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そのご寵愛、理由が分かりません  作者: 秋月真鳥
三章 ご寵愛の末に
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24.胎動

 わたくしがそれを感じたのは年明けのパーティーでのことだった。

 体調も安定していたので、アレク様もわたくしが妊娠してから香水をつけることはなくなっていたが、わたくしが匂いで気分が悪くなったりしないように、香水をつけることは全面的に禁止して、新年のパーティーは行われた。

 妊娠してから匂いに敏感になっていたので、香水が禁止されたのはありがたかった。

 パーティー会場でもわたくしとアレク様は皇帝陛下と皇后の椅子に座って、動くことはなかった。


 わたくしが果実水を飲みながら椅子に座っていると、お腹がぽこんと内側から叩かれたような感覚があった。


「あ!」


 思わず声を上げたわたくしに、アレク様が心配そうに視線を向けてくる。


「レイシー、体調が悪くなったか?」

「いえ、アレクサンテリ様、その……お耳をよろしいですか?」

「なにかな?」


 そっと伝えたくてアレク様のお耳を拝借すると、わたくしは小さく囁いた。


「赤ちゃんが、動きました」

「本当か!?」


 玉座から立ち上がってわたくしのふくらみを持ってきたお腹に触れるアレク様に、出席している貴族や属国の王族や要人たちが驚いている。

 それを気にせずにアレク様はわたくしのお腹に手を当てて神妙な顔をしている。


 ぽこんと、もう一度お腹が内側から叩かれた。


「動いた! レイシー、赤ん坊が動いた!」


 新年のパーティーという公式の場にも関わらず、わたくしを抱き上げて喜ぶアレク様に、賓客からざわめきが聞こえる。


「皇后陛下のお腹のお子が動いたと仰られている?」

「皇后陛下のお腹のお子は元気だということですね!」

「新年からなんとめでたいことでしょう!」

「お腹のお子も新年を祝っているのでしょう!」


 わたくしが公務中に私的なことをアレク様に伝えてしまったことも、アレク様がそれに反応してわたくしのお腹に手を当てて確かめて、喜びでわたくしを抱き上げてしまったことも、非礼を咎められるわけではなくて、賓客たちの喜びに変わっている。

 そのうちに「皇帝陛下、おめでとうございます!」「皇后陛下とお子が健康でありますように!」と声が上がり始める。

 わたくしを降ろしたアレク様は柘榴の瞳に涙の膜を薄っすらと張っていた。こんなにも赤ちゃんが動いたことを喜んでくれて、わたくしも嬉しかった。


 その日から赤ちゃんの胎動を感じることが多くなった。

 わたくしが静かに赤ちゃんの服を縫ったり、靴下を編んだりしているときに、赤ちゃんは活発に動き出すようだった。

 最初は遠慮がちなぽこんという動作だけだったが、そのうちにぽこぽこと何度も体の中から叩かれたり蹴られたりするようになった。

 普通の妊婦さんはこれに耐えてきているのだろうか。

 結構驚いてしまうし、衝撃もある。


 お腹を押さえて、撫でていると、赤ちゃんが落ち着くような気がして、わたくしはお腹に語り掛ける。


「しっかりと育ってから出てきてくださいね。今日は特に元気なようですね。わたくし、ちょっと痛いんですけど。もう少し静まってもらえませんか?」


 お腹を撫でて語り掛けていると、赤ちゃんが静まってきたので、わたくしはほっとした。


 定期健診で医者にそのことを伝えると、意外な答えが返ってきた。


「お腹の中の赤ん坊は外の音が聞こえているといいます。語り掛けると落ち着くこともあるでしょう」

「声が聞こえているのか?」

「そうだと言われています」


 検診に立ち会っていたアレク様が驚いて声を上げている。

 わたくしもお腹の中の赤ちゃんに声が聞こえているだなんて思わなかったので驚いてしまった。


「父上の声が聞こえているか?」

「アレク様が話しかけたら、声を覚えてくれるかもしれませんね」

「わたしの声で眠るようになるだろうか。何を語り掛ければいいのかよく分からないのだが」

「わたくし、小さなころ絵本が大好きでした。赤ちゃんも絵本を読む声が聞こえたら心地よく感じるのではないでしょうか」

「絵本をすぐに取り寄せさせよう」


 アレクサンテリ陛下の動きは早く、翌日には大量の絵本が皇帝宮に届けられた。

 赤ちゃんのための子ども部屋に揃えられた絵本を手に取って、子ども部屋のソファでわたくしが縫物をしている横で、アレク様が真剣に絵本を読んでいる。絵本が始まると最初は活発な赤ちゃんの胎動が、緩やかになって、声が止まると、また活発になるので、確かに声は届いていそうだ。


「どうも、赤ん坊はこの絵本とこの絵本が好きなようだ」

「音が面白いからではないですか?」


 小さな子がお風呂に入る絵本と、靴が生きているかのように歩いていく絵本の二冊を見せるアレク様に、わたくしは微笑みながら言う。

 お風呂に入る絵本は、泡をぷくぷくさせる擬音や、お風呂でちゃぷちゃぷと遊ぶ擬音が入っていて、それが赤ちゃんのお気に入りのようだった。靴はとことことか、たったとか、歩いたり走ったりする擬音が入っていて、それが分かりやすいようだ。


「また父上が絵本を読んであげるからね」


 わたくしのお腹に語り掛けるアレク様の表情は優しい。

 アレク様は執務を最低限にして、わたくしと過ごす時間を増やしている様子だった。その中でも、子ども部屋のソファに座ってお腹の赤ちゃんに絵本を読む時間は特別なご様子だった。

 まだお腹にいる赤ちゃんに絵本を読むだけでも、こんなに蕩けそうなくらい幸せな顔をしているのだ、アレク様は赤ちゃんが生まれたら相当の親ばかになってしまうのではないだろうか。

 それくらい愛された方が赤ちゃんも幸せだと思うので、何も言わないことにしているが、アレク様が笑み崩れながら絵本を読んで、わたくしのお腹に時々触って胎動を確かめているのを見ると、子煩悩になるのだろうなぁという予感しかしない。


「レイシー、執務があるので行ってくるよ。見送りは不要だ。体を休めてほしい」

「はい、行ってらっしゃいませ」

「赤ちゃんも、行ってきます」


 お腹に手を添えて声をかけるアレク様に、わたくしは微笑みながら手を振って送り出した。


 夜中にも胎動は遠慮なく起きるので、わたくしは夜中に起こされることもよくあった。ただでさえ膀胱が圧迫されていて、お手洗いの間隔が短くなっているのだ。その上赤ちゃんに起こされると、眠る時間がなくなってしまう。


 ぽこぽこと元気よくお腹の中で活動を始めた赤ちゃんに、「静まり給え」と祈りつつお腹をさすっていると、アレク様が起きたようだった。


「レイシー、眠れないの?」

「赤ちゃんが蹴ってきて……あ、お手洗いにも行きたくなりました」

「行っておいで」


 わたくしがお手洗いに行っている間、アレク様はなにか準備をしている様子だった。わたくしがベッドに戻ると、アレク様がわたくしの枕元に座って絵本を広げている。


「絵本を読んだら大人しくならないだろうか。わたしが読んでいる間、レイシーは眠っていていいから」

「赤ちゃんを眠らせるときに絵本を読みますから、効果があるかもしれません。でも、眠っていていいのですか?」

「うるさくしないから大丈夫だよ」


 穏やかに言ってアレク様が絵本を読んでくださる。大好きな二冊の絵本を読んでもらって赤ちゃんは少し大人しくなった。わたくしはアレク様の声を聞きながらうつらうつらと眠ってしまった。

 アレク様はその夜、赤ちゃんが完全に大人しくなるまで何回も絵本を読んでくださったようだった。


「アレク様の睡眠時間を奪うわけにはいきません」

「気にしないでほしい。わたしはお腹で赤ちゃんを育てられない。わたしにできるのは、レイシーを少しでも安らがせることだけだ」

「アレク様には執務もあるのですよ」

「わたしは皇帝である前に、レイシーのお腹の赤ちゃんの父親だよ。父親として、責任を持って赤ちゃんを育てたいと思っている。お腹で赤ちゃんを育てて産むのはレイシーにしかできないから、これくらいはさせてほしい」


 こんなにもアレク様は誠実だった。

 父親としての自覚があるということの素晴らしさをわたくしは実感する。

 わたくしはセシルと話ができるのならばセシルに教えてあげたかった。


 あなたは子どもを持つことを嫌がっていたけれど、ガーネくんはこんなにも誠実で責任感ある父親になろうとしています。あなたが生きていたら、きっとガーネくんはあなたを幸せにしてくれたと思います。


 セシルは平民で、わたくしは子爵家から伯爵家になった貴族の出身で、皇后として認められるかは分からなかったが、セシルがガーネくんと結婚していたら、ガーネくんは絶対にセシルを守っただろう。


 セシルはガーネくんとは結ばれなかったが、わたくしはアレク様と結ばれた。

 アレク様の気持ちを感謝して受け止めつつ、わたくしは産み月まで体を大事にしつつ、過ごそうと決めていた。


読んでいただきありがとうございました。

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