22.アレクサンテリ陛下と膝枕
アレクサンテリ陛下がわたくしの部屋に入ることはほとんどないし、わたくしがアレクサンテリ陛下の部屋に入ることもほぼない。
アレクサンテリ陛下はわたくしを部屋まで送っていってくれるが、中にまでは入らずに入り口で別れる。アレクサンテリ陛下の部屋にはわたくしは基本的に呼ばれることはないし、入ったのは一度だけだった。
アレクサンテリ陛下が夕食後に二人の時間を持ちたいと言ってくれたのは、冬のさなかのことだった。
皇帝宮は基本的に暖炉やストーブで温められて心地いい温度を保っている。
夕食後、アレクサンテリ陛下はわたくしを部屋に誘った。
「もう少しレイシーと過ごしたい。今日は部屋に来てくれないか?」
「は、はい」
これはもしかして夜のお誘いなのだろうか。
わたくしは十九歳で成人を過ぎている。アレクサンテリ陛下も二十八歳の健全な男性である。
婚約もしているのだしわたくしとアレクサンテリ陛下がそのような関係になってもおかしくはなかった。
アレクサンテリ陛下は結婚までは清い身でいさせてくれると言っているが、そうでなくなったとしても、わたくしは後悔はしない。さすがに結婚式に妊娠していると外聞が悪いかもしれないが、アレクサンテリ陛下がこの年まで独り身で、側妃も妾妃も持たなかったことを考えると、子どもを早く求められても仕方がないことも分かっている。
バスルームで体を磨き上げて、新しい下着に着替えていくべきか迷うわたくしに、アレクサンテリ陛下は手を引いてそのままご自分の部屋に連れて行った。
冬だから汗もかいていないし大丈夫だとは思うのだが、わたくしはそういう行為を想像してしまって顔も真っ赤になっていただろう。
「レイシー、緊張しないで。結婚するまではレイシーには絶対に何もしないと誓っているのだからね」
「は、はい」
くすくすと笑われて、わたくしがアレクサンテリ陛下との婚前交渉について考えてしまっていたことがバレてしまった気がする。焦るわたくしに、アレクサンテリ陛下は落ち着いていた。
「ソファへどうぞ」
「失礼します」
アレクサンテリ陛下の部屋はいくつかに分かれているようだった。その中でも執務室兼応接室のようなところに通されて、ソファに座ると、アレクサンテリ陛下がわたくしの横に座った。
手を握られて、アレクサンテリ陛下がわたくしの体を引き寄せる。
アレクサンテリ陛下の逞しい胸に抱き締められて、わたくしは深い香水の匂いを吸い込んで目を閉じた。
「レイシーの妃教育も順調だと聞いているよ。結婚式の衣装も出来上がったけれど、ぬいぐるみの衣装に取り掛かっていて、レイシーはとても働き者だということも」
「ディアン子爵家や学園ではもっと忙しかったです」
ディアン子爵家はわたくしがいたころは困窮していたので、使用人も少なく、自分のことは自分でしなければいけなかった。それだけでなく、少しでもお金を稼ぐために刺繍をしたり、縫物をしたりして内職をしていたのだ。
学園ではもっと忙しかった。わたくしは学費免除のために成績が上位十位以内でなければいけなかったし、将来ディアン子爵家を継ぐためにも、たくさん勉強しておかねばならなかった。
常に成績は首席を保ちつつ、その合間を見つけて刺繍でお金も稼ぐ。眠る暇もないくらいにわたくしは忙しかったし、お金があまりなかったので食事も満足には食べられなかった。
それを考えると、自分の趣味のために縫物をして、将来のために妃教育を受けるのは全く苦痛ではない。
その話をアレクサンテリ陛下にすると、アレクサンテリ陛下は微笑みながらそれを聞いていた。
「レイシーが優秀で努力家で、わたしは誇らしいよ。レイシーこそ皇后に相応しいと思う」
「アレクサンテリ陛下の方が優秀ではないですか」
「わたしは幼いころから皇帝の教育を受けていたからね。レイシーは皇帝宮に来てから妃教育を受けるようになったのに、とても優秀だとラヴァル夫人が言っていたよ。学園で首席を保っていただけはあると」
手放しで褒められてしまってわたくしは照れてしまう。
わたくしが熱い頬を押さえていると、アレクサンテリ陛下がわたくしの手をそっと外して、わたくしの頬に手を添えた。
アレクサンテリ陛下の顔が近付いて来て、口付けされると思ったので目を閉じると、唇に温かなアレクサンテリ陛下の唇が重なる。
触れるだけの口付けだが、わたくしは心拍数が跳ねあがるのを感じていた。
唇を離すと、アレクサンテリ陛下がわたくしの紫色の目を柘榴の瞳で覗き込んでくる。
「レイシー、お願いがあるんだけど」
「はい、なんでしょう?」
「膝枕を、してくれないかな?」
アレクサンテリ陛下に頼まれて、わたくしはガーネくんのことを思い出していた。
ガーネくんはお昼寝が必要な年齢と、もう必要ではない年齢のはざまで、時々昼食後に眠くなることがあった。
基本的にガーネくんは室内でしか遊んでいないし、体を動かすこともしていないので疲れてはいないのだが、昼食後の満腹感に勝てないことがあるのだ。
そんなとき、ガーネくんはわたしに甘えてきた。
「おねえちゃん、ひざまくらをして」
最初に眠くなったときに、一人で眠ることができずつらそうにしていたガーネくんを膝枕して、髪を撫でていたらとても心地よさそうにしていたので、それを続けていたら、気に入ったのか自分でもしてほしいと言うようになったのだ。
「いいよ。おいで、ガーネくん」
ベッドに腰かけてガーネくんを招くと、ガーネくんはいそいそとわたしの元へやってくる。
横になってわたしの膝に頭を乗せたガーネくんに、わたしはさらさらの銀髪を整えるように撫でていく。
目を閉じたガーネくんがわたしにねだる。
「お話しして」
「何のお話がいい?」
「おねえちゃんの小さなころの話」
膝枕をするとわたくしはガーネくんが落ち着くまで話をすることが多かった。それはもう何度も呼んで覚えている絵本の内容だったり、この村に伝わる昔話だったり、わたし自身の小さなころの話だったり、様々なのだが、ガーネくんは特にわたしの小さなころの話を聞きたがった。
「わたしは六歳から十二歳まで村の学校に通っていたの」
この国は六歳から十二歳までの子どもは全員学校に通うようにという、義務教育期間があった。十二歳になると平民の子は大抵働き始めるのだが、わたしはお針子として町に働きに出たかったが両親の反対を受けて、村で刺繍や縫物の内職をするかたわら、両親の食堂を手伝っていた。
「十二歳で学校を卒業した後、先生はわたしを町の仕立て屋に紹介してくれるって言ったんだけど、両親が反対したのよ」
「どうして?」
「女の子が一人で町に行くのは危ないって。女の子は働くのではなくて結婚して幸せになるのがいいんだって。それまでは家の仕事を手伝っていなさいって言われたわ」
それがこの国の常識だった。
女性は成人近くになって結婚するまでは家の仕事を手伝って、結婚してからは夫の仕事を手伝いながら家事をする。それがこの国の女性の生き方だった。
わたしはそれに抗いたかった。
女性でも働けるのだと証明したかった。
しかし、両親は絶対にそれを許してはくれなかった。
「おねえちゃん、だれかとけっこんするの?」
「多分ね」
わたしももう十六歳だ。
この国の成人年齢は十八歳だが、平民はそれよりも早く結婚することが多い。わたしはそろそろ縁談を持ち込まれてもおかしくはなかった。
この国の結婚は大抵親が決めてしまう。
同じ村に住んでいる年齢の近い男女を、親が見合いをさせて結婚させるのだ。
この結婚制度に関してもわたしは異存があった。
結婚するのならば自分の愛したひとと結婚したい。
見合いは断ることもできるが、両親が反対している相手との結婚は難しく、駆け落ちするくらいしかできなかった。
「ぼくがけっこんしてあげる」
「え?」
「ぼくがおねえちゃんとけっこんする」
またガーネくんはわたしと結婚すると言っている。
ガーネくんが結婚できるまではまだ十年以上あるだろう。それまで待っていたらわたしは婚期を逃してしまったと言われるだろう。
それでも、望まない相手と結婚するくらいなら、わたしを望んでくれるガーネくんと結婚した方がいいのかもしれないなんて馬鹿げた考えが浮かんできて、わたしはそれを振り払った。
髪を撫でていると、ガーネくんは眠ってしまったようだった。
アレクサンテリ陛下がわたくしの膝に頭を乗せてくる。
ガーネくんだったころを思い出してアレクサンテリ陛下の髪を撫でると、心地よさそうに目を細めている。
「アレクサンテリ陛下、覚えていますか? ガーネくんは、膝枕をしてもらうのが大好きだったこと」
「覚えているよ。セシルに膝枕してもらうととても心が落ち着いた。父が亡くなったことを知ったときも、わたしはどこか遠いできごとのように感じていたが、怖くなかったわけではない。セシルに膝枕してもらうと安心できた」
たったの六歳で自分の実の父親を亡くしているアレクサンテリ陛下。
一人だけ逃がされて心細かったに違いない。
その心を支えたのがセシルだったのだ。
「アレクサンテリ陛下の髪はさらさらで美しいです」
「レイシーの髪も美しいよ」
膝枕をされた状態から手を伸ばしてわたくしの髪を一筋手に取り、口付けたアレクサンテリ陛下に、わたくしは顔が火照ってくる。
アレクサンテリ陛下が小さくてかわいいガーネくんとは違うのだ。もう大人の男性なのだ。
それでも、アレクサンテリ陛下に甘えられるのが嬉しくて、わたくしはずっとアレクサンテリ陛下の髪を撫でていた。
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