12.湖での釣り体験
翌朝、両親とソフィアは皇宮の用意した馬車に乗って帰って行った。
わたくしとアレクサンテリ陛下は玄関の外に出て、馬車を見送った。一日だけだったがゆっくりと家族と過ごすことができて、わたくしはとても満足していた。
両親とソフィアを見送った後、わたくしとアレクサンテリ陛下は湖に歩いて行った。
今日は釣りをするのだ。
護衛は少し遠巻きにわたくしたちを見守っていたが、テオ様が釣りについては教えてくださるようだった。
釣竿を二本用意して、テオ様が近くの大きな石をひっくり返す。石の裏にはミミズが隠れていた。
素早くミミズを捕まえたテオ様が、釣り針につけていく。その様子をわたくしはしっかりと観察していた。
「釣り針につけるのはミミズでいいのですか?」
「石の裏にいるミミズや虫などで構いません」
「それでは、わたくしは自分でやってみますね」
「妃殿下!?」
驚かれてしまった。
ミミズなんて家庭菜園をしていればどれだけでも見る。土を豊かにしてくれるので、感謝するくらいの存在だ。
大きな石をひっくり返すのは重かったのでアレクサンテリ陛下に手伝ってもらって、出てきたミミズは素早く捕まえて釣り針につけた。
「妃殿下は、本当に素手でミミズや虫に触れるのですね」
「はい。家庭菜園で慣れています」
笑顔で答えながら釣り糸を湖に垂れていると、アレクサンテリ陛下はテオ様にミミズをつけてもらった釣竿で釣り糸を湖に垂れていた。
しばらくするとアレクサンテリ陛下の釣竿に魚がかかったようだった。テオ様がアレクサンテリ陛下に教えている。
「皇帝陛下、一度強く引いてから、慎重に持ち上げてください」
「分かった」
言われた通りにアレクサンテリ陛下がすると、釣り針には小さな魚がかかっていた。
どうすればいいのか分からずに戸惑うアレクサンテリ陛下に、テオ様が魚を掴んで、口から釣り針を外してやる。
「これは小さいので放してあげましょう」
「そうか。それでは次のミミズを捕まえなければいけないな」
テオ様とアレクサンテリ陛下が次のミミズを釣り針につけている間に、わたくしの釣竿に魚がかかったようだった。強く一度引いてから、慎重に引き上げると、そこそこ大きな魚が釣れた。テオ様がしていたように手で持って釣り針を外すと、テオ様がびちびちと跳ねる魚を持っているわたくしを見て驚いている。
「ご自分でされたのですか?」
「はい。生きた魚を持ったのは初めてですが、死んでいる魚ならば料理のために持ったことがありますので。結構元気ですね」
「釣った魚はこちらに入れておいてください」
水の入った大きなバケツを示されて、わたくしは釣った魚をそこに入れた。
しばらく釣っていたら、わたくしの釣竿に大きな魚がかかった。重くて持ち上げるのが難しく、わたくしはアレクサンテリ陛下に変わってもらった。アレクサンテリ陛下が釣り上げたのはかなり大きな魚だった。
「これは夕食に出せそうですね」
「本当ですか?」
「今日はレイシーが釣った魚が夕食か」
「最後に釣りあげてくださったのはアレクサンテリ陛下ですよ」
「それでは、二人で釣ったことにしようか」
嬉しそうなアレクサンテリ陛下と、昼食の時間まで釣りをして楽しんだ。
魚は二人で六匹釣れた。アレクサンテリ陛下が釣りあげてくれた魚が一番大きかった。
釣りを楽しんで、別荘に帰るとわたくしは手を洗って着替えた。
もう秋に入っていたが、まだ日差しは強く、釣りをしたので少しだけ汗をかいていた。
着替えて食堂に行くと、アレクサンテリ陛下も着替えていた。
わたくしの髪も腰くらいまで伸ばしているが、アレクサンテリ陛下も白銀の髪を背中くらいまで伸ばしている。美しい絹糸のような髪は下の方で一つに括られている。
「レイシー、午後からは少し天気が崩れるようだ。刺繍の続きをするかな?」
「はい、そうさせてもらいます」
アレクサンテリ陛下と一緒に昼食を食べて、午後からはわたくしは部屋で刺繍をして、アレクサンテリ陛下は部屋で皇帝陛下しかできない書類仕事をされているようだった。
アレクサンテリ陛下の結婚式の手袋の布の刺繍が終わると、わたくしはわたくしの結婚式の手袋の布の刺繍に入る。これも銀糸で、蔦模様を小さくして刺繍していく。
わたくしの結婚式の手袋はアレクサンテリ陛下のものと違って、二の腕近くまであるので、刺繍の面積が大きい。真剣に作業していると、集中していたので時間が過ぎていたようだ。
侍女に声をかけられて、わたくしは刺繍セットを片付けてお茶室に移動した。
お茶室ではアレクサンテリ陛下が待っていてくれた。
「お待たせいたしました」
「レイシー、刺繍は進んだ?」
「はい。アレクサンテリ陛下の手袋の刺繍は完成しました」
「完成品を見るのが楽しみだな」
微笑むアレクサンテリ陛下の横に座って、紅茶をカップに注いでもらうと、わたくしはアレクサンテリ陛下に質問した。
「アレクサンテリ陛下はあの蔦模様が一番好きなのですか?」
「あの模様はセシルとの思い出が詰まっているからね」
「結婚式の衣装もあの蔦模様がいいですか?」
「いや、それは違う模様でも構わないよ。レイシーが好きな模様を刺繍してくれればいい」
アレクサンテリ陛下にとって、あの蔦模様は大事な思い出になっているようだった。新しい模様にも挑戦したい気持ちと、アレクサンテリ陛下の思い出を大事にしたい気持ちが混ざり合って、わたくしは悩んでしまう。
アレクサンテリ陛下の結婚式の衣装の刺繍は、もう少し考えることにしよう。
紅茶を飲んでいると、アレクサンテリ陛下がわたくしの長い黒髪に触れた。
「この髪、切って売ってしまおうとしていたとラヴァル夫人に聞いた」
「今は切るつもりはありませんよ。ラヴァル夫人にも、切るときにはアレクサンテリ陛下に相談するようにと言われました」
「女性にとって髪は命というのに、レイシーはそれを簡単に売ってしまえるのだと思うと、レイシーがこれまで育ってきた環境を考えて胸が痛かった」
「今の時代、髪の短い女性もたくさんいますよ。セシルも髪は長くなかったでしょう?」
夢の中で見たセシルの姿を思い出してわたくしは言う。セシルは黒髪を肩くらいで切っていた。伸ばすと手入れが大変だし、洗うのに水をたくさん使うので、平民は髪を売るためとか理由がないと髪をそんなに伸ばさないのだ。
「レナン殿はわたくしの髪にそんなに興味がない様子でしたし」
そもそもレナン殿はわたくしがどんな髪型をしていようと、気にしていないような記憶しかない。服は自作すると「貧乏くさい」とけなしていたが、多分、誂えていても、わたくしが自作したものか誂えたものか見分けがつかなかっただろう。
「その名前を聞くのは不愉快だな」
「すみません」
「レイシーが悪いのではない。レイシーを酷く扱った男がいたというのが許せないのだ」
アレクサンテリ陛下に言われて、わたくしはレナン殿のことを思い出す。
「あの方は、わたくしがすることが気に入らなかったようです。首席を取れば『女が首席など』と馬鹿にして、縫物をすれば『貴族なのに貧乏くさい』と蔑んで、家庭菜園で野菜を作っていると知ると『そこまで落ちぶれたくない』と呆れて」
「本当にろくでもない男だったのだな。レイシーは優秀だから妃教育が楽だとラヴァル夫人も言っていた。レイシーの裁縫の腕は本職より上で、わたしはレイシーの作るものを身につけられるのも、レイシーが身に着けているのも、本当に素晴らしいと思っている。家庭菜園で育てたナスとキュウリも、新鮮でとても美味しかった」
「そんな風にアレクサンテリ陛下がわたくしの全てをありのままに認めてくださるところが好きなのです」
「わたしはレイシーの全てを愛しているからね」
「わたくしもアレクサンテリ陛下を愛しています」
もうレナン殿のことは思い出さなくていい。
アレクサンテリ陛下はレナン殿のようにわたくしを馬鹿にしたりなどしない。
わたくしの全てを尊重してくれる。
カップを置いてアレクサンテリ陛下の手を取ると、アレクサンテリ陛下がわたくしの指先に口付けた。
「レイシーの指は、美しいものを作り出す魔法の指だ」
「アレクサンテリ陛下」
「レイシー、これからもわたしのそばで、美しいものを作り続けてほしい」
「皇后になっても、縫物を続けていいのですか?」
「やめるつもりだったのか?」
「皇后になったら忙しくなるので、できなくなると思っていました」
皇后になったら責務があるので縫物をしている時間はなくなるだろうと思っていたわたくしに、アレクサンテリ陛下がゆっくりと首を左右に振る。
「皇后になればやらなければいけないことは増えるかもしれないが、できる限りレイシーのしたいこともできるようにしていきたいと思っている。レイシー、皇后になることで何かを諦めたりしないでほしい。レイシーにはしたいことを全てしてほしいと思っている」
「ありがとうございます、アレクサンテリ陛下」
アレクサンテリ陛下の気持ちが嬉しくて、わたくしは胸がじんわりと温かくなるのを感じていた。
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