26.わたくしの微熱
婚約式から約一か月、お誕生日のお茶会の準備に忙しくしていたからかもしれない。
ソフィアが帰ってから、わたくしは体調を崩して微熱を出してしまった。
朝起きたときからだるくて、食欲がなかったので朝食の席に行けないことをアレクサンテリ陛下に伝えてもらうように侍女に言えば、アレクサンテリ陛下が直々に朝食を持って部屋までやってきた。
ワゴンを押しているのは侍女だが、その上に乗っているトレイを持ち上げて、アレクサンテリ陛下はわたくしの部屋のソファセットのテーブルに朝食を並べてくれた。
いつもと違うお粥とスープとヨーグルトと果物の朝食を食べている間も、アレクサンテリ陛下は落ち着かない様子でわたくしを見つめ、侍女に医者を呼ぶように言っていた。
朝食はほとんど食べられなかったが、水分だけはきっちりと取っていると、女性の医者が呼ばれて、アレクサンテリ陛下同席のもとで診察をされた。
「妃殿下、大変失礼を致しますが、月のものは……」
「ちゃんと来ています。妊娠はしていません」
わたくしは妃候補なのだから、アレクサンテリ陛下とそのような関係にあってもおかしくはないと思われているのだろう。恥ずかしいが、診察なので正直に答える。
熱を測られて、それほど高くないが発熱していることを確認すると、医者はいくつかの薬を処方してくれて、アレクサンテリ陛下に報告していた。
「過労かと思います。皇宮に来られて三か月、緊張しておいでだったのでしょう。ゆっくり休めば治ります」
「大事はないのか?」
「はい。栄養を取って休むことが重要です」
「分かった。また何かあったらすぐに呼ぶ」
「いつでもお呼びください」
医者は深く頭を下げて部屋を出て行った。
薬を飲んで休もうとするわたくしに、アレクサンテリ陛下が苦しそうに言う。
「ずっとついていたいが、執務がある。また様子を見に来るので、何かあったらすぐに侍女に伝えるように」
「少し熱が出ただけです。アレクサンテリ陛下、平気です」
「レイシーが死んでしまったら、わたしは今度こそ生きていけない。安静にしていてくれ」
「微熱だけです。アレクサンテリ陛下、大袈裟です。大人しくしているので、執務頑張ってきてください」
心配でそばを離れたくなさそうなアレクサンテリ陛下にわたくしが微笑んで「行ってらっしゃいませ」と伝えると、アレクサンテリ陛下は名残惜しそうに「行ってくる」と言って部屋から出て行った。
わたくしはベッドに戻って、体を休めた。
眠っていると、わたくしは夢を見ていた。
夢の中では、わたくしはセシルになる。
夢の中で熱を出して苦しそうにしているのはガーネくんだった。
あれはガーネくんを保護してすぐのころのこと。
体中に小さな傷があって、右肩には深い傷のあったガーネくんは、熱を出して寝込んだ。
わたしはガーネくんをわたしのベッドに寝かせて、水で濡らしたタオルで汗を拭いてやり、傷口を清潔なガーゼで押さえて処置していた。
辺鄙な村なので、医者はいなくて、怪我や病気をすると近くの町まで出て行かねばならなかった。わたしの家には医者を呼ぶような余裕もなく、ガーネくんの傷も、きれいに洗って清潔なガーゼで押さえるくらいしか処置ができなかった。
「ガーネくん、苦しい?」
「おねえちゃん、お水……」
「お水、飲める?」
ガーネくんの背中を支えて上半身を起こしてあげて、カップを口に近付けると、ガーネくんがごくごくと水を飲んだ。水分はちゃんと補給できそうだ。
「何か食べられそう?」
「ちょっとおなかすいた」
熱を出しているが食欲もあるようなので、わたしは居住空間の下にある一階の両親の営んでいる食堂に行って、スープをもらってきた。
スープを吹いて冷まして口元に持って行くと、スプーンからゆっくりと飲んでくれる。
時間はかかったが深皿に入っていたスープが全部飲めて、わたしは安心していた。
「ガーネくんは強いね。これなら、早く治るよ」
「おねえちゃん、ぎゅってして」
「いいよ。抱っこしてあげる」
甘えてくるガーネくんは心細いのだろう。
添い寝をしてぎゅっと小さな体を抱き締めると、しっかりとしがみ付いてくる。
「ぼくのお父さん、死んじゃったかもしれない」
「え?」
「お母さんも」
「ガーネくん?」
うわごとのように呟くガーネくんの柘榴色の目から涙がぽろぽろと零れる。
「おねえちゃんは、いなくならないで」
「わたしはどこにも行かないよ」
「おねえちゃんは、ずっと一緒にいて」
涙を流すガーネくんの顔を拭いてあげながら、この子は両親を殺されて逃げてきたのかもしれない、複雑な事情があるのかもしれないと思っていた。
目を開けるとじっとりと汗をかいていて、わたくしは気持ち悪くて侍女を呼んだ。
桶にタオルを用意してもらって、タオルを濡らして絞って、体を拭いて着替える。着替えるとさっぱりして気持ちよくなった。
熱も下がっているように思える。
今何時くらいだろうと考えていると、侍女がアレクサンテリ陛下の来訪を告げた。
いつもは部屋に入ってこないし、寝室になど絶対に入らないアレクサンテリ陛下が、寝室に入ってくる。
わたくしはベッドに座っていたが、アレクサンテリ陛下はわたくしに横になるように指示をする。
「安静にしていてくれ」
「もう熱も下がったようです。大丈夫です」
「心配なのだ。横になっていてくれ」
そこまで言われると抵抗するのも申し訳なくなる。ベッドに横になると、アレクサンテリ陛下は大きな手でわたくしの額に触れた。熱を測っているようだ。
「まだ、少し熱いな。昼食はなにか食べられそうか?」
「普通に起きて食べに行けると思います」
「無理はしなくていい。部屋に運ばせる。スープや粥がいいだろうな」
「それでは、ソファに移ります」
さすがにベッドで食事をするわけにはいかないと、寝室を出てソファに座ると、侍女にスープやお粥や果物を持って来てもらったアレクサンテリ陛下が、自然にスプーンでスープを掬ってわたくしの口元に差し出してきた。
「自分で食べられます」
「熱を出したとき、セシルはこうしてくれた。わたしは嬉しかった」
「そのとき、アレクサンテリ陛下は六歳だったでしょう? わたくしはもう十九歳なのですよ」
「わたしもレイシーを看病したい」
どうしても引かないアレクサンテリ陛下に、わたくしは恥ずかしかったが口を開けてスープを飲ませてもらった。
スープだけで、お粥までは食べられなかったが、食後の果物は美味しくいただいた。きれいに剥かれた洋ナシを、アレクサンテリ陛下はわたくしの口まで運んでくれた。
これはいわゆるあーんというものではないだろうか。
考えると恥ずかしくなるので、わたくしは心を無にして洋ナシを味わった。
食事が終わると、歯を磨いて、またベッドに向かわされる。
もう大丈夫だと言ってもアレクサンテリ陛下は全く聞いてくれなかった。
その一日で熱は完全に下がったのだが、アレクサンテリ陛下はわたくしのことをとても心配して、次の日まで休むように仰った。
次の日も、三食アレクサンテリ陛下に食事を口まで運ばれて、夜に呼ばれた医者が完全にわたくしが健康体であることを証明してくれるまでは、アレクサンテリ陛下の過保護は続いた。
それも仕方がないのかもしれない。
アレクサンテリ陛下は、六歳で初恋の相手だったというセシルを目の前で殺されている。
大切な相手の死に対して、アレクサンテリ陛下が過敏になっていても仕方がない。
「微熱程度で死なないんですけどね」
苦笑しつつ、明日は自由に動けそうなので、わたくしは作業室に行って刺繍を習うのと、中庭の家庭菜園の世話と、ラヴァル夫人の妃教育が再開できそうで、ほっとしていた。
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