30.レイシーの喜びのために
今回の旅行で、わたしは考えていることがあった。
レイシーを認めない貴族たちを招待しないために、レイシーの誕生日のお茶会は小規模にしてしまった。そのせいで、ディアン子爵家の家族は招くことができなかった。
子爵家なので身分が低すぎて招く対象に入れられなかったのだ。
来年からはそんなことがないようにしたいと思っているが、レイシーは皇帝宮に来てから婚約式のときと、ソフィアが訪ねてきたお茶会の日以外で、ディアン子爵家の家族に会えていない。
これは未来の夫としての信用を損ねる事態なのではないだろうか。
旅行に際してわたしはディアン子爵家の家族を招くことを考えていた。
朝食のときにわたしはレイシーにその話をしてみることにした。
いつもよりも遅れて朝食の席に来たレイシーに、まず声をかける。
「今日はゆっくりだったね」
「遅れてすみません。家庭菜園のナスとキュウリを収穫していました」
「それはお疲れ様。よく育っていた?」
「少々小ぶりですが、旅行に行くので早めに収穫しました。今日の夕食に出してくれるそうです」
「それは楽しみだ」
レイシーの育てている野菜は、特に美味しく感じられるので、わたしは今日の夕食が楽しみになっていた。
近所の農家に手伝いに行って、採れたての野菜をもらってきていたセシルに、それがとても美味しいと六歳のわたしも思っていたが、レイシーの育てた野菜はセシルがもらってきた野菜を思い出させる味がした。
セシルとのことは思い出になってしまっても、何一つわたしは忘れることはできない。
朝食を食べ始めたレイシーにわたしは提案する。
「今回の旅行なのだけれど、ディアン子爵家のご家族を一日だけでもお招きしたらどうだろう?」
「よろしいのですか?」
「わたしが結婚を急ぐあまり、レイシーには名残を惜しむ間もなく家族と別れさせてしまったのではないかと思っていたのだ。一日くらい、レイシーが家族で過ごせる時間を作りたい」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
レイシーに伝えると、レイシーは食べるのをやめてわたしの話に聞き入り、目を輝かせて喜んでいた。
ディアン子爵家の家族にはわたしもけじめとして伝えたいことがあった。
それはレイシーも同じだったようだ。
「両親とソフィアに、わたくしが皇后になることを伝えなければいけませんでした」
「直接報告した方がいいだろうね」
まだ正式には公表できなくても、ディアン子爵家の家族を安心させるためには、レイシーが側妃でも妾妃でもなく、皇后になるのだということを示していかなければいけない。
ディアン子爵家に援助していることもレイシーにはそろそろ明かすべきだと思っていた。
少しずつだが、ディアン子爵家を認めさせる準備が整ってきている。
ディアン子爵家が伯爵家になれば、レイシーを皇后にすることに反対する公爵家や侯爵家も少しは黙ることだろう。
「はい。旅行のときに報告します」
「別荘は広いから、ご両親もソフィアも泊まれる部屋があるよ」
「夜も一日一緒ですか」
「もちろん、そうだよ」
レイシーには家族と過ごす時間をできるだけ多くとってもらおうとわたしは思っていた。
旅行前に、わたしはラヴァル夫人に呼び出された。
直接話がしたいということなので、執務を抜けて、応接室に移動すると、ラヴァル夫人は侍従がお茶を入れた後に、ひと払いをした。
何を言われるか構えていると、ラヴァル夫人が単刀直入にわたしに聞いてきた。
「レイシー殿下との夜のことについて率直にお尋ねいたします。レイシー殿下も成人されていて、婚約者という立場です。今回の旅行で夜にお呼びがかかるかもしれないというのは感じているでしょう」
「わたしはそういうつもりはない。レイシーのことはとても大事に思っているし、結婚するまでは絶対に手を出さないことを誓っている」
わたしが言えば、ラヴァル夫人は咳払いをする。
「皇帝陛下も若い男性です。愛しい方を前にして、お気持ちが変わるかもしれません」
「それはない。わたしはレイシーを尊重するつもりだし、レイシーの許可がなければ指一本触れる気はない」
それは本気だった。
セシルが結婚は女の墓場だと言っていたように、この国では結婚すれば女性は男性に従わなければいけなくなるような風習がある。それは夜のことに関しても同じだった。
男性が求めれば女性は受け入れなければいけない。
貴族の学園の性教育ですら、女性には男性のすることを受け入れて、身を任せるようにとしか教えないのだ。
あまりにも女性を軽視しすぎるこの風習が、わたしは好ましくないと思っていた。
皇帝であるわたしが変えていかなければいけない。
セシルのためにも、レイシーのためにも。
そのために、わたしはレイシーの意思を尊重していきたいと思っている。
そのことをラヴァル夫人に伝えれば、ラヴァル夫人は納得してくれたようだった。
「それでは、レイシー殿下にはそのように伝えます。レイシー殿下が夜のことを心配することがないように、先に相談させていただきました。大変失礼を致しました」
「失礼などではない。レイシーにとっては大事なことだ。これからもレイシーを一番に考えて、わたしに遠慮なくものを申してほしい」
ラヴァル夫人にはずっとレイシーの味方でいてもらわなければ困る。
皇后になればレイシーは孤立してしまうことも考えられる。反対派の公爵家や侯爵家を黙らせたとしても、レイシーを認めるとは限らないのだ。
文句が言えない状態にはするつもりだが、レイシーに友好的にはなってくれないだろう。
旅行に同行するテオにも、わたしは話をしておかなければいけなかった。
テオの場合はわたしから呼び出した。
「護衛として同行してくれるのはありがたいが、レイシーにはくれぐれも余計なことは言わないように」
「余計なこととは?」
「わたしがレイシーの元婚約者がレイシーに婚約破棄を言い渡すように画策したとか、ディアン子爵家の陞爵のために水面下で動いていることとか」
「ディアン子爵家の工場の支援に関しては、皇帝陛下から伝えた方がよろしいのではないですか?」
ユリウスもだが、テオも幼いころから一緒にいるのでわたしに遠慮がない。
テオの言い分をわたしは聞いてみることにした。
「皇帝陛下は別荘にディアン子爵家のご家族を招かれているでしょう? ディアン子爵家は支援されているのは分かっているので、ディアン子爵や妃殿下の妹君から話が行くこともあるでしょう。それよりも、皇帝陛下が先に説明しておいた方が、妃殿下は安心なさると思います」
「だが、ディアン子爵家の陞爵のことは……」
「それは伏せておけばいいのです。しかるべきときがくれば伝えるという形で」
言われてみればその通りだった。ディアン子爵家の家族から話を聞くよりも、わたしからあらかじめ話しておいた方がレイシーも安心するだろう。
テオの忠告はわたしは重く受け止めた。
レイシーは旅行を楽しみにして準備をしているようだった。
音楽室の前を通ると、ときどき、レイシーの歌声とピアノの演奏が聞こえてくるが、レイシーは隠しておきたいようなので特に聞かないでそっとしておく。
「今日はトマトが収穫できました。今年最後のトマトかもしれません」
夕食のときに出てきたトマトのグラタンを示して、報告してくれるレイシーにわたしはそれを食べながら、セシルのことを思い出す。
セシルは貧しくて旅行になど行けなかった。
村から出るのすら、両親の許可が必要だった。
レイシーには旅行を楽しんでほしい。
旅行だけでなく、レイシーにはこれから先の人生にたくさんの喜びがあってほしい。
レイシーの笑顔を守るためならばわたしは何でもできる。
どんな貴族とも争うつもりはあるし、レイシーを認めないものは黙らせて、レイシーには温かい意見だけを届かせるつもりがある。
この旅行はレイシーを喜ばせる始まりにしかすぎない。
これから先の人生で、レイシーがどれだけ笑顔でいられるか。レイシーの笑顔を守れるか。
それがわたしにかかっている。
何を犠牲にしても、レイシーには何も汚いところは見せぬままに、幸せだけを感じさせる決意をわたしは新たにしていた。
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