29.セシルの墓参り
セシルの両親の営んでいた食堂は、夢で見た記憶のまま、村の真ん中近くに建っていた。
ちょうど昼食が終わって、夕食までの休憩時間と仕込みの時間だったので、食堂の付近には客はいなかった。閉められている食堂のドアをアレクサンテリ陛下がノックしようとすると、先に護衛としてついてきてくれていたテオ様がドアをノックして声をかけた。
「中に誰かいないのか? いるのならば出てきてほしい」
テオ様の声に、セシルの両親が急いで店の中から出てきた。一目で高貴な方だと分かるアレクサンテリ陛下を前にして、セシルの両親は怯えたような顔で跪いて頭を下げた。
「わたしたちに何の用でしょうか?」
「高貴な方とお見受けいたします。どなたなのでしょうか?」
震える声で聞いてくるセシルの両親に、アレクサンテリ陛下が答える。
「わたしは、アレクサンテリ・ルクセリオン。この国の皇帝だ」
アレクサンテリ陛下の名乗りに、セシルの両親が「ひっ!?」と悲鳴を飲み込んだのが分かった。この国で一番高貴な方が、こんな国境の小さな村にやってくるとは思わなかったのだろう。
「お二人には幼いころに世話になった。覚えているだろうか? 『ガーネくん』と呼ばれていたわたしを」
「え!?」
「ガーネくん? あなた様が?」
思わず顔を上げたセシルの両親に、アレクサンテリ陛下は立つように促して、深く頭を下げた。
「あなた方の大事な一人娘、セシルはわたしのせいで亡くなってしまった。謝って許されることではないと分かっているが、そのことをずっと謝りたかった。本当にすまなかった」
「セシルは本当にガーネくんをかわいがっていました。自分の弟にしたいと言っていました」
「ガーネくんが殺されそうになったとき、セシルは自然と体が動いていたのでしょう。正直、ガーネくんのことを恨まなかったわけではありません。でも、セシルが死んで二十二年も経って、わたしたちはセシルは精一杯に生きたのだと思えるようになったのです」
セシルの両親の温かな言葉に、アレクサンテリ陛下は痛みをこらえるような表情をしている。セシルの両親を見ていると、セシルが本当に存在したのだとわたくしはじわじわと実感がわいてきた。
「わたしを守ってくれたセシルには感謝してもしきれない。わたしもセシルのことが大好きだった。そして、あなた方にも感謝している。身元の分からないわたしを保護してくれて、守ってくれた」
「まさか、ガーネくんが皇帝陛下だったとは知りませんでした」
「セシルは皇帝陛下をお守りできたのですね」
目を潤ませるセシルの両親に、アレクサンテリ陛下はもう一度「すまない」と謝ったが、二人は穏やかな顔をしていた。
セシルが死んでから二十二年間、セシルの両親も苦しんできたのだろう。それでも、二人はこの村で変わらず食堂を続けていた。
「あなた方がまだここにいてくれたとは知らなかった」
「この村にはセシルのお墓もありますし、セシルとの思い出のある場所は最初はつらかったのですが、やはり離れられませんでした」
「この村はセシルの生まれ育った村です。離れることはできません」
夢の中よりも年を取っているが、セシルの両親は確かにセシルの両親だった。
わたくしが声をかけられずにいると、アレクサンテリ陛下がわたくしを紹介してくれる。
「彼女はレイシー・ディアン。わたしは今年の夏に彼女と結婚する。そのことを報告したくて、この村に来た」
「わたしたちに報告してくださるのですか?」
「わたしが『ガーネくん』と呼ばれていたころに、世話になったのはあなたたちだ。それに、セシルの墓にも報告したかった」
「どうか、セシルの墓に報告に行ってやってください。セシルは喜ぶと思います」
セシルの両親を見ていると、わたくしの感情ではない別の感情がわいてくる。それはきっとわたくしの中のセシルの感情だ。胸がいっぱいになっているわたくしの肩を抱いて、アレクサンテリ陛下はセシルの両親に案内されて村外れの墓地まで護衛に囲まれながら歩いて行った。
セシルの墓は、とても簡素なものだった。土の上に石が置いてあるだけの墓。その石もちゃんとした墓石ではなく、川辺にあるような大きな石を持って来て置いただけのようなものだった。
「セシルがこの下に眠っているのか」
「はい。あなた様を迎えに来た方々が、セシルを盛大に弔ってくれると仰ったのですが、わたしたちは断りました」
「セシルはわたしたちの娘として、この村の一員として弔いたいと思ったのです」
豪華な墓石も、盛大な弔いもいらない。
それはわたくしの夢の中のセシルの両親らしい選択だった。
「セシル……お姉ちゃん、あのときは助けてくれてありがとう。おかげでわたしは生き延びたよ。生き延びて、運命の相手を見つけて、結婚しようとしている」
墓石に話しかけるアレクサンテリ陛下に、わたくしも心の中で話しかけた。
あなたがどうしてわたくしの夢の中に出てくるのかは分かりません。もしかすると、わたくしはあなたの生まれ変わりなのかもしれません。そうだとしたら、わたくしは今度こそ長生きをして、幸せになります。あなたが叶えられなかったお針子になるという夢を、この国の誰もが叶えられるように、それだけでなく、この国の誰もが性別や身分に関係なく、就きたい仕事に就けるように、この国を変えていこうと思います。どうか、安らかに眠ってください。
静かに祈りを捧げたわたくしに、アレクサンテリ陛下がセシルの墓に話しかけている。
「お姉ちゃん、このひとがわたしの妻になるひとだよ。わたしはこのひとと幸せになる。お姉ちゃんに生かしてもらった命を、精一杯に生きていくよ。本当にありがとう」
アレクサンテリ陛下の言葉は、ガーネくんの言葉としてわたくしの胸に深く響いた。涙ぐんでしまったわたくしに、セシルの両親は声をかけてきた。
「妃殿下の噂は聞いています。ディアン伯爵家の領地で女性もお針子になれるように寮のついた工場を建てたとか、皇帝陛下の執務の負担を減らされたとか」
「皇帝陛下とはわたしたちは二十二年前に少しの間だけ一緒に暮らしました。どうか、皇帝陛下とお幸せに」
アレクサンテリ陛下を皇帝陛下としてだけでなく、二十二年前にかわいがっていた「ガーネくん」としてわたくしとのことを祝福してくれようとしているのだ。
「ありがとうございます」
わたくしはセシルの両親にお礼を言った。
「セシルの部屋はどうなっている?」
「セシルが死んだ日のままにしています」
「もし許されるなら、セシルが買ってくれた積み木や、セシルが作ってくれたぬいぐるみや服を譲ってほしいのだが」
「よろしければ、家に寄って行かれますか?」
「皇帝陛下に失礼ではないですか?」
「いや、喜んでよらせてもらおう」
セシルの両親に家に招かれて、アレクサンテリ陛下はわたくしを伴ってセシルの家に行った。セシルの部屋は夢で見た通りで、狭く、ベッドも小さく感じられたが、このベッドでセシルはガーネくんと一緒に眠っていたのだと思うと感慨深い。
セシルの両親はガーネくんが使っていた積み木やぬいぐるみや服を纏めてアレクサンテリ陛下に渡してくれた。
「ありがとう、大事にする」
「わたしたちが持っていても仕方がないものですからね」
「セシルもガーネくんに持っていてもらった方が喜ぶでしょう」
受け取ったアレクサンテリ陛下は心からお礼を言っていた。
その積み木も、ぬいぐるみも、服も、どれもわたくしには夢の中で見覚えがあるものばかりだった。
思っていたよりもそれが小さく思えるのは、セシルが小柄だったからかもしれないし、大柄なアレクサンテリ陛下がそれを持っているからかもしれない。
帰りの馬車の中でわたくしはアレクサンテリ陛下の腕に縋って泣いてしまった。
わたくしがわたくしで亡くなったような気分だった。
「レイシー、大丈夫かな?」
「セシルの両親を見たら、わたくしがセシルになったような気分になってしまって、懐かしくて、嬉しくて、それでいて、申し訳なくて」
最大の親不孝は、親よりも先に死ぬことだと言われている。
セシルは両親をおいて死んでしまった。
そのことが自分のことのように申し訳なく、悲しかった。
それと同時に、セシルの両親が元気で暮らしているのを見ると、嬉しくて、懐かしくて、胸がいっぱいになった。
「わたくしは、もしかすると、セシルの生まれ変わりなのかもしれません」
「わたしは、レイシーの刺繍したハンカチを見たときからそう思っていた」
「でも、わたくしはセシルではなく、レイシーなのです」
「それも分かっている。レイシーはセシルではなくて、レイシーとしてわたしは愛した」
「アレクサンテリ陛下、わたくしをこの村に連れてきてくれてありがとうございました」
国境の小さな村に来たことで、わたくしは自分がセシルの生まれ変わりではないかという疑問に答えを出せた気がするし、セシルが愛していた両親にも会えた。なにより、わたくしは前世はセシルだったかもしれないけれど、今はレイシーなのだということを強く思うことができた。
帝都から国境の村までは長旅だったが来たかいがあったとわたくしは思っていた。
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