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そのご寵愛、理由が分かりません  作者: 秋月真鳥
アレクサンテリ視点
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60.レイシーと決断

 レイシーを休ませておくことについて、宰相で叔父のカイエタンからも、側近のユリウスとシリルとテオからも文句は出なかったのだが、一番説得に困ったのはレイシー自身だった。


「年明けのパーティーは休んでも構わない」

「いいえ。出させていただきます。わたくしは皇后なのです」

「レイシー、お願いだから休んでいてほしい。レイシーにもしものことがあったら困る」


 わたしは止めるのだがレイシーは皇后という地位に拘っているようだった。

 この件に関して、わたしは相談できるものがいなくて、こっそりと母を呼び出した。


「母上、レイシーが皇后として年明けのパーティーに絶対に出ると言うのです。妊娠しているのに危なくないでしょうか」

「わたくしは皇帝陛下を妊娠しているときに、早産や流産の可能性があるので、ベッドから離れないように言われていました」

「レイシーは……」

「皇后陛下は医者からどう言われているのですか?」


 それを聞かれるとわたしも答えにくいところがある。


「安定期に入っていて、少し動いた方がいいとは言われています」

「皇后陛下とわたくしのときとは全く違うようですね」

「ですが、母上、妊娠や出産は何が起きるか分からないものです」


 わたしが不安を吐露すると、母はわたしにはっきりと言った。


「皇帝陛下、あなたはわたくしのときのことを考えて、不安になりすぎているのではないですか?」

「レイシーにも過保護だと再三言われています」

「妊娠中でも働く女性はたくさんいます。皇后陛下に対しても、配慮をすれば問題なく年明けのパーティーに出席できるのではないですか?」

「配慮とは?」


 具体的にどのようなことをすればいいのか母に聞こうとすれば、母はわたしに教えてくれる。


「妊娠中は匂いに敏感になるものです。この国では貴族たちは香水をつけるのが嗜みとなっているでしょう。それを今回、禁止してみてはどうですか?」

「そうすればレイシーは気分が悪くなることはないと」

「飲み物も、皇后陛下が飲めるものだけにして、会場で出すものも全てアルコールを避けて、万が一にも皇后陛下がアルコールを召し上がらないようにするのです」


 元からレイシーはアルコールに弱いし、妊娠している状態でアルコールを飲むのは危険だと聞いている。


 香水を禁止して、会場にアルコールが絶対に持ち込まれないようにして、レイシーの飲み物は厳重に警戒させる。それだけでもわたしの不安は少しは減るかもしれない。

 母のことはずっと距離を置いてきたが、やはりわたしの母だった。

 こういうときに頼りになるのは身内だとよく分かった。


「母上、わたしは皇帝に即位する前に、寝室に薄着の令嬢が入ってきたことがありました。それを母上が手引きしたのではないかと思っていたのです」

「わたくしはそのようなことはしておりませんが、皇帝陛下がいつまでも女性に興味を示さないことを心配はしていました。疑われても仕方がないと思っております」

「今になって、わたしは母上を頼れる相手だと思っている。ずっと疑っていたことを許してください」

「許すなど……わたくしも、前皇帝陛下が亡くなって、皇帝陛下しかいなくなって、とても寂しく苦しかったのです。皇帝陛下にとってよい母ではなかったかもしれません。それでも、今になって皇帝陛下がわたくしを頼ってくださること、とても嬉しく思っています」


 レイシーが妊娠しなければ、母に相談することはなかっただろうし、母と和解することもなかっただろう。

 わたしはレイシーに感謝しつつ、年明けのパーティーの準備を進めることにした。


 年明けのパーティーでは賓客にもアルコールは出されなかった。ジュースや果実水だけのパーティーで、香水もつけることを禁止していたが、レイシーのために文句など言わせなかった。


「今年は国境の村に工場が建つ。国民にとっても働く場所が増える年になるだろう。他の領地にも寮付きの工場を作ることを申請すれば援助するつもりである。今年も国民全員にとって素晴らしい年になるように」


 乾杯をするのも葡萄酒ではなくて葡萄ジュースだったが、どこからも文句は出ない。

 皇帝の玉座と皇后の椅子に並んで座りながらレイシーと乾杯をして、レイシーが果実水を飲んでいると、小さく声を上げた。


「あ!」


 レイシーの体に何かあったのだろうか。


「レイシー、体調が悪くなったか?」

「いえ、アレクサンテリ様、その……お耳をよろしいですか?」

「なにかな?」


 不安になるわたしに、レイシーが小声で伝える。


「赤ちゃんが、動きました」

「本当か!?」


 レイシーのお腹は膨らみを持つようになっていた。そこに触れると子どもの動きが感じられる。

 レイシーのお腹の内側から、叩くような衝撃が伝わってきた。


「動いた! レイシー、赤ん坊が動いた!」


 思わずレイシーを抱き上げて喜んでしまったわたしに、賓客からざわめきが聞こえる。


「皇后陛下のお腹のお子が動いたと仰られている?」

「皇后陛下のお腹のお子は元気だということですね!」

「新年からなんとめでたいことでしょう!」

「お腹のお子も新年を祝っているのでしょう!」


 年明けのパーティーという公式の場に関わらず喜んでしまったわたしの態度はよくなかったかもしれないが、普段は感情も表情も見せないわたしが感情を露わにしていることに賓客たちは驚きつつ、歓迎してくれたようだ。


「皇帝陛下ともあろうものが……」

「なんとはしたない」


 陰口も聞こえてくるが、それはそばにいたユリウスに視線を向けてすぐに黙らせることに成功した。

 レイシーのお腹の中の子どもは元気に育っている。

 そのことが嬉しくて、わたしは涙ぐんでしまうほどだった。


 胎動があったので、わたしは年明けのパーティーが済むとすぐに医者に連絡していた。

 レイシーはその間、動くお腹の子どもにお腹をさすりながら語り掛けていた。


「アレク様、声をかけると赤ちゃんが落ち着く気がします」

「そうなのか」


 気が気ではないわたしに、医者が定期健診を終えて、レイシーの体には何の問題もないことを伝えてから説明してくれる。


「お腹の中の赤ん坊は外の音が聞こえているといいます。語り掛けると落ち着くこともあるでしょう」

「声が聞こえているのか?」

「そうだと言われています」


 男の子かも女の子かも分からない子どもは、お腹の中で声が聞こえているようだった。

 医者が帰った後でわたしはレイシーのお腹に話しかけてみる。


「父上の声が聞こえているか?」

「アレク様が話しかけたら、声を覚えてくれるかもしれませんね」

「わたしの声で眠るようになるだろうか。何を語り掛ければいいのかよく分からないのだが」

「わたくし、小さなころ絵本が大好きでした。赤ちゃんも絵本を読む声が聞こえたら心地よく感じるのではないでしょうか」

「絵本をすぐに取り寄せさせよう」


 胎動はレイシーにとってはかなりの衝撃のようだから、和らぐと落ち着くのではないだろうか。そのためにもわたしは大量の絵本を皇帝宮に届けさせた。

 生まれてくる子どものためには、子ども部屋が用意されている。レイシーはそこで寛いで子どものための服を縫ったり、靴下を編んだりしている。

 その子ども部屋に大量の絵本を入れさせて、わたしは何冊か絵本をレイシーのお腹に向かって読んで聞かせた。

 色々な絵本があるが、わたしが読み始めると、レイシーのお腹には変化があるようだった。


「アレク様が絵本を読むと、赤ちゃんの胎動が緩やかになります。アレク様のお声が止まると、また活発になります」

「わたしの声は届いているのだな」

「はい、間違いなく」


 それを確認して、わたしは絵本を読み聞かせる。

 どうかレイシーを苦しませずに生まれてきてほしい。お腹の中にいるときも、少しでもレイシーが楽でいられるようにしてほしい。

 願いを込めて読む絵本の中で、お腹の赤ん坊が特に好きなものが二冊あった。

 小さな子どもがお風呂に入る絵本と、靴が生きているかのように歩いていく絵本だった。それらは擬音がたくさん入っていて、それが赤ん坊のお気に入りのようだった。


「どうも、赤ん坊はこの絵本とこの絵本が好きなようだ」

「音が面白いからではないですか?」


 レイシーもこの絵本の特徴に気付いている様子だった。

 わたしは赤ん坊に語り掛ける。


「また父上が絵本を読んであげるからね」


 どうか、無事に生まれてほしい。

 レイシーも無事でいてほしい。

 そう思うのだが、レイシーか子どもか選ばなくてはいけない夢は、日に日に酷くなるばかりだった。


「皇帝陛下、ご決断を」


 医者が冷酷にわたしに言う。


「無理だ! 選べない!」

「選ばなければどちらも失うだけです。皇后陛下か、お子か、どちらかを選んでください」


 医者の言葉にわたしは両手で顔を覆って涙を流す。

 こんなに残酷なことがあっていいものなのか。レイシーを諦めることはできないし、赤ん坊を諦めることもできない。

 それでも、どちらかを選ばなければどちらも死んでしまう。


「レイシー、嫌だ、死なないでくれ」

「皇后陛下を選ぶということですね?」

「それは……」

「皇帝陛下が選ばれた! すぐに処置を!」

「待ってくれ! 頼む、待ってくれ! レイシー!」


 わたしは選べていないのに、医者が勝手に判断して処置を行ってしまう。


「今回は残念でしたが、皇后陛下はまだお若いので、次があります」

「次など……」


 赤ん坊が死んでしまってレイシーはどれほどショックだろう。次があるなどとわたしは言えなかった。

 わたしが選んだのだという罪悪感が胸に募る。

 わたしに全ての責任がある。


 目を覚ますと、レイシーも目を覚ましていた。

 起き上がってお腹をさすっている。

 どこか悪いのだろうか。

 夢の中の残酷な光景がよみがえって、わたしは青ざめた。


「レイシー、眠れないの?」

「赤ちゃんが蹴ってきて……あ、お手洗いにも行きたくなりました」

「行っておいで」


 できるだけ優しい声で言うと、レイシーはお手洗いに行ってくる。その間にわたしは子ども部屋から絵本を持ってきていた。赤ん坊が気に入っている二冊の絵本だ。


「絵本を読んだら大人しくならないだろうか。わたしが読んでいる間、レイシーは眠っていていいから」

「赤ちゃんを眠らせるときに絵本を読みますから、効果があるかもしれません。でも、眠っていていいのですか?」

「うるさくしないから大丈夫だよ」


 静かな声で読み聞かせると、お腹の赤ん坊が大人しくなったのか、レイシーは眠ってしまった。レイシーが眠ってからも、わたしは何度も絵本を読み聞かせた。

 夢で見た光景を消そうと必死になるあまり、眠れなかったのだ。


 朝になってレイシーがわたしを心配して来ていた。


「アレク様の睡眠時間を奪うわけにはいきません」

「気にしないでほしい。わたしはお腹で赤ちゃんを育てられない。わたしにできるのは、レイシーを少しでも安らがせることだけだ」

「アレク様には執務もあるのですよ」

「わたしは皇帝である前に、レイシーのお腹の赤ちゃんの父親だよ。父親として、責任を持って赤ちゃんを育てたいと思っている。お腹で赤ちゃんを育てて産むのはレイシーにしかできないから、これくらいはさせてほしい」


 本当のことを言った方がいいのだろうか。

 わたしはレイシーと赤ん坊のどちらかしか助からない夢を見て、恐怖に震えているのだと。


 レイシーはわたしの気持ちを受け止めてくれるだろうか。


「レイシー、実はわたしはレイシーが妊娠してから悪夢を見るようになった」

「話してください、アレク様」

「レイシーが出産の場面で、医者に告げられるのだ。『皇后陛下かお子か、選んでください』と」


 わたしの口にした内容がショックだったのだろう、レイシーの顔が青ざめる。そんな未来もないとは限らなかった。


「アレク様……もしかするとそういう未来もあるのかもしれません」

「レイシーが死んでしまうのも、赤ん坊が死んでしまうのも、わたしには耐えられない」


 両手で顔を覆ってわたしが言えば、レイシーはわたしの手を外させて、わたしの顔をじっと見つめてきた。


「アレク様、そのときには、お子を選んでください」

「レイシー!?」

「わたくしもできる限り生きる努力はします。そんなことにならないように出産に向けて努力はします。でもどうしようもない場合には、子どもを、どうか」

「そんな! レイシー、無理だ。レイシーがいなければわたしは生きていけない」

「アレク様!」


 レイシーに頬を叩かれてわたしははっとした。レイシーはもう母親の顔をしている。


「アレク様は父親になるのです。わたくしは自分の命を懸けてでも赤ちゃんを産みたい。アレク様は父親の自覚を持ってください。例えわたくしがいなくなっても、赤ちゃんを立派に育ててください」


 必死に告げるレイシーの紫の目から涙が零れていた。わたしの目からも耐えきれず涙が零れる。


「レイシー、わたしを置いて行かないでくれ」

「できる限りはそうします。それでも、万が一ということがあります。そのときには、アレク様、後のことは頼みます」


 それがどれだけ残酷な言葉なのか、レイシーにも分かっているだろう。

 分かっていてわたしだからこそ全てを託すのだ。

 わたしは強くならなければいけない。

 レイシーを失って生きていけるとは思えないのだが、それでもレイシーが赤ん坊を残してくれたのならば、その子を立派に育てなければいけない。


「レイシー……」


 後を追うことなど許してくれないだろうが、レイシーが亡くなってしまったら、子どもが成人したらわたしはレイシーの後を追うことしか考えられなかった。

読んでいただきありがとうございました。

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