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そのご寵愛、理由が分かりません  作者: 秋月真鳥
二章 ご寵愛されてます
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13.旅の最終日

 別荘に来て四日目、わたくしとアレクサンテリ陛下は朝食後に湖に出かけていた。

 今日はボートに乗るのだ。

 手漕ぎボートに乗るのは初めてだったが、アレクサンテリ陛下がご一緒だし、他の護衛の方々も違うボートに乗って周囲にいてくれるようなので安心ではある。

 桟橋からボートに乗り込み、わたくしに手を貸してくれながらアレクサンテリ陛下が問いかける。


「レイシーは泳げるのかな?」

「いえ、わたくしは泳いだことはありません」

「わたしは身の安全のために泳ぎも習っている。何かあったらレイシーを助けよう」


 心強い言葉に安心しつつ、わたくしは揺れるボートの上に座った。アレクサンテリ陛下がオールを持ってぎこちなく漕ぎ始める。最初はあまり進まなかったが、慣れてくるとアレクサンテリ陛下はボートを自在に動かせるようになっていた。

 ボートに乗っていると、白鳥が近寄ってくる。餌など持っていないのでなにもあげられないが、泳いでいる白鳥を見るのはとても楽しかった。

 ボートから見える景色も美しく、水は澄んでいて水底まで見えそうだった。


「アレクサンテリ陛下、魚が泳いでいます」

「これは昨日、夕食に出た魚かな?」

「そうかもしれません」


 昨日二人で釣った魚は、夕食に出された。

 身の部分だけをフライにした魚は癖がなくてとても美味しかった。

 泳いでいる魚を見ていると、アレクサンテリ陛下がボートを止める。

 ゆらゆらと湖面でボートは揺れながら止まっている。


「寒くはない、レイシー?」

「はい、寒くはありません」

「少しここで休もうか」


 湖の周囲には林もあって、遠くには山が見える。自然の中にある湖の真ん中でゆったりと過ごすのも悪くはない。

 日差しも今日はそれほど強くなかった。


「アレクサンテリ陛下、白鳥がこちらに泳いできます」

「真っ白できれいだね」

「誰かが餌をやっているのでしょうか。馴れているようですよ」


 ボートに近付いてくる白鳥は人間を恐れてはいなかった。

 わたくしが手を伸ばすと、その手をまじまじと見つめている。餌がないことを確かめると白鳥は離れていってしまった。


「あの白鳥、背中に雛を乗せています」

「本当だ。白鳥は背中で雛を育てるのか」


 泳いで離れていく白鳥の羽根の下の背中に雛が三羽乗っているのを見つけてわたくしが声を上げると、アレクサンテリ陛下も興味深そうに見ていた。


 ボートは無事に桟橋に戻って、わたくしとアレクサンテリ陛下は地上に戻った。ボートの揺れがまだ残っているようで、ふわふわとするわたくしに、アレクサンテリ陛下が肘を示して、わたくしはそこに手を添えてエスコートしてもらう。


 アレクサンテリ陛下の背が高く、体格もいいので、安定感は抜群だった。


「アレクサンテリ陛下は泳げると仰いましたが、どこで泳ぎの練習をしたのですか?」

「皇宮の池で泳いだよ。いつ何があるか分からないから、泳ぎや剣術も練習させられていた」

「六歳のころには泳げましたか?」

「いや、まだそのころは泳ぎの練習は始まっていなかった。クーデターで逃がされて、保護されて戻ってきてから泳ぎも剣術も習ったね」


 わたくしはアレクサンテリ陛下に言ってみる。


「わたくしも泳ぎの練習をしてもいいでしょうか?」


 わたくしは皇后になるのだ。泳ぎもできた方がいいかもしれない。何かの際に水の中に落ちてしまうようなこともあるかもしれないだろう。

 わたくしがお願いすると、アレクサンテリ陛下は難しい顔をしている。


「レイシーの水着姿が……そうだね、女性の護衛だけをそばにつければ大丈夫かな」

「水着姿を見せるのはよくないのですか?」

「水着は濡れるし、体の線が出てしまうから、他の男性に見せるのは心配だよ」


 水着というものを着たことがないわたくしは、どんなものか正直よく分かっていなかった。水の中を泳ぐのだから動きやすい恰好なのだろうし、水の中でも透けないような布地ではあるのだろう。


「アレクサンテリ陛下のお考えの通りに致します」

「泳ぐのならば夏からだな。来年の夏からにしよう」

「はい、お願いします」


 それまでに体制を整えておくと返事をしてくれたアレクサンテリ陛下に、わたくしは「ありがとうございます」とお礼を言った。

 午後は別荘でゆったりと過ごした。

 リビングでわたくしが刺繍をしている横で、アレクサンテリ陛下は書類を見ていた。休暇のはずなのに容赦なく執務が送られてくるこの状況はよくないのかもしれない。

 側近や他の文官の方々に仕事を振り分けるようになったとはいえ、まだ振り分け始めたばかりだ。もう少し分担ができてくればアレクサンテリ陛下もゆっくりと休めるのかもしれない。


 お茶の時間までわたくしの結婚式の手袋に刺繍をして、刺繍セットを片付けてお茶室に移動すると、アレクサンテリ陛下も書類仕事を終えたようだった。


 アレクサンテリ陛下とのお茶の時間はゆっくりと寛ぐことができる。

 芋や栗やカボチャのスイーツが並んでいるのは、わたくしの好みに合わせてくれているのだろう。秋に実る芋や栗やカボチャのスイーツがわたくしはとても好きだった。


 キッシュとカボチャのタルトを取って食べていると、アレクサンテリ陛下が洋ナシのムースを食べている。アレクサンテリ陛下はどちらかというと果物がお好きなようだ。


「レイシーが食べていると美味しそうに見えるな。それももらおうかな」

「とても美味しいですよ」


 カボチャのタルトを取り分けるアレクサンテリ陛下に、わたくしは微笑む。


「レイシーが来るまで食事は生きるために仕方なくしているようなものだった。栄養補給の意味しかなかった。でも、レイシーが一緒に食べてくれると、とても美味しく感じるよ」

「アレクサンテリ陛下……」


 セシルを亡くした悲しみで、泣くこともできず、感情も表情もなくしてしまったアレクサンテリ陛下にとっては、食事ですら楽しみではなかったようだ。これまでの分も取り戻せるように、アレクサンテリ陛下には美味しいものをたくさん食べてほしいと思わずにはいられなかった。


 旅行前には四泊五日はとても長く感じられたのだが、旅行が始まってしまうとあっという間だった。

 湖を見下ろす丘の上でお茶もしたし、両親とソフィアともゆっくり過ごせた。釣りもしたし、ボートにも乗った。盛りだくさんの楽しい旅だったが、それも終わりに近付いていた。


 夕食を食べ終えると、わたくしはアレクサンテリ陛下をお誘いした。


「部屋のベランダで一緒に過ごしませんか?」

「今日は晴れているし星がきれいに見えると聞いた。一緒に星を見よう」


 わたくしのお誘いに乗ってくださったアレクサンテリ陛下に部屋まで送ってもらって、部屋に入ると鏡で髪と服を整えて、カーディガンを羽織ってベランダに出た。アレクサンテリ陛下の部屋とわたくしの部屋はベランダで繋がっているので、アレクサンテリ陛下がベランダに出てくるのが見えた。

 ベランダに設置してある椅子に座ると、アレクサンテリ陛下が侍女を呼んで飲み物を準備させる。アレクサンテリ陛下はお酒を飲むようだったが、わたくしは果実水にしてもらった。

 葡萄酒をグラスに注ぐアレクサンテリ陛下と果実水を飲むわたくし。

 おつまみに出てきたチーズやナッツやドライフルーツは美味しそうだったので少し摘まませてもらう。


「レイシー、星がきれいだよ」


 暗くなっている空を見上げると、満天の星空だった。

 星が煌めき、大きな月が空に浮かんでいる。

 湖を見れば月が鏡のように映っていた。


「今回の旅行、とても楽しかったです。アレクサンテリ陛下、一緒に来られて幸せでした」

「また来よう、レイシー」

「はい、来ましょう」


 話していると、アレクサンテリ陛下の手がわたくしの頬に添えられる。目を閉じると、アレクサンテリ陛下がわたくしの唇に触れるだけの口付けをした。

 わたくしは子どもではないのだが、それだけで心臓が高鳴ってしまって顔が熱くなる。

 アレクサンテリ陛下が望むのならば、その先までも進んでもいいはずなのに、わたくしはこれ以上アレクサンテリ陛下に触れられているとおかしくなりそうで怖気づいてしまう。

 わたくしの微かな震えに気付いたのか、アレクサンテリ陛下は手を放して、離れていった。


「レイシー、結婚するまでは決してレイシーには清い身でいてもらおうと思う」

「アレクサンテリ陛下がお望みなら……」

「そんなことは言わなくていいよ。レイシーの心の準備が整うのを待っている」


 結婚したそのときには。


 アレクサンテリ陛下の柘榴の瞳が暗闇の中で光った気がした。

 わたくしはその日が待ち遠しいような、怖いような、複雑な気持ちになっていた。

読んでいただきありがとうございました。

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