23.レイシーの熱
セシルと暮らし始めてすぐのころ、わたしは熱を出した。
護衛に逃がされたときに、身元が分からないように服も靴も脱がされて、下着一枚だった六歳のわたしは、何度もこけたし、肩には矢傷を負っていた。
傷のせいで高熱を出したわたしに、セシルは汗を拭いてくれて、傷口をよく洗ってガーゼで押さえてくれた。
セシルの村には医者がいなかったので、それくらいしかできることがないと、セシルが落ち込んでいたのを覚えている。
熱で苦しむわたしに、セシルはずっとついていてくれた。
「ガーネくん、苦しい?」
「おねえちゃん、お水……」
「お水、飲める?」
喉が乾いて水を欲しがると、セシルがカップに注いで飲ませてくれる。汗で水分を失っていたので、ただのぬるい水も体に染み渡るようだった。
水を飲んだわたしに、セシルが聞いてくる。
「何か食べられそう?」
「ちょっとおなかすいた」
空腹を訴えれば、セシルはおじさんとおばさんの営んでいる食堂でスープをもらって来てくれた。スプーンでスープを掬って、吹き冷まし、わたしの口に運んでくれるセシル。
わたしは熱で動くことが億劫で、スープを食べさせてくれることに感謝しつつ、それを全部飲んだ。
飲み終わるとセシルが汗ばんだ髪を撫でてくれる。
「ガーネくんは強いね。これなら、早く治るよ」
「おねえちゃん、ぎゅってして」
「いいよ。抱っこしてあげる」
熱で頭は朦朧とするし、苦しいので、セシルに甘えると、セシルは添い寝をしてくれた。セシルの体に抱き着くと、涙が滲んできた。
クーデターが起きたことも、父の命が狙われていることも、母がわたしを逃がしたことも、なんとなく六歳なりに分かっていた。もう父と会えないのかもしれない。母とも会えないのかもしれない。
考えると、涙が出てくる。
「ぼくのお父さん、死んじゃったかもしれない」
「え?」
「お母さんも」
「ガーネくん?」
涙を流すわたしの顔を、セシルが拭いてくれる。
「おねえちゃんは、いなくならないで」
「わたしはどこにも行かないよ」
「おねえちゃんは、ずっと一緒にいて」
その願いが叶えられなかったことをわたしは知っている。
セシルはわたしを庇って殺されてしまった。
わたしはセシルを永遠に失った。
レイシーが熱を出したのは、ソフィアが帰った翌日のことだった。
婚約式から誕生日のお茶会と忙しくしていたからかもしれない。
朝食に来られないと聞いたとき、わたしは自分の食事などどうでもよくなって、レイシーの部屋に朝食を運んでいた。
侍女にはお粥とスープとヨーグルトと果物を用意させた。
レイシーが食べている間も気が気ではなくて、侍女に声をかけた。
「すぐに医者を呼んでくるのだ。わたしの未来の妃が苦しんでいる」
侍女はすぐに医者を呼んできた。レイシーのために皇帝宮には女性の医者を待機させていた。
レイシーがセシルのように死んでしまったら、わたしは今度こそ生きていけなくなってしまう。心配してレイシーのそばを離れられないわたしに構わず、医者は診察を始めた。
「妃殿下、大変失礼を致しますが、月のものは……」
「ちゃんと来ています。妊娠はしていません」
妃候補というレイシーの立場からすれば聞かれて当然なのだろうが、わたしが聞いていたらレイシーは恥ずかしかったかもしれない。申し訳なく思いつつも、レイシーのそばを離れられない。
熱を測って、胸の音を聞いて、喉を確認して、医者はレイシーにいくつかの薬を処方した。
「過労かと思います。皇宮に来られて三か月、緊張しておいでだったのでしょう。ゆっくり休めば治ります」
「大事はないのか?」
「はい。栄養を取って休むことが重要です」
「分かった。また何かあったらすぐに呼ぶ」
「いつでもお呼びください」
医者が部屋から出ていって、レイシーと二人きりになると、レイシーは処方された薬を飲んでいた。薬を飲んでいることに安心はするが、やはり心配でならない。
それでも、わたしは皇帝だった。
わたしにはこなさなければいけない執務がある。
「ずっとついていたいが、執務がある。また様子を見に来るので、何かあったらすぐに侍女に伝えるように」
「少し熱が出ただけです。アレクサンテリ陛下、平気です」
「レイシーが死んでしまったら、わたしは今度こそ生きていけない。安静にしていてくれ」
「微熱だけです。アレクサンテリ陛下、大袈裟です。大人しくしているので、執務頑張ってきてください」
わたしが熱を出したときにはセシルはずっとそばにいてくれた。
小さなわたしにとってそれがどれだけ心強かったか。
同じことをレイシーにもしたいのに、わたしの立場がそうさせてくれない。
レイシーから離れたくない気持ちでいると、レイシーがわたしに声をかけた。
「行ってらっしゃいませ、アレクサンテリ陛下」
送り出されると、行かないわけにはいかなくなる。
「行ってくる。何かあったら、絶対にすぐに侍女を呼んでくれ」
「はい」
後ろ髪引かれながら、わたしは皇宮本殿に向かって、執務を開始した。
それでも落ち着かない様子なのをユリウスに見抜かれてしまった。
「皇帝陛下、何かありましたか?」
「実は、レイシーが熱を出しているのだ」
「御病気ですか?」
「医者は過労だと言っているが……」
ユリウスの言葉に、シリルもテオも寄ってきた。
三人ともわたしが幼いときからの遊び相手で幼馴染なので、セシルが死んだ後のわたしの状態を知っている。セシルを失った後、わたしは誰も寄せ付けず、泣くことすらできず、ただ孤独に過ごしていた。誰にも心開かず、食事すらもセシルに守られた命を繋ぐための義務でしかなかったわたしが、どれほど苦しみ、病んでいたかをユリウスもシリルもテオも知っている。
「後の執務はわたしたちにお任せください」
「妃殿下の元へ行かれてください」
「皇帝陛下は妃殿下のそばについていたのでしょう」
心の内を言い当てられて、わたしは抵抗できなかった。
すぐに椅子から立ち上がり、ユリウスとシリルとテオに任せられる執務は振り分けて、わたししかできない執務は残しておいてもらって、すぐに皇帝宮に戻った。
レイシーは眠っていたようだが、起きて、汗をかいているのを気持ち悪がって、濡れタオルで体を吹いていると聞いて、それが終わるまでドアの外で待っていた。
侍女が知らせてくれたので、レイシーの部屋に入る。
普段はレイシーの部屋にも寝室にも入らないように気を付けている。
レイシーの部屋はレイシーの聖域であり、わたしが怖くなったときに逃げ込める場所でなければいけない。レイシーのためにも踏み込まないでいたのだが、今日だけは別だった。
ベッドに座っているレイシーに横になるように促す。
「安静にしていてくれ」
「もう熱も下がったようです。大丈夫です」
「心配なのだ。横になっていてくれ」
横になったレイシーの額に手で触れる。セシルはこうやってわたしの熱を測ってくれた。レイシーの額はまだ熱かった。
「まだ、少し熱いな。昼食はなにか食べられそうか?」
「普通に起きて食べに行けると思います」
「無理はしなくていい。部屋に運ばせる。スープや粥がいいだろうな」
「それでは、ソファに移ります」
ベッドで食事はしないと寝室から出て、部屋のソファに座るレイシーに、わたしは侍女にスープやお粥や果物を用意させた。
スプーンでスープを掬ってレイシーの口元に差し出すと、レイシーは顔を赤くする。
「自分で食べられます」
「熱を出したとき、セシルはこうしてくれた。わたしは嬉しかった」
「そのとき、アレクサンテリ陛下は六歳だったでしょう? わたくしはもう十九歳なのですよ」
「わたしもレイシーを看病したい」
看病の仕方をわたしはセシルのやり方しか知らない。こうするものだと思ってスプーンを差し出していると、レイシーが折れてスープを飲んでくれた。
スープは全部飲んだが、お粥は食べずに、レイシーは果物を食べたがった。
きれいに剥かれた洋ナシをフォークに刺して口に運ぶと、顔を赤くしながら食べている。恥ずかしいのか、熱で顔が赤いのかは分からないが、少しでもレイシーが食べてくれたことに安心した。
「歯を磨いて、もう一度ベッドに」
「もう大丈夫です」
「まだ熱が下がっていない。ベッドで休んでくれ」
レイシーにお願いすると、レイシーは渋々歯を磨いてベッドに戻ってくれた。
翌日も、わたしは執務を休ませてもらって、レイシーについていた。
レイシーはわたしに食事を食べさせられるのを、観念したのかもう抵抗しなかった。
看病して、その日の夜には、医者はレイシーは完全に治ったと言ったので、わたしはやっと安心してレイシーのそばを離れることができた。
「微熱程度で死なないんですけどね」
「死なれては困る」
「だから、大丈夫だと言っているのです」
レイシーは過保護だと思ったようだが、わたしにとってレイシーの命がそれだけ大事だということは変わりなく、今後もこのようなことがあれば、わたしは間違いなくレイシーを最優先にすると誓っていた。
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