4.新しい家庭教師
初めて挑戦した造花が完成した。
淡いラベンダー色の造花を、わたくしは自分のコサージュとアレクサンテリ陛下のラペルピンに加工した。
「とてもよくできています。妃殿下、これならば、結婚式の花冠とブーケに取り掛かってもいいかもしれません」
「ありがとうございます。教えてもらったおかげです。これからもよろしくお願いします」
出来上がったコサージュをラペルピンを見て褒めてくれた仕立て職人さんに、わたくしはお礼を言って、次は結婚式の花冠とブーケに取り掛かれるかと思うとわくわくしていた。
結婚式の衣装も少しずつ手を付け始めている。
デザインを決めて、型紙を作っているのだが、布の型紙ができて立体的に縫えたら一度アレクサンテリ陛下に試着してもらわなければいけない。
アレクサンテリ陛下は背が高いのでテイルコートのような裾の長い衣装を考えている。中に着るシャツもベストも全部わたくしが作るのだ。
レナン殿と婚約していたときには、自分の結婚衣装を自分で縫えるだなんて考えられなかった。レナン殿はわたくしが自分で自分の衣装を縫うことを馬鹿にしていて、貧乏くさいと言っていた。仕立て職人さんに誂えさせた衣装こそが素晴らしくて、貴族が自分で縫物をするなんて、使用人のようで恥ずかしいと思っていたのだ。
わたくしは自分の技術に誇りを持っていたし、自分の腕は仕立て職人さんに負けていないと思っていた。
わたくしの作ったものを見ることなく、不当な評価を下すレナン殿のことが好きになれなかったし、レナン殿と結婚することに関して、諦めの感情しかなかった。
アレクサンテリ陛下は、わたくしの裁縫の腕を認めてくださっている。
わたくしの衣装だけではなく、アレクサンテリ陛下の衣装までわたくしに任せてくださる。
国の主である皇帝陛下の衣装なのだ。
威厳のあるものではなくてはいけないし、そのデザインも皇帝陛下という地位に合うようなものではなくてはいけないと分かってはいるのだが、アレクサンテリ陛下がわたくしにデザインまで全部任せてくださっていることが嬉しい。
自分の結婚式の衣装を作るのが夢だったので、それが叶って嬉しいのだが、皇帝陛下と皇后の結婚式なのである。手を抜くつもりはないが、デザインから縫製まで少しも気を抜けないと気を引き締めていた。
仕立て職人さんに意見を聞いてデザインだけでもかなり時間をかけている。
わたくしはこの結婚衣装にこれまで生きてきた一生分の情熱を注ぎこもうと思っていた。
もちろん、結婚式が終わった後からがわたくしの人生の本番なのだと分かっていたが、皇后になってまで裁縫にだけ集中する時間は持てなくなるに違いない。これはわたくしの人生の集大成であるし、一番力を入れたい作品であることは間違いなかった。
造花のコサージュとラペルピンをそれぞれ箱に入れて部屋に持ち帰りながら、アレクサンテリ陛下に仮縫いの時間を取ってもらうようにお願いしなければいけないと考えていた。
誕生日のお茶会から一か月近くが経っていた。
結婚式まで残り十か月を切ってしまった。
わたくしは仕立て職人さんたちの作業室に行くときには、汚れても構わないようにディアン子爵家から持ってきた服を着るようにしている。地味なワンピースは使用人が着ているものよりも質素なのだ。
皇帝宮の使用人ともなると、ほとんどが貴族で、着ている衣装は制服だがそれも作りがいいもので生地も上質だった。
ディアン子爵家にいたころは高い生地を買えなかったし、何より日常的に着るものは汚れても構わないものにしたかったので、華美にはしなかった。
部屋に戻ると、ラヴァル夫人が来ていた。
ラヴァル夫人とこの服を着て会うのは初めてではない。
最初はラヴァル夫人はこの服を着て髪を結んでいるわたくしを見てとても驚いていた。
「レイシー殿下、その服は着られないようにと言ったではありませんか」
「あの、作業室で造花の仕上げをしてきたので、汚れてもいいようにこれを着ていったのです」
「他の服でも汚れても構いません。レイシー殿下は皇后陛下になられるのですから、使用人よりも質素な格好をしていてはいけません」
「これもわたくしが縫って気に入っているのですが」
「レイシー殿下が作られたということは知っています。素晴らしい技術だとも思っております。ですが、レイシー殿下は皇后陛下になられるのです。自分の着るものが周囲に影響を与えるのだと御自覚ください」
珍しくラヴァル夫人に叱られてしまった。
この格好はそんなにいけなかっただろうか。
しょんぼりとしてしまうわたくしに、ラヴァル夫人がため息をついて、わたくしを椅子に座らせて、隣の椅子に腰かける。
「贅沢をなさらないお心は立派だと思います。国民の支持も高くなるでしょう。その服を着るのは、皇后陛下になられたらやめてくださいね」
「はい。それまでは作業のときは着ていいですか?」
「作業のときだけですよ」
妥協してくれたラヴァル夫人にわたくしは胸を撫で下ろす。皇帝宮に来て新しい服を大量に仕立ててもらったのだが、その中にも動きやすい服や作業しやすそうな服もあるのだが、どれもあまりにも上質な生地で作られていて、汚すことに躊躇いを持ってしまうのだ。
「家庭菜園の世話をするときだけでも……」
「レイシー殿下はその服がそんなに気に入っておられるのですね。それでは本当に作業のときだけにしてくださいね。皇后陛下としての威厳が保たれませんからね」
「はい、気を付けます」
生地も使用人の制服よりも安いもので、こんなみすぼらしい恰好を妃候補がしているのは本当はラヴァル夫人にとっては許せないのだろう。それでも、わたくしの裁縫の腕は褒めてくれるし、馬鹿にしないし、ラヴァル夫人は理解がある方なのだろう。
「今日は新しい家庭教師を紹介いたします」
ラヴァル夫人が言ったときに、部屋のドアが叩かれた。ラヴァル夫人が椅子から立ち上がってドアを開けに行く。こういうときには、わたくしは妃候補なのだから自分でしてはいけないのだと習っている。
挨拶のために椅子から立ち上がると、部屋の中にラヴァル夫人と同年代の四十代半ばくらいの女性が入ってきた。
「モンレイユ伯爵家のマルティダでございます。お初にお目にかかります、妃殿下」
「レイシー・ディアンです。どうぞよろしくお願いいたします」
挨拶をすませると、ラヴァル夫人がモンレイユ夫人を紹介してくれる。
「モンレイユ夫人は皇族の家庭教師をしていた経歴もあります。わたくしの専門外のことも詳しくて、わたくしとモンレイユ夫人が交代でレイシー殿下の教育に当たらせていただきます」
「モンレイユ夫人、わたくし、しっかりと学びたいと思いますので、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします、妃殿下」
薄茶色の髪を編み上げた薄茶色の目のモンレイユ夫人は厳格そうだが、どのような授業をしてくれるのかとわたくしは楽しみですらあった。
学園に通っていたときも、わたくしは学ぶことが大好きだった。学ぶことは自分のためになるし、何より、知識が増えることが純粋に楽しい。
「わたくしは語学と音楽を中心に教えていきます。妃殿下、得意な楽器はありますか?」
「わたくし、学園では声楽を専攻しておりました。得意な楽器は特にありませんが、ピアノが少しだけ弾けます」
ソフィアには教養をつけるためにピアノを習わせていたのだが、わたくしはレッスン代がもったいなくて、ピアノも自己流でしか弾いたことがない。一応楽譜は読めるのだが、ピアノが得意かといえばそうではない。
「皇后陛下になられますと、楽器や歌を披露することもあります。これから練習していきましょうね」
「はい、お願いします」
頭を下げるわたくしに、モンレイユ夫人とラヴァル夫人はこれからのわたくしの教育計画について話し合っていたようだった。
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