46.セシルの墓参り
おじさんとおばさんの営んでいた食堂は、記憶のままに残っていた。
昼食の時間が終わって、今は夕食までの休憩と仕込みの時間だろう。食堂付近には客はいなかった。
勇気を出してドアをノックしようとするが、手が震えてできない。
躊躇うわたしに、護衛としてついてきてくれていたテオがドアをノックした。
心の準備はできているはずだったが、皇帝なので罵ることは不敬とされるかもしれないが、それでもおじさんとおばさんの顔に嫌悪や憎しみが宿っているところを見たくない気持ちがわたしを臆病にさせていた。
「中に誰かいないのか? いるのならば出てきてほしい」
テオが呼びかけると、おじさんとおばさんが出てくる。六歳のときからもう二十二年も経っているのだ。おじさんとおばさんは年を取ったように感じる。
わたしを見ておじさんとおばさんは「ガーネ」だとは分からなかったようだ。怯えたように跪いて頭を下げる。
「わたしたちに何の用でしょうか?」
「高貴な方とお見受けいたします。どなたなのでしょうか?」
「わたしは、アレクサンテリ・ルクセリオン。この国の皇帝だ」
わたしが名乗ると、おじさんとおばさんは「ひっ!?」と悲鳴を飲み込んでいた。まさか皇帝がこんな国境の小さな村にやってくるとは思わなかったのだろう。
責められることを覚悟して、わたしはおじさんとおばさんに伝える。
「お二人には幼いころに世話になった。覚えているだろうか? 『ガーネくん』と呼ばれていたわたしを」
おじさんとおばさんの顔に怒りや憎しみが浮かんでいるだろうか。
わたしをどう思っているのだろうか。
怖くて直視できないわたしに、おじさんとおばさんが顔を上げる気配がする。
「え!?」
「ガーネくん? あなた様が?」
おじさんとおばさんに立つように促してから、わたしは二人に深く頭を下げた。
「あなた方の大事な一人娘、セシルはわたしのせいで亡くなってしまった。謝って許されることではないと分かっているが、そのことをずっと謝りたかった。本当にすまなかった」
こんな言葉では足りないと分かっている。
それでも、精一杯の誠意は示したいと思っていた。
わたしの言葉に、おじさんとおばさんはしばらく沈黙していた。
わたしが皇帝だから不敬と言われるのが怖くて罵ることを恐れているのだろうか。
構わないのだと告げようとしたら、おじさんとおばさんと目が合った。
セシルと同じ黒髪に黒い目。
その目には怒りも憎しみもなかった。
「セシルは本当にガーネくんをかわいがっていました。自分の弟にしたいと言っていました」
「ガーネくんが殺されそうになったとき、セシルは自然と体が動いていたのでしょう。正直、ガーネくんのことを恨まなかったわけではありません。でも、セシルが死んで二十二年も経って、わたしたちはセシルは精一杯に生きたのだと思えるようになったのです」
わたしを恨んだことがあったとおじさんとおばさんは正直に言ってくれた。その恨みも、二十二年という歳月が風化させたようだった。
憎まれていない。
恨まれてもいない。
わたしは目の奥が熱くなって泣きそうになってしまう。
「わたしを守ってくれたセシルには感謝してもしきれない。わたしもセシルのことが大好きだった。そして、あなた方にも感謝している。身元の分からないわたしを保護してくれて、守ってくれた」
「まさか、ガーネくんが皇帝陛下だったとは知りませんでした」
「セシルは皇帝陛下をお守りできたのですね」
「すまない」
何を言っても薄っぺらく感じられそうなのに、おじさんとおばさんは穏やかな顔をしてわたしを見つめていた。その黒い目に涙の膜が張っている。
セシルが殺されてから、二十二年間、おじさんとおばさんは苦しんできたのだろうが、変わらずに食堂は続けていたようだった。
「あなた方がまだここにいてくれたとは知らなかった」
「この村にはセシルのお墓もありますし、セシルとの思い出のある場所は最初はつらかったのですが、やはり離れられませんでした」
「この村はセシルの生まれ育った村です。離れることはできません」
静かに告げるおじさんとおばさんに、わたしはレイシーを紹介した。
「彼女はレイシー・ディアン。わたしは今年の夏に彼女と結婚する。そのことを報告したくて、この村に来た」
「わたしたちに報告してくださるのですか?」
「わたしが『ガーネくん』と呼ばれていたころに、世話になったのはあなたたちだ。それに、セシルの墓にも報告したかった」
「どうか、セシルの墓に報告に行ってやってください。セシルは喜ぶと思います」
墓参りの許可も得ることができて、わたしはレイシーを見た。
レイシーの存在がおじさんとおばさんと向き合う勇気をくれた。
わたしとレイシーは、セシルの墓の場所を教えてもらって、墓参りに行くことになった。
おじさんとおばさんに案内されて、わたしとレイシーは村外れの墓地に行った。
セシルの墓はとても簡素なものだった。土の上に大きな石が置いてあるだけで、その石もきちんとした墓石ではなく、どこにでも転がっているような大きな石を持って来て置いただけのような形だった。
「セシルがこの下に眠っているのか」
「はい。あなた様を迎えに来た方々が、セシルを盛大に弔ってくれると仰ったのですが、わたしたちは断りました」
「セシルはわたしたちの娘として、この村の一員として弔いたいと思ったのです」
おじさんとおばさんの選択に、わたしはセシルを思う。
セシルは次期皇帝を守った英雄ではなく、村の一員として弔われることをおじさんとおばさんは選んだのだ。
おじさんとおばさんらしい決意に、わたしは、簡素なセシルの墓の前で膝をついて祈りを捧げた。
「セシル……お姉ちゃん、あのときは助けてくれてありがとう。おかげでわたしは生き延びたよ。生き延びて、運命の相手を見つけて、結婚しようとしている」
セシル、わたしは幸せになってもいいのだろうか。
その問いかけに対する答えはどこにもない。
けれど、おじさんとおばさんに許されたことによって、わたしの罪悪感は薄れてきているのは確かだった。
セシルは本当に自分の生を全うしたのだろうか。
わたしのせいでセシルは殺されてしまったが、それもセシルが選んだことだと納得していいのだろうか。
セシルの墓の前でレイシーも祈っている。
セシルの記憶を持っているレイシーがおじさんとおばさんを見て何を思ったか、セシルの墓を前にして何を祈っているのかは分からないが、レイシーの中でも何か区切りがついたのではないかと思っていた。
わたしの中でも、セシルに関して、気持ちの整理が着こうとしていた。
「お姉ちゃん、このひとがわたしの妻になるひとだよ。わたしはこのひとと幸せになる。お姉ちゃんに生かしてもらった命を、精一杯に生きていくよ。本当にありがとう」
罪悪感ではなく、セシルに感謝を。
まだセシルの死を思って苦しむことはあるかもしれないが、セシルが自分の命を懸けてわたしを助けてくれたことに関して、罪悪感を持つだけでなく、感謝をしていかなければいけないとわたしは認識を改めつつあった。
わたしは幸せになってもいいのか、ではない。
幸せにならなければいけない。
そうでなければ、セシルは何のために命を失ってまでわたしを助けたのだろう。
セシルへの罪悪感が完全に消えたわけではないが、おじさんとおばさんと会って、セシルの墓に参って、わたしは前を向いて生きていこうと思うことができた。
祈り終えたわたしたちに、おじさんとおばさんが声をかけてくる。
「妃殿下の噂は聞いています。ディアン伯爵家の領地で女性もお針子になれるように寮のついた工場を建てたとか、皇帝陛下の執務の負担を減らされたとか」
「皇帝陛下とはわたしたちは二十二年前に少しの間だけ一緒に暮らしました。どうか、皇帝陛下とお幸せに」
皇帝としてだけではなく、二十二年前に保護してもらった六歳だった「ガーネ」として、おじさんとおばさんはわたしとレイシーの仲を祝福してくれようとしている。
「ありがとうございます」
「ありがとう。あなた方にはどれだけ感謝しても足りない」
レイシーと共にわたしも感謝を告げた。
その後で、わたしはおじさんとおばさんに問いかけていた。
「セシルの部屋はどうなっている?」
「セシルが死んだ日のままにしています」
「もし許されるなら、セシルが買ってくれた積み木や、セシルが作ってくれたぬいぐるみや服を譲ってほしいのだが」
「よろしければ、家に寄って行かれますか?」
「皇帝陛下に失礼ではないですか?」
「いや、喜んでよらせてもらおう」
二十二年前、セシルが殺された現場に行くというのは勇気が必要だったが、わたしの横にはレイシーがいてくれる。レイシーと共におじさんとおばさんに招かれてセシルの部屋に行くと、部屋が妙に狭く感じられる。わたしが大きくなったのだと分かっているが、こんなに狭いベッドでセシルと二人で眠っていたのかと思うと、セシルとおじさんとおばさんの貧しさが感じられる。
おじさんとおばさんはわたしが使っていた積み木やぬいぐるみや服を纏めて、わたしに渡してくれた。
セシルとの思い出が詰まった積み木とぬいぐるみと服。
わたしにとってはずっと恋しかったもので、手にすると胸がいっぱいになる。
「ありがとう、大事にする」
「わたしたちが持っていても仕方がないものですからね」
「セシルもガーネくんに持っていてもらった方が喜ぶでしょう」
おじさんとおばさんが自然にわたしを「ガーネ」と呼んでくれていることも嬉しかった。
帰りの馬車の中でレイシーはわたしに縋って泣いていた。
セシルの記憶を持っているので、おじさんとおばさんと会ったことが、涙のきっかけとなったのだろう。
「レイシー、大丈夫かな?」
「セシルの両親を見たら、わたくしがセシルになったような気分になってしまって、懐かしくて、嬉しくて、それでいて、申し訳なくて」
泣いているレイシーを抱き締めて背中を撫でていると、レイシーが涙をこぼしながら呟いた。
「わたくしは、もしかすると、セシルの生まれ変わりなのかもしれません」
「わたしは、レイシーの刺繍したハンカチを見たときからそう思っていた」
「でも、わたくしはセシルではなく、レイシーなのです」
「それも分かっている。レイシーはセシルではなくて、レイシーとしてわたしは愛した」
「アレクサンテリ陛下、わたくしをこの村に連れてきてくれてありがとうございました」
礼を言うのはこちらの方だった。
レイシーが言い出してくれなければわたしは生涯セシルの両親であるおじさんとおばさんと向き合う勇気が持てなかっただろう。
レイシーがいてくれたからこそ、わたしは罪悪感だけではなくて、セシルに感謝の気持ちを持つことができた。
レイシーこそがわたしの人生の希望だった。
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