
「側妃になれ、ということですか?」
怒りのこもった低い声で頭を下げたままソフィアが言うのに、わたしはそうではないと否定する。
「わたしは側妃は持つつもりはない」
「それでは、妾ですか?」
「皇后になってほしいと言っているつもりだが?」
レイシーがわたしの前にいる。
わたしはレイシーの手を握っている。
レイシーの手はセシルの手を思い出させる暖かさだった。
皇帝宮の寝室に入り込んできた薄着の女性には触られただけで吐いてしまったのに、レイシーにはもっと触っていたいと思ってしまう。
「わたくしが、皇后? 誰か違う方とお間違いでは?」
「レイシー・ディアン、あなたがいいのだ」
レイシーにわたしは自分の気持ちを告げた。
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