2.婚約破棄と突然の求婚
学園の卒業式が終わって、わたくしは卒業パーティーに出るために部屋で着替えていた。寮の部屋を使うのもこれで最後になる。同室のソフィアがわたくしの仕度を手伝ってくれた。
ソフィアはまだ四年生なのだが、成績優秀者として在校生代表として卒業パーティーに出席する。
わたくしのドレスもソフィアのドレスも、わたくしが仕立てたものだった。仕立て職人を呼んで誂えさせるなど、我が家の財政では厳しかったし、中古のドレスを着るのは流行遅れがよく分かってしまうので恥ずかしすぎる。それくらいならわたくしがドレスくらい仕立てる。
いい生地は買えなかったが、刺繍とレース編みで豪華に仕上げたドレスは、仕立て職人が誂えたものに見劣りしないと自負していた。
わたくしのドレスはラベンダー色、ソフィアのドレスは薄桃色。わたくしは黒髪をハーフアップにして、ソフィアは金髪を清楚にまとめて、卒業パーティーに出席した。
卒業パーティーは卒業生はそれぞれパートナーを伴ってくる。
わたくしは婚約者のレナン・ドルベル男爵令息がエスコートしてくれるはずだったが、全く現れないので、訝しく思いながらもソフィアと共に会場に入った。
会場は普段は講堂として使われている場所で、今日は音楽隊も呼ばれてパーティー形式になっている。
音楽隊に合わせて踊っている男女の中にレナン殿を見つけて、わたくしは呆気にとられた。
女性の中ではそこそこ身長が高いので、わたくしは踵の高い靴を履かない。それは、婚約者のレナン殿があまり身長が高い方ではないことをコンプレックスに思っているからだった。
レナン殿はわたくしに気付くと、ダンスの輪から外れて、真っすぐにこちらに歩いてきた。その腕にはブルネットの胸の大きな女性がまとわりついている。
ちなみにわたくしの胸はささやかである。ディアン子爵家が貧しかったのでそうなのかと思っていたが、ソフィアはそんなことがなくてそこそこ豊かなので、わたくしはそういう遺伝子なのだろう。
「レナン殿はお姉様の婚約者だと思っておりましたが、その方はどなたですか?」
棘のある口調で言ったのはソフィアだった。ソフィアはわたくしがレナン殿と婚約したときからレナン殿が気に入らない様子だった。レナン殿はディアン子爵家が貧しいのを揶揄するような発言をしたり、わたくしではなくソフィアと婚約したかったなどと堂々と口にするような相手だった。
「これはこれは、ソフィア嬢、レイシー嬢、ご紹介が遅れましたね。彼女はエミリー・モロー。モロー商会のご令嬢ですよ」
この学園は基本的に貴族しか入学することはできないが、成績のいい平民の特待生が入学することが稀にあった。しかし、エミリー嬢はそうではなさそうだ。
モロー商会のエミリー嬢など、この学園で名前を聞いたことがない。
「ディアン子爵家に婿入りしたら、レナン様は御苦労なさるでしょう? それで、賢明な判断をなさいましたの」
「どういう意味ですか?」
「レイシー嬢との婚約を破棄して、わたくしと結婚するんです」
「何を言っているか分かっているのですか? あなたはディアン子爵家を侮辱しているのですよ?」
「貧乏子爵家ごとき、わたくしには怖くもなんともありませんわ。ねぇ、レナン様もそうですわよね?」
怒りに燃えるソフィアが噛み付いていくのに、エミリー嬢は下品に胸の大きく開いたドレスを強調し、どぎつく赤く塗られた唇を歪めて笑った。
「レナン殿、わたくしとの婚約は破棄したいとそういうことですね?」
「ディアン子爵家は一昔前までなら皇帝一族に恩のある素晴らしい家柄だったかもしれませんが、今はドレスの一枚も誂える資金がないのでしょう? そのドレスも素晴らしい出来ですが、レイシー嬢のお手製と思うと」
「あら、素敵なご趣味ではないですか。ぜひわたくしの結婚衣装も作ってほしいものですわ」
笑いものにされていると分かっていたが、わたくしの心はそれに構っている余裕はなかった。
婚約が破棄される。
元々政略結婚なんて嫌だった。
婿など取らずに一人で家を守っていければと思っていた。
これは絶好のチャンスなのではないだろうか。
婚約を破棄されたわたくしに、新しい縁談が来ることはほぼないだろう。わたくしには婚約を破棄されたという瑕疵がついたのだ。
これを利用すればわたくしは一生独身のまま、家を継いで自由にスローライフが送れるのではないだろうか。
田舎にあるディアン子爵家の庭を全部家庭菜園にして、野菜を育て、刺繍をして家計を支え、領地経営もそれなりにしていけばいいのでは。
後継者は、ソフィアの子どもを養子にもらえばいい。
「婚約破棄に関しては、両親に申し出てください。慰謝料をしっかりといただきます」
しかも慰謝料まで入って新しい生活を始められるなんてわたくしはなんてラッキーなんだろう。
天にも昇る心地で、喜びを抑えつつ、沈痛な面持ちを作って告げた瞬間、後方の高い位置から声が上がった。
「婚約を破棄されたのならば、レイシー・ディアンにわたしが求婚することも許されるな?」
え?
誰?
そういうの、いらないんですけど!
もうお一人様ライフを楽しむつもりだったわたくしに声をかけてきた相手が誰か、確かめようと振り返ると、レナン殿が顔を真っ青にして膝を突いている。エミリー嬢も、周囲の貴族たちも、みんな床に膝を突いて頭を深く垂れていた。
振り返って見たのは、白銀の髪を長く伸ばした、真紅の瞳の長身の男性だった。
白い衣装に赤と金で縁取りがされている。
「皇帝陛下……」
ぽかんと口を開けたソフィアが呟いた。
え!?
皇帝陛下!?
慌ててわたくしとソフィアも膝を突いて深く頭を下げようとすると、皇帝陛下の大きな手がわたくしの二の腕を掴んで立たせた。力強い腕に支えられて、逃げることができない。
「わたしはアレクサンテリ・ルクセリオン、ご存じの通り、この国の皇帝だ」
「あの、手を……」
「レイシーは婚約を破棄されて婚約者がいなくなったのだな?」
「は、はい」
「それでは、わたしと結婚してくれないか?」
えぇー!?
わたくし、完全にお一人様として生涯生きることを決めてその計画まで頭の中で立てていたのですが?
皇帝陛下と結婚するということは、どういうことですか?
「側妃になれ、ということですか?」
驚きすぎて声が出ないわたくしの代わりに、ソフィアが地を這うような低い声で問いかけている。膝を突いて頭を下げたままだが、ソフィアが怒りに燃えてるのはわたくしも感じる。
「わたしは側妃は持つつもりはない」
「それでは、妾ですか?」
「皇后になってほしいと言っているつもりだが?」
皇后!?
ちょっと何を言っているのか分からないんですけど。
わたくし、片田舎の貧乏子爵家の長女で、皇帝陛下に会ったのなんて、十五歳のデビュタントのときにご挨拶したくらいで、それ以外話したことも、接触したこともない。
貴族は十五歳になるとデビュタントといって社交界デビューをするのだが、そのときに皇帝陛下にご挨拶をするのだ。男性は片膝を突いて、女性はカーテシーで。
その年十五歳になる貴族が集まってくるのだから、挨拶は一瞬で、「皇帝陛下におかれましてはご機嫌麗しく」と言ったのくらいしか覚えていない。
そのときもほとんど顔を見られなかったので、皇帝陛下のお顔をまともに見るのは初めてだった。
眩しいほどに整ったお顔立ち。
「わたくしが、皇后? 誰か違う方とお間違いでは?」
「レイシー・ディアン、あなたがいいのだ」
レイシー・ディアン。
それは確かにわたくしの名前だった。
どうしてこんなことになっているのか分からないけれど、皇帝陛下にはどうか手を放してほしい。
蚊の鳴くような声でそれだけは言えたようだった。
皇帝陛下はご自分のために用意された席に、わたくしを連れて行った後で、手を放してくれた。
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