15.調香師とわたくしの香水
旅行から帰ってきたわたくしの元に、調香師がやってきたのは、ラヴァル夫人とモンレイユ夫人の妃教育を終えて、休憩時間に入ったお茶の時間の前だった。
アレクサンテリ陛下もお茶の時間には仕事を抜けてきてくれることが多い。
その日、アレクサンテリ陛下は女性の調香師を連れてきていた。
「妃殿下、お初にお目にかかります。皇宮で調香師をやらせていただいております」
「初めまして、わたくしはレイシー・ディアンです」
挨拶を交わすと、調香師が小瓶に入った香水を嗅がせてくれた。それはアレクサンテリ陛下に抱き締められたときの匂いに似ているが、少し違うような気がする。
「アレクサンテリ陛下の匂いに似ていますが、どこか違うような」
「香水は基本的に最初に香るトップノートに、中間で香るミドルノート、最後に香るラストノートが混ざっております。それに、皇帝陛下自身の匂いも混ざってその方だけの匂いになっているのです」
「そうなのですね」
わたくしは香水など持ったことはないし、作ったこともないので、全く知らなかった。
調香師はわたくしに説明してくれる。
「皇帝陛下の香水は、トップノートがホワイトペッパー、ミドルノートがアイリス、ラストノートがアンバーになっております。最初に清潔感のある理知的な香りをさせて、次に皇帝陛下の深みのある香りに続き、最後が柔らかな官能を思わせる香りとなっております」
よく分からないが、アレクサンテリ陛下の香りはとてもいい匂いなので、調香師は信頼できる方なのだろう。
わたくしが感心しながら聞いていると、調香師がわたくしにいくつかの小瓶を嗅がせてくれた。
甘い果実のような香りや、花のような香り、濃厚な甘さを感じる香りなど。
その中でわたくしが気に入ったものを選んでいいようだ。
「妃殿下には、トップノートにはピーチブロッサムや洋ナシ、ライラックが合うと思われます。ミドルノートにはローズ・ド・メイやホワイトピオニー、スズランなどの繊細な香り、ラストノートにはムスクやバニラなどの優しい甘い香りがよいかと」
どれがどれがよく分からなかったが、説明されながら嗅いでみて、わたくしはピーチブロッサムとローズ・ド・メイとバニラを選んだ。バニラの香りはアレクサンテリ陛下の香水のアンバーにも少し似ているような気がしたのだ。
わたくしが決めると、調香師はそれで香水を作ってくれることになった。
「これは皇帝陛下の香水とも相性がいいですよ。二人の香りが合わさると、深くて上品な甘さと気品あるスパイスが混ざり合う素晴らしい組み合わせです」
「アレクサンテリ陛下と相性がいいのならばよかったです。よろしくお願いします」
「妃殿下はあまり強く香らせずに、腰のあたりに少しだけつけるのもいいかもしれませんね」
「そうしてみます」
香水のことは全く分からなかったし、何種類も嗅いでいると混乱もしてきたが、なんとか決まってようでよかった。
わたくしはアレクサンテリ陛下とお茶室に移動してお茶を飲む。大量の香水の材料を嗅いで多少混乱した鼻に、紅茶の香りはほっと一息つけた。
紅茶を飲みながらキッシュだけ取り分けて食べていると、アレクサンテリ陛下がわたくしの好きなスイートポテトやモンブランやカボチャのプリンを示す。
「他に食べなくていいのかな?」
「最近、太ってきた気がします。せっかく誂えてもらった服が入らなくなるのは悲しいです」
「レイシーは痩せすぎているのだ。気にせずに食べればいい」
「でも、服が……」
ドレスも服もわたくしが皇帝宮に来たときのサイズで作ってあるので、若干お肉のついたわたくしの体では窮屈になってきている。ダイエットも考えるのだが、元々ろくに食べていなかったので痩せていたわたくしは、これくらいがちょうどいいのかもしれないとも思っている。
「そうだった、レイシー。冬物をまだ誂えさせていなかったね」
「冬物ですか? 今ある服に上着を着て過ごしてはいけませんか?」
「冬用の服を誂えさせよう。ラヴァル夫人を呼ぶから、お茶の後は採寸をしてもらってほしい」
ディアン子爵家ではそんなに服は持っていなかったし、寒かったら上着を着て厚着していた。アレクサンテリ陛下の妃候補ともなるとそれではいけないようだ。
アレクサンテリ陛下に言われてわたくしは頷いた。
お茶の時間の後にはアレクサンテリ陛下はまた執務に戻っていって、わたくしは戻ってきたラヴァル夫人と共に仕立て職人さんたちを呼んで、採寸をしてもらって冬用の服を誂えてもらうことになった。
一年中着られるような服に、上着を重ねたり、脱いだりして調節をしていたころとは全く違う。
冬服のしっかりとして分厚い布地やコートの生地のサンプルにわたくしは目を輝かせてしまった。
「コートは縫ったことがないんです。コートの生地はとても分厚くて手縫いが難しかったのと、生地が高価で手に入らなかったので」
「作業室にある特別製のミシンならば縫えますよ」
「わたくしが縫いたいのですが、今は結婚衣装で手一杯なので……」
仕立て職人さんはわたくしが作業室に通っているのを知っているので声をかけてくれるが、今は縫えない悲しみに俯いていると、仕立て職人さんが言葉を添えてくれる。
「布を裁つまではわたくしたちでやりましょうか? 縫うだけならばそれほど時間はかかりません」
「いいのでしょうか?」
わたくしがラヴァル夫人をちらりと確認すると、ラヴァル夫人はわたくしに問いかける。
「結婚の衣装はどれくらい進んでいるのでしょう?」
「デザインが決まって、仮縫いが終わるところです。アレクサンテリ陛下に試着してもらって、サイズの微調整をして、本縫いの生地をこれから裁ちます。造花も作るので、かなり時間はかかると思います」
アレクサンテリ陛下にとっては初めての結婚式なのである。皇帝陛下の結婚式の衣装がみすぼらしいものではいけない。
わたくしの責任は重大なのだ。
「それでも結婚式までには九か月あります。皇帝陛下はレイシー殿下が望まれるように過ごすのを願っています。コートを縫うことがレイシー殿下の望みならば、叶えるべきなのでしょう」
「それでは、縫ってもいいのですか?」
「皇帝陛下も賛成してくださると思います」
ラヴァル夫人に言われて、わたくしは飛び上がるほど嬉しかった。
秋も中旬になって冬が近付いて来ている。冬にはコートは必須だった。
「編み物もしてもいいでしょうか。アレクサンテリ陛下に毛糸のコートを編んで差し上げたいのです」
「それはお喜びになるでしょう」
毛糸のコートなどアレクサンテリ陛下は着ないと言われるかと思ったがそんなことはなかった。
ラヴァル夫人に確認を取って、わたくしは結婚の衣装と同時進行でコートも作ることになった。
夕食のときにアレクサンテリ陛下が帰ってきて、わたくしはアレクサンテリ陛下を迎えた。
「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「ただいま、レイシー」
アレクサンテリ陛下に抱き締められると、香水の深い香りが胸にしみ込むようだ。侍女の前で恥ずかしいが、わたくしはアレクサンテリ陛下に行ってらっしゃいとおかえりなさいのときにハグをされるようになっていた。
大きなアレクサンテリ陛下の体にすっぽりと包まれるのは心地よい。
「アレクサンテリ陛下、結婚の衣装も作るのですが、自分のコートと、アレクサンテリ陛下の毛糸のコートも作りたいのです」
「毛糸でコートが作れるのか?」
「モチーフ編みを合わせたコートはとても温かいのですよ」
モチーフ編みは一つずつモチーフを編んでいって、それを最終的につなぎ合わせて服にするのだが、アレクサンテリ陛下は体が大きいのでたくさんモチーフが必要そうだった。それでもモチーフは一つ一つ編んでいけばいいので、空き時間の短い時間にも作ることができる。
「レイシーが作ってくれるのは楽しみだな」
「水色と薄紫のモチーフで作ろうと思います」
アレクサンテリ陛下の好きな青を薄くした色と、わたくしの目の色である紫を薄くした色。
それはきっとアレクサンテリ陛下に似合うだろう。
わたくしはやる気に満ち溢れていた。
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