23.妊娠生活
医者に計算してもらうと、わたくしの出産予定日はアレク様のお誕生日近くということになった。
そうなると来年のアレク様の生誕祭にはわたくしは出席することができない可能性が高い。
そのことについて考えていると、アレク様はあっさりと言った。
「赤ん坊が無事に生まれてくることが一番大事だから、それ以外のことは何も考えなくていいよ」
現在、皇帝宮は完全にわたくしを中心に動いていた。
食事もわたくしが食べられるものしか出てこないし、移動のときには護衛と侍女がずっとついてくるし、アレク様はできるだけ早く仕事を終わらせてお茶の時間に間に合うように帰ってきていた。
アレク様にとってはフルーツやヨーグルトだけでは足りないので、わたくしとは別に食事を取っているようだが、そのような様子は見せず、文句も言わず、わたくしに寄り添ってくれている。
朝食が足りない分は執務に出かけた皇帝宮で食べ足しているようだし、わたくしの見えないところ、匂いが届かないところで食事を足しているのだと思う。
「本当はレイシーと同じものだけ食べておきたい。レイシーと一緒でないとわたしは食事の味が分からない。でも、そんな甘えたことを言っていてはいけないよね。わたしは父親になるのだ。子どもの見本となる父親でなくては」
食べることもアレク様にとっては喜びではない。
セシルを失ってから、口にするものが砂のように感じていたというアレク様は、わたくしと食事をしていないときはそのときと同じ気持ちなのかもしれない。
悪阻がおさまってくればわたくしも食べられるようになるのだろうが、まだまだ妊娠初期で悪阻はおさまりそうになかった。
お茶の時間に並ぶのもフルーツやヨーグルトだけ。
皇帝宮の料理長が飾り切りをして美しく盛られたフルーツと各種ジャムの添えられたヨーグルト。
それも大量には食べられなくて、アレク様を心配させることがよくある。
それでも、パンを小さなひと切れだけとか、スープを少しだけとか、飲んでみて、吐いてしまっても栄養を取ろうと頑張っていたら、皇帝宮の料理長がヨーグルトとドライフルーツを練り込んだパンを作ってくれるようになった。
それは少し食べられるようになったので喜んでいると、アレク様も同じものを作ってもらって食べていた。
季節が冬に移り変わってから、わたくしの悪阻は少し落ち着いてきた。
食べられるものも多くなってきたので、アレク様も安心した様子だった。
「これで赤ちゃんもたくさん栄養を摂ることができます」
「赤ん坊もこれで安心だな」
「アレク様、赤ちゃんの名前はどうしますか?」
夫婦で話し合いの時間を持ちたいと思っていたのだが、お茶の時間に話してみると、アレク様はものすごく困った顔をしてしまった。
「わたしは子どもを持つだなんて考えたことがなかったから、子どもの名前がすぐには浮かんでこないな」
「アレク様が父親なのです。名前を考えてください」
「そうだな。少し時間をくれないか」
真剣な表情で言ってアレク様はその日から様々な文献を探して名前を考えていたようだが、結局思い付かなかったようで、数日後に申し訳なさそうにわたくしのところに来た。
「候補はたくさん考えたのだが、どうしても決められない。レイシー、一緒に考えてくれないか?」
「どんな候補を考えたのですか?」
問いかけてみると、アレク様は名前がびっしりと書かれた紙を見せてきた。
百以上はあるだろう。
これだけ候補を考えるくらい、アレク様は真剣に子どもの名前を考えてくださったのだ。
「レオンハルト、ミカエル、アデル……アデルという名前、素敵じゃないですか?」
「そう思う?」
「アレク様のお名前と同じ『あ』で始まっていますし、短くて呼びやすそうです」
「それでは男の子だったらアデルにしようか」
男の子だったときの名前はすぐに決まった。
問題は女の子の名前だった。
紙には女の子の名前がほぼ書かれていなかったのだ。
「アレク様、女の子の名前はどうされたのですか?」
「実は考えているものがあって……それがどうしても頭から離れなくて、候補を出せなかった」
「教えてください、その名前を」
「レイシーは反対するかもしれない」
「なんでも話し合うのが夫婦でしょう? 反対するかどうかは、聞いてから決めます」
わたくしの言葉に、アレク様は意を決してその名前を口にした。
「セシリア、というのだが……やはり嫌だろうか?」
「セシリア……セシルの名前にちなんだのですね」
「死んでしまった人物にちなんだ名前を付けるなんて不吉かもしれない。レイシーもそう思うかな?」
不安そうなアレク様に問いかけられて、わたくしは首を左右に振った。
「いい名前だと思います。セシリア。セシルの分も長生きしてほしい」
女の子が生まれたらセシリアという名前にする。そのセシリアがセシルの分も生きてくれたら、わたくしはきっと嬉しいと思う。
「セシリアで構わない?」
「はい、もちろんです」
男の子ならばアデル、女の子ならばセシリアという名前をつけようと決まった。
名付けは親にとっては大事な儀式だ。
生まれてくる子どもに最初に渡せるプレゼントが名前だとわたくしは思っている。
「わたくしのレイシーという名前は、両親がレースのように繊細で美しい娘になりますようにと付けてくれたのです。わたくしもいつか、子どもに自分の名前がどうやって付けられたかを教えたいです」
「情けなくて、決められなかったわたしのことも話すのだな」
「情けなくないです! アレク様は誰よりも真剣に子どもの名前を考えてくれました」
わたくしがそういえば、アレク様は安心したご様子だった。
冬のさなかに、ユリウス様の結婚式が行われた。
ユリウス様はずっと待たせていた婚約者と結婚できて幸せそうだった。
結婚式の披露宴のときに、食べ物の匂いで気持ちが悪くなってしまったわたくしは、控室で休ませてもらったが、そのときにもアレク様はご一緒してくださった。
席を外してしまったわたくしとアレク様に、ユリウス様が挨拶に来る。
「本日はわたしたちの結婚式にお越しいただき、本当にありがとうございます」
「控室まで来させてしまってすみません」
「皇后陛下は皇帝陛下のお子を身籠っていらっしゃる大事なお体。どうぞ、ご自愛ください」
ユリウス様もその結婚相手の令嬢もとても親切だった。
「すまないが、レイシーの体調が悪いので先に失礼する」
「皇帝陛下が結婚を決めてくれたおかげで、わたしも結婚することができました」
「皇帝陛下が結婚するまで結婚しないと宣言していたユリウス様につらい思いをしたこともあります。今日、その全てが報われた気がします」
「本日は本当にありがとうございました」
「皇后陛下は無事にお子を産まれますよう、お祈りいたしております」
ユリウス様と結婚相手の令嬢に挨拶をされて、わたくしは早めに披露宴を辞して、皇帝宮に帰った。皇帝宮に帰ってくると、ほっと力が抜ける気がする。
まだ気分の悪さは消えていないわたくしを抱き上げて、アレク様はベッドに運んで行った。
ベッドで休んでいると、アレク様が優しい香りのハーブティーを持ってきてくれる。ディアン伯爵家にいたころに、庭で育てていたハーブで自分で新鮮なハーブティーを作っていたことを話したら、妊娠してからはアレク様はハーブティーも用意してくれるようになった。
温かなハーブティーに蜂蜜を垂らして飲むと、お腹から温まっていくような感覚がする。
心地よくて瞼が重くなってきたわたくしの手からカップとソーサーを受け取って、アレク様はそっとわたくしをベッドに横たえた。
妊娠してからわたくしは妙に眠くなることが多くなった。
起きていなければいけないと思うのだが、どうしても起きていられない。
「すみません、アレク様」
「気にしなくていい。ゆっくり休んでほしい」
「はい……」
アレク様の気遣いに感謝しながら、わたくしは目を閉じた。
夢も見ないくらいぐっすり眠って、目が覚めたときには夕食の時間に近かった。
わたくしが起きて着替えて食堂に行くと、アレク様が待っていてくれる。
「昼はほとんど食べられなかったよね。お腹は空いてない?」
「空いている気がします」
眠ったせいか吐き気は治まっており、わたくしは空腹を覚えていた。
皇帝宮ではわたくしが食べられるものを把握していて、気分が悪くならないように料理を作ってくれる。
ヨーグルトとドライフルーツの練り込まれたパン、濃厚な野菜のスープ、野菜とベーコンの入ったパスタ。
皇帝宮でパスタが出たことはなかったのだが、ディアン伯爵領でパスタを食べてから、アレク様はわたくしが悪阻のときでもパスタは食べられるのではないかと皇帝宮の料理長に話をして作らせていた。
全部を食べることはできなかったが、ほとんど食べ終えて、わたくしはお腹がいっぱいになってお風呂に入って、また寝室に行く。
お腹の中で赤ちゃんが成長してきているのか、夜中にお手洗いに頻繁に起きるようになっていたが、アレク様はそれを気にしないどころか、わたくしが起きると一緒に起きてくれて、わたくしがお手洗いに行って戻るまで待っていてくれて、ときには温かい飲み物を用意させてくれていたりする。
喉が乾いていることも多いので、飲みものがあるとありがたいし、寒いので温かいものを飲むとほっとするのでわたくしはアレク様に感謝しながら飲み物を飲んでまた休んでいた。
春にはわたくしはアレク様の赤ちゃんを産む。
その日が楽しみでならなかった。
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