91 笑顔
川上くんはああ言ったけど、やっぱり紅葉ちゃんの態度は普段と遜色ない。
へにょっと眉が下がる笑い方も、跳ねるような楽し気なしゃべり方も、いつも通りの紅葉ちゃんだ。
もしかしたら疲れているのかな、と思ってちらりと授業中に視線を向けてみたら、軽くあくびをしていた。
でもこれもまた、日常と変わらない光景だ。
顔色が悪いわけじゃない。
隈が出来ているわけでもない。
何か悩み事があるようにも見えないけど、隠すのが上手なタイプだったら気づける自信はない。
「かすみんから熱い視線を感じるー」
紅葉ちゃんにそう言われたのは、放課後のことだった。
こっそり視線を向けていたつもりだったが、あからさますぎたのだろう。
思わず「ごめん」と謝ると、紅葉ちゃんはくすくすと楽しそうに笑った。
「なぁんで謝るの?かすみんに興味持たれるの、うれしいよ」
「そう……?でも、なんかのぞき見みたいに」
「それ言ったら、私もかすみんのことずっとのぞき見してたし」
そう言って、手をきゅっと握られる。
こうした軽いスキンシップにはまだ慣れないけど、胸の奥が温かくなる感じがして、嫌いじゃない。
「なにかお話でもあるの?」
こてん、と紅葉ちゃんが首を傾げる。
私は川上くんの話を伝えてみようかと思ったけど、なんとなく言えずに「そういうわけじゃないけど」と誤魔化した。
「最近、紅葉ちゃんとあんまり話せてなかったから」
「あはは、山倉くんがべったりだもんね」
「べったり……う、うん、まぁ」
べったりと言われると、なんだか無性に否定したくなるが、堪える。
最近の雪成の様子を見られているのだから、否定する方が恥ずかしいだろう。
「私もかすみんといっしょに帰ったり、遊びに行ったりしたいもん。でも最近ずっとお迎えあるもんね」
「うん……ごめんね」
「全然。ちょっと寂しいけど、大丈夫」
紅葉ちゃんはそういうけど、握られた手に少しだけ力が入るのがわかった。
こんな風に友だちに言ってもらえるのは初めてだから、申し訳ないようなこそばゆいような変な気分だ。
「今度、ゆっくりおしゃべりしようね」
ちょっとだけ上目遣いで、紅葉ちゃんが言う。
かわいい。
思わずキュンとして、こくこくと頷いた。
「いつになるかはわかんないけど」
「忙しそうだもんね」
「う……ん」
嘘をついているのは心苦しい。
それでも、不用意に行動を共にすることで、彼女を危険に晒すことだけは避けなくてはならない。
そう決意を新たにしたところで「帰るぞ」と教室の扉の方から雪成が私を呼んだ。
私は鞄を手に持ち「またね」と紅葉ちゃんに手を振る。
紅葉ちゃんも「また明日」と手を振り返してくれた。
雪成の元まで駆け寄ったあと、なんだか名残惜しくて、紅葉ちゃんを振り返る。
その瞬間、思わず息が詰まった。
さっきまでの笑顔が嘘のように、表情を失った顔で紅葉ちゃんがこちらをじっと見つめていたから。
紅葉ちゃんは振り返った私に気付くと、またにっこりと笑みを浮かべた。
さっきまでと変わらない、可愛らしい笑顔。
それなのにどうしてだろう、薄ら寒いものを感じてしまう。
「どうした?」
雪成に問いかけられ、私は「ううん」と首を横に振った。
きっと気のせいだ。
ちょっとぼうっとしていただけ。
そう自分に言い聞かせながら、私はもう一度紅葉ちゃんに手を振った。
眉を下げながら嬉しそうに手を振り返してくれた紅葉ちゃんから逃げるように、私は教室をあとにした。




