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そのご寵愛、理由が分かりません  作者: 秋月真鳥
アレクサンテリ視点
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7.希望の光

 セシルの夢を叶えることもできないまま、皇帝として議会を通った議題に目を通し、そのまま通していいものはサインをして、通してはいけないものは再会議にかけるように戻す。

 それだけの日々が続いていた。

 執務以外することがないから、わたしは執務にのめり込んでいた。

 無理やりに生きるためだけに食事をするときと、睡眠薬で強制的に眠るとき以外は、執務のことだけ考えていた。

 そうすれば生きていけたし、死にたいとも思わなくなっていた。

 死にたいと思うことにもエネルギーが必要なのだとわたしは知った。

 わたしの表情も感情も完全に凍り付いていて、もう二度と溶けないのではないかと思っていた。


 生きることがつらいとも思わない。

 もう何をしても何も感じなくなっていたし、義務だけ果たせばわたしは生きながらにして死んでいるような生活でも構わないと考えるようになっていた。


 セシルのことはずっと心のどこかにあった。

 けれど、思い出すたびにつらくて苦しくて、生きていけなくなるので、そこにも蓋をした。


 誰かがわたしを暗殺してくれればいいのにと思うと同時に、それをされてしまってはセシルの救ってくれた命を無駄にしてしまうという考えがよぎって、結局生きてしまう。

 だから、わたしは何もかもを諦めて、ただ皇帝としての仕事をするだけの機械のように心は虚ろなままに生きていた。


 そこに希望の光が差し込んだのは、二十二歳のときだった。


 母がわたしの執務室を訪ねてきたのだ。

 わたしの寝室に薄着の女性を入れた疑惑が解けていない母に対して、わたしはずっと不信感を抱いていたので、皇帝宮には絶対に入れなかった。自分から会うこともしなかった。母とはここ四年、まともに顔を会わせていなかったかもしれない。


 母は少し痩せたようだった。

 それでも変わらず美しいのは、皇太后宮で侍女たちが必死に世話をしているからだろう。


「皇帝陛下に献上したいものがあります」

「なんですか。今は執務中です、後にしてもらえませんか?」

「とても大事なものなのです」


 はっきりと拒否しても退かない母に、諦めて何か問いかけると、母は一枚のハンカチをわたしに差し出してきた。

 そこにはわたしをずっと生かし続けてきた青い蔦模様の刺繍があった。

 絶対に違うと分かっていながらも、わたしはそれを手に取ってしまった。


 セシルが一針一針刺繍したのと同じ図案、同じ形。色は若干違ったが、わたしが注目したのはそこではない。

 玉留めの位置だ。


 セシルがわたしと暮らしていたとき、わたしはセシルが刺繍をする手元を見ているのが好きだった。セシルはわたしが見ていると、わたしに縫物のことを教えてくれた。


「縫い終わった最後は玉留めをするの。それが表に見えていない方がきれいだから、本当は裏側に玉留めをするの」

「おねえちゃんは、どうして、表に玉どめをするの?」

「ガーネくんはまだとても小さいでしょう? 裏に玉留めをしたら、ガサガサして気になるかもしれない。ガーネくんのお肌に傷がついたりしないように、表に玉留めをして、それもデザインにしてしまうのよ」


 刺繍をする手を止めてわたしに話しかけるセシルに聞いてみると、セシルはわたしのために玉留めを表にしてくれていた。


「ぼくのために、玉どめを表にしてくれてるの?」

「そうよ。小さい子の服は着やすいのが一番だからね」


 優しいセシルの配慮に感謝しながら、セシルの玉留めを見ると、表に出しているが、その周囲を小さな星のようなデザインにして玉留めが目立たないようにしているのだ。セシルがわたしのために作ってくれた服に入っている刺繍は全部玉留めが表に出ていて、その周囲に小さな星のような模様が刺繍されていて、玉留めを気付かせないようにする工夫がされていた。


「これだね、玉どめ」

「そうよ。表にあったら肌にあたらないでしょう?」

「うん! ありがとう、おねえちゃん」


 セシルの刺繍してくれた布を指で突くと、セシルが微笑んでくれた。


 母が持ってきたハンカチ。

 その玉留めは表になっていて、小さな星のような模様が刺繍されていた。


 生まれ変わりなどないと確信していた。

 そんなものがあったら、ひとが死んだときにひとはこれほど悲しむことはない。

 けれど、あまりにもそのハンカチの刺繍がセシルのものと同じで、わたしは立ち上がって、ユリウス、シリル、テオに命じていた。


「このハンカチの出所を探れ! 誰が縫ったのかを調べろ! 今すぐにだ!」


 今皇宮にいる中で、母だけがわたしの六歳のときに着ていたセシルの作った服の青い蔦模様の刺繍を知っている。

 この青い蔦模様が、セシルの住んでいた地域に伝わる伝統的な図案で、厄除けの意味があると聞いたのはセシルからだった。この模様自体はあの地域では珍しいものではなかったが、この玉留めは違う。

 玉留めを表に出して、小さな星のように飾ってデザインにしてしまっているのは、セシルだけがやっていたことだ。

 セシルは生きていたのだろうか。

 わたしは兵士がセシルが「こと切れている」と言ったのを聞いただけで、後はセシルから引き離されてしまった。

 もしかするとあの後奇跡的にセシルは息を吹き返したのかもしれない。

 セシルが生きているかもしれない。


 希望の光が胸に灯るのをわたしは止められなかった。

 セシルが生きていたら、あのときの傷のせいで長く働けなかったかもしれない。結婚もしていないかもしれない。

 セシルに会いたい。

 セシルともう一度話したい。


 しかし、調べに行ったユリウス、シリル、テオが仕入れてきた情報は、残酷なものだった。


「その刺繍は、ディアン子爵家の令嬢がしたもののようです」

「ディアン子爵家は貧しくて、刺繍したものを売らないと帝都の学園で生活できないようで」

「令嬢は十二歳で、レイシーという名前のようです」


 セシルではなかった。

 セシルと全く同じ刺繍をしていて、玉留めの方法まで同じなのに、セシルではなかった。

 落胆したが、わたしはもう一つの可能性を考えていた。


 レイシーはセシルの生まれ変わりなのではないだろうか。

 生まれ変わりなど信じていなかったが、そうでなければ考えられないことが起きている。

 あの青い蔦模様はセシルの住んでいた地方に伝わる伝統的な図案なので、それは誰でも刺繍できるかもしれないが、あの玉留めの仕方はセシルしかしないと分かっている。


 レイシー・ディアン。

 どのような令嬢なのだろう。


 これまで貴族の令嬢に興味など持ったことはなかった。

 けれど今は知りたくてたまらない。


「レイシー・ディアンとはどのような令嬢なのだ?」

「ディアン家は元々、数代前まで商家でした。四代前の皇帝陛下の御代に、国が荒れて国庫が危機に瀕したとき、ディアン家は私財を投げ打って国を救ってくれました」

「そのときに伯爵位を授けると四代前の皇帝陛下はディアン家に申し出たようなのですが、ディアン家はどうしても断って、将来国が豊かになったらお金だけ返せばいいと言ったようです。それでも、皇帝陛下はディアン家を子爵家になさいました」

「四代前の皇帝陛下に恩義のある由緒正しい家柄なのですが、最近はすっかりと困窮しているようです」


 ディアン子爵家のことは分かったが、レイシーのことが分かっていない。

 わたしが聞きたいのはレイシーのことだった。


「レイシー・ディアンのことを聞いている」

「ディアン家の後継者で、男爵家の次男と婚約しているとか」

「学園の成績は優秀で首席で入学して、一年の試験でも常に首席を取っていると聞いています」

「年齢は十二歳で、刺繍が得意な令嬢のようです」


 十二歳。

 わたしの十歳年下だ。

 婚約者がいるということは、わたしが何かできることはない。

 それでも、わたしはレイシーに近付きたかった。

 レイシーの顔を見て、言葉を交わしてみたかった。


 しかし、婚約者のいる令嬢を皇帝であるわたしが召し上げることはできない。権力を使って無理やりわたしの前に連れてくることはできなくはないのだが、セシルのことを思い出すとそのようなことはしたくなかった。

 レイシーと会うことができないだろうか。

 本気で考え始めたわたしに、助言してくれたのはユリウスだった。


「貴族は十五歳になるとデビュタントで皇帝陛下にご挨拶を致します。そのときに、レイシー嬢とお会いできるのではないでしょうか」

「そうか。レイシーと会えるのか」


 レイシーが十五歳になるまで後三年。

 セシルが死んでから十六年もわたしは孤独と苦しみの中で生きてきたのだ。

 それが三年伸びたところで何が変わるだろう。


 それはそれとして、レイシーに関する情報は集めておきたい。

 レイシーの婚約者に関してもだ。


 もしも、ほんの少しでもレイシーとセシルに接点があったのだったら、わたしは自分を止められる気がしない。

 レイシーを手に入れることしか考えられなくなってしまうだろう。


 レイシー・ディアン。

 彼女の作ったハンカチは、わたしの希望の光になった。

読んでいただきありがとうございました。

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