3.ガーネくんとの約束
セシルの家は食堂だったので、食事は賄いで、一人分ずつ定食のようにして作っていた。
夢の中でセシルになったわたしは、久しぶりに両親が食堂を休みにして近くの町まで買い物に行ったので、それについて行っていた。
髪の色や目の色が目立つガーネくんは、帽子を作ってあげて、それを目深に被っていた。
食堂のお皿や備品などを買い足して、両親が市で食材や調味料を買いに行っている間に、わたしはガーネくんの手を引いて布や布製品を売っているお店に行っていた。
刺繍した布や布製品を買い取ってくれる店主さんは、わたしがガーネくんと一緒だというのに気付いて、声をかけてくれた。
「お嬢ちゃん、今日は弟と一緒かい?」
「そうだよ。体が弱くて外にあまり出られなかったんだけど、元気になってきたので連れて来たんだ」
「そうかい。かわいい子だね。これを上げよう」
刺繍の入った布や小物の値段を決めている間、わたしたちは店の中で待っていなければいけない。店主さんは待っているガーネくんに色とりどりの飴の入った小さな瓶をくれた。もらってもいいものか分からないガーネくんが、わたしの方を見ている。
「ガーネくん、お礼を言ってもらっていいよ」
「ありがとう、おじさん」
「どういたしまして」
飴をもらったのにガーネくんはなんだかあまり嬉しそうではなかった。瓶の蓋を開けてあげると、ガーネくんが飴を一つ取り出して、不思議そうに見ている。
「お口に入れてごらん。甘いよ」
「これ、食べられるの?」
「そうだよ」
教えてあげると、口に飴を入れてガーネくんは柘榴色の目を丸くしていた。
「甘い……おいしい」
「飴、初めて食べたの?」
「うん。ガラス玉かと思った」
これくらいのガラス玉のおもちゃもあるので、ガーネくんは瓶に入っていたのが飴だとは思わなかったようだ。
「おねえちゃんも、どうぞ」
「ありがとう」
瓶をこちらに向けるガーネくんに、わたしも一つもらって飴を舐めた。飴を舐めていると、刺繍した布と小物の値段が決まって、わたしは代金を受け取った。
店から出ると、ガーネくんがぎゅっとわたしの手を握った。
「おとうとじゃない」
「え?」
「ぼく、おとうとじゃないもん」
拗ねたように繰り返すガーネくんに、わたしは苦笑してしまう。
店の中での不満そうな顔は、弟と言われたことが理由だったようだ。
「弟ってことにしとかないと、どこの誰か探られたら、困ることがあるでしょう」
「ぼく、大きくなったらおねえちゃんとけっこんするんだもん。おとうとじゃない」
「もう、ガーネくんったら」
涙目になって一生懸命自己主張するガーネくんがかわいくて、わたしはくすくすと笑ってしまった。
「ガーネくんが大きくなったころ、わたしはおばさんだよ?」
「そんなことない。おねえちゃんはおねえちゃんだよ」
「ガーネくんよりも十歳も年上なんだよ」
「じゅっさいくらい、気にしない。おねえちゃんのことがすき」
目に涙を浮かべて真剣に言うガーネくんに、わたしは笑ってはかわいそうだと思い始めた。
「そういう大事なことは、ガーネくんが大きくなってから決めようね」
「大きくなったら、ぼくのおよめさんになってくれる?」
「ガーネくんが大きくなっても気持ちが変わらなければね」
手を繋いで歩いていると、ガーネくんが手の甲で涙を拭いて、にっこり笑ったのが分かった。
ガーネくんとずっと一緒にいられるとは思わない。
小さなかわいいガーネくんは本来いるべき場所に戻ったら、わたしのことなど忘れてしまうだろう。
それでも、今日のことはわたしだけは覚えておこうと思っていた。
目を覚ましてから、わたくしは夢の中の感覚が抜けなくて困ってしまった。
こういうことが時々ある。
ガーネくんと暮らしていたセシルがわたくしで、夢の中にいるような気持になってしまうのだ。
顔を洗って身支度を整えて、わたくしは鏡の前に立った。
セシルとよく似た容貌だが、わたくしの目はセシルと違って紫色である。
わたくしはレイシー。
レイシー・ディアン。
鏡の中の自分に言い聞かせて、食堂に行ったのだが、アレクサンテリ陛下を見た瞬間、口をついて名前が出ていた。
「おはよう、ガーネくん」
「レイシー?」
「あ!? 失礼いたしました、アレクサンテリ陛下」
間違えてしまった。
真っ赤になって慌てて訂正するわたくしに、アレクサンテリ陛下が悪戯っぽく笑う。
「ガーネでも構わないのに。おはよう、お姉ちゃん」
「もう、言わないでください。夢を見たので感覚がおかしくなってしまったのです」
赤い顔を両手で隠すわたくしに、アレクサンテリ陛下が問いかけてくる。
「セシルの夢は頻繁に見るのかな?」
「夢を見ないで眠る日はありますが、夢を見て眠る日は大抵、セシルの夢を見ています」
「今日はどんな夢を見たのか教えてくれる?」
アレクサンテリ陛下に聞かれて、わたくしは説明した。
「ガーネくんと町に両親と買い物に行ったときの夢でした。セシルが布のお店に刺繍をした布や小物を売りに行っていたら、ガーネくんが拗ねてしまって」
「その日のことは覚えている。セシルはわたしのことを『弟』と紹介したのだ」
「お嫌でしたか?」
「わたしはセシルと結婚するつもりだったから、弟のように思われていると認めるのはショックだったな」
六歳だったがガーネくんだったアレクサンテリ陛下はあのときのことをはっきりと覚えているようだった。
十六歳の少女が六歳の男の子に結婚したいと言われて、いい返事をするわけがないのだが。
「今は逆だな」
「そうですね。アレクサンテリ陛下の方が十歳年上で、わたくしの方が年下ですね」
そのことに今気づいたわたくしが口にすると、アレクサンテリ陛下の表情が曇る。
「わたしは、『おじさん』だろうか?」
「そんなことはありません。アレクサンテリ陛下はお若いですよ」
「わたしと結婚するのは嫌ではない?」
「嫌ではないです。最初は驚いていましたが、今では結婚できることが嬉しいです」
夢の中でセシルは、ガーネくんが大きくなったころには自分はおばさんだと言っていた。それをアレクサンテリ陛下は気にしているのだろう。
アレクサンテリ陛下はわたくしよりも十歳年上だが、おじさんというわけではなく、若く凛々しい格好いい男性だ。顔立ちも美しくてまばゆいほどで、とてもおじさんなどと呼べない。
そのことを考えながらアレクサンテリ陛下の顔を見ていると、アレクサンテリ陛下がそれに気付いてにっこりと笑う。色素が薄いので目元が朱鷺色に染まるのでそれもとても美しい。
「アレクサンテリ陛下はとてもお美しいです。『おじさん』なんかじゃないです」
「セシルもわたしと同じ年になっても、『おばさん』になどならなかったのに。まぁ、今はレイシーがそばにいてくれるから、構わないか」
セシルのことを話すとき、アレクサンテリ陛下は懐かしさと共に苦しいような表情をする。目の前で死んでしまったセシルのことをずっと想っているのだろう。
わたくしはセシルの記憶を持っているとはいえ、セシルではない。死んでしまったセシルの分だけ空いてしまったアレクサンテリの胸の中を、生涯埋めることはできないのだろう。それでもアレクサンテリ陛下に寄り添って一緒に生きることはできる。
「ずっとおそばにいます」
皇后になることを決めたのだ。
わたくしはアレクサンテリ陛下の隣に生涯立ち続ける。
その覚悟を決めたのだ。
わたくしはアレクサンテリ陛下の唯一の妻になるのだ。
「アレクサンテリ陛下のお嫁さんになってあげますね」
「嬉しいよ、レイシー」
夢のガーネくんの言葉を借りて言えば、アレクサンテリ陛下が嬉しそうに微笑んだ。
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