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そのご寵愛、理由が分かりません  作者: 秋月真鳥
一章 ご寵愛の理由
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21.右肩の傷

 夢の中のガーネくんは右肩に刺されたような傷がある。

 その傷はガーネくんが逃げて来たときに付けられたもののようだった。


 その傷のことに関しても、自分の本当の名前に関しても、自分がどのようにしてこの国境の村に辿り着いたかに関しても、ガーネくんは絶対に語らなかった。

 わたしが知っているのは、ガーネくんが移動途中に襲われて、周囲のひとはみんな殺されてしまって、ガーネくんは自分のことが分からないように服も靴も脱いで逃がされたということだけだった。

 下着一枚で村外れに倒れていて、体中が小さな傷でいっぱいだったガーネくんも、わたしに保護されて二か月が経つころには小さな傷はすっかりと治っていた。

 ただ、肩の傷だけは痕が残っていた。


 ガーネくんをお風呂に入れてあげるときに、引きつったようなその傷を見るたびにわたしの心が痛む。


「おねえちゃんのかみの毛、洗ってあげる」

「それじゃ、洗ってもらおうかな」

「おねえちゃんは、ぼくのかみの毛洗ってね」


 六歳児なので一人でお風呂に入れるわけにはいかないし、洗っていると濡れてしまうのでわたしはガーネくんと一緒にお風呂に入っていた。

 ガーネくんは小さくて色素が薄くて肌の色が透けるように白い。

 わたしの方が日焼けして肌の色が濃いくらいだった。


 ガーネくんはこの家に来た最初は何もできなかったが、少しずつできることが増えている。

 食事の後には食べ終わった食器をキッチンに持って行くことができるようになったし、着替えも最初は自分でできなかったが一人でできるようになっていた。

 何もしたことがない様子からやはり貴族の子息なのではないかと思うのだが、今はクーデターも起きているし、ガーネくんの安全のためにも騒ぎ立ててガーネくんの素性を調べたりしない方がいいというのが両親の考えだった。


 ガーネくんの小さな手が丁寧にわたしの髪を洗う。伸ばしている黒髪は背中まであるが、ガーネくんは一生懸命洗ってくれた。

 わたしはガーネくんの髪を洗ってあげる。肩くらいまで伸びている銀髪は、さらさらとして指通りのいい髪を洗っていると、ガーネくんが心地よさそうに目を瞑っている。


 小さくてかわいいガーネくん。

 どんな事情があってこの村に逃げてきたのかは分からない。

 その右肩に残る引きつった傷跡が、ガーネくんの人生が平坦ではないことを告げているようだった。



 お誕生日のお茶会に着るドレスに刺繍を許された。

 ドレス自体は仕立て職人さんたちが作るのだが、刺繍はわたくしがしていいということになった。

 新しくドレスを誂えるなんてもったいないような気がするのだが、妃候補なので仕方がないのだろう。

 淡いラベンダー色に薄い赤の差し色が入ったドレスは、皇太后陛下とお茶をしたときのものと似ていたが、デザインは違う。

 わたくしは仕立て職人さんの作業室に行って、刺繍をさせてもらうことにした。


 ディアン子爵家から持ってきた服を着ていると、わたくしはすっかりと使用人のようである。皇宮の使用人は身分のしっかりしたものが多く、皇帝宮の仕立て職人さんともなると、貴族の出身の方も少なくはない。その中に貧乏子爵家のわたくしが混じるのだ。汚れないように配慮したわたくしの格好は使用人にしか見えないだろう。


「刺繍の図案は皇帝陛下から妃殿下のお好きなものをと言われていますが、候補がありますか?」

「特に決めていません。何かいいものがありますか?」

「淡い色のドレスなので、白い糸で模様を描くのはどうですか?」

「どのような模様ですか?」


 わたくしが問いかけると、仕立て職人さんは模様の図案をいくつか見せてくれた。花と茎が絡まるような図案が気に入って、わたくしはその模様を刺繍することに決めた。

 縫っていると、仕立て職人さんが教えてくれる。


「こちらの縫い方は特殊になっております。このように針を運んで糸を通します」

「この縫い方は初めて知りました」


 やはり自己流で縫っていたわたくしはまだまだ知らないことが多いようだ。

 仕立て職人さんから学べることは学んでいきたいと思っていた。


 午後からはラヴァル夫人が来て、妃教育の時間になったが、お茶の時間にはアレクサンテリ陛下が帰ってきたので、ラヴァル夫人は今日の妃教育を終えて、帰って行った。ラヴァル夫人を見送り、アレクサンテリ陛下を迎え入れる。


「おかえりなさいませ、アレクサンテリ陛下」

「ただいま、レイシー。少し休憩ができそうだったのでお茶を一緒にしようかと思ってきたよ」

「嬉しいです」


 最近アレクサンテリ陛下のお顔を見ると心拍数が上がるのだが、どうしてだろう。アレクサンテリ陛下のお顔がよすぎるからかもしれない。輝かしい眩しいくらいの美形だからわたくしの胸もおかしくもなる。


「レイシー、会いたかった」

「朝食をご一緒しましたよ」

「少しでも離れているのが寂しかった。早くレイシーの元に帰りたかった」


 甘えるようなことを言ってくるアレクサンテリ陛下は、微笑んでいて、目元が朱鷺色に染まっている。肌の色が薄いから感情が目元に出やすいのだろう。

 お茶室に移動して紅茶を侍女に注いでもらって、受け取ろうとしたときに侍女が手を滑らせてしまってカップを落としそうになった。カップには熱い紅茶が入っている。

 絶対に火傷したと目を閉じて覚悟した瞬間、アレクサンテリ陛下がわたくしを引き寄せた。

 カップの紅茶はわたくしではなく、アレクサンテリ陛下の右腕にかかってしまった。


「火傷を!? アレクサンテリ陛下、脱いでください」


 入れたての紅茶は相当熱い。火傷をしてしまったのではないかとアレクサンテリ陛下のジャケットとシャツを脱がせて、お湯を被ったところを見ようとした瞬間、アレクサンテリ陛下の右肩をわたくしは見てしまった。


 引きつったような突き刺した古傷。

 それはわたくしが夢の中で見たことのある形だった。


「アレクサンテリ陛下……」

「レイシー、すまない、冷やしてくる。着替えて戻ってくる」


 立ち上がったアレクサンテリ陛下が、ジャケットとシャツを半分脱がされて、半裸状態になっていることに気付いて、わたくしは心の中で叫んだ。


 ぎゃー!?

 緊急事態とはいえ、わたくしはなんてことをしてしまったのでしょう。

 アレクサンテリ陛下を脱がせてしまった。


「も、申し訳ありません! しししししし、失礼します!」


 走って自分の部屋に戻ってしまったわたくしは、部屋でソファに倒れ込みクッションに顔を埋めていた。

 アレクサンテリ陛下の逞しいお胸とか、筋肉のついた二の腕とか、白い腕とか、生で見てしまった。

 なんてことをしてしまったのだろう。


 何より、あの古傷はなんだったのだろう。

 夢の中でガーネくんの右肩に残っていた傷と全く同じように見えた。


 あれはただの夢ではなかったのだろうか。

 ガーネくんが、アレクサンテリ陛下?


 いや、ないない!

 そんなはずはない。

 あれはただの夢だし、ガーネくんは小さくてかわいくて、まばゆいほどに美しいアレクサンテリ陛下とは全く違う。


 そう思うのだが、アレクサンテリ陛下の素肌を見てしまったことと、夢の中のガーネくんの右肩の傷とアレクサンテリ陛下の右肩の傷が同じに思えて、わたくしはもう何を考えていいのか分からずに、ソファでクッションに顔を埋めてじたばたと悶えたのだった。


 火傷の処置と着替えを終えたアレクサンテリ陛下は、わたくしの部屋を訪ねてきた。

 わたくしは自分のしでかしてしまったことで、頭がいっぱいで挙動不審になりつつ、アレクサンテリ陛下に対応した。


「火傷は大したことはなかった。水膨れにもなっていない。少し赤くなった程度だ。レイシーがとっさの判断で素早く脱がせてくれたおかげで、ジャケットからシャツまでほとんどしみ込まなかったようだ。ありがとう」

「緊急事態とはいえ、アレクサンテリ陛下を脱がせるようなことをしてしまい、大事なお体を晒してしまって大変申し訳ありませんでした」

「わたしは男性だし、レイシーに脱がされるのは嫌ではないから、気にしなくていいよ」


 レイシーに脱がされるのは嫌ではない。

 なんだかものすごく問題発言をされてしまった気がする。


 わたくしが震えていると、アレクサンテリ陛下はわたくしの肩に手を置いて、優しくそこを撫でる。


「本当に気にしていないから、レイシーも気にしないでほしい。レイシーが無事でよかった」

「助けていただいてありがとうございました」

「レイシーの肌に火傷の痕など残ったら悲しいからね」


 穏やかに対応してくれるアレクサンテリ陛下の前で、わたくしは心の中で嵐が吹き荒れるようだった。


読んでいただきありがとうございました。

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