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90 異変

 それから数日、私はすっかり日常に戻っていた。

 父と雨音さんによる送迎にも、休み時間のたびに教室へやってくる雪成にも、気づけば慣れ始めていた。

 はじめのうちは周囲の視線を気にしていたけど、周りも慣れたのか雪成がやってきても誰も気にしていないようになったような気がする。


 昼休み、当たり前のように昼食をともにして、私のそばでダラダラととりとめのない話を続けていた雪成は、予冷を合図に自分のクラスへと戻っていった。

 私も次の授業の準備を、と机の中を漁っていると、ふいに斜め前から声をかけられた。



「なぁ、ちょっといい?」



 首の後ろに手を当てながら、そう言ったのは川上くんだった。

 川上くんとは席が近くなってからも、軽い挨拶を交わすくらいで、たいして話をしたことはない。

 それでも、ほかのクラスメイトとは違い、私を悪い意味で特別視しない彼は、私にとってありがたい存在だ。



「なに?」


「いや、その……大したことじゃないんだけどさ」



 視線を泳がせている川上くんは、どことなく気まずそうに首筋をさすっていた。

 前にどこかで、首に手を回すのは不安や緊張の表れだって話を聞いたことがある。

 なにか言いづらいことがあるのだろうかと、普段と様子の違う川上くんに少し身構えた。


 川上くんは少し周囲を窺ったあと、私の耳元に顔を近づける。

 突然詰められた距離に、思わず固まった私に、小声で川上くんが言った。



「宝生と喧嘩でもした?」



 予想外の言葉に「え」と小さく声を漏らす。



「し、てないけど……」


「だよな……」


「え、今日も普通に話してたと思うけど」


「いや、それはそうなんだけど。なんか……」


「なんか?」



 たまに宝生が真顔でお前のこと見てるから。


 続いた言葉が思いがけないもので、私は困ったように眉を下げることしかできなかった。

 私の認識では、いつも通り紅葉ちゃんはにこにこと可愛らしい笑みを私に向けてくれていたはず。

 雪成が休み時間のたびにやってくるので、紅葉ちゃんとの会話は減っていたかもしれないけど、とくに態度が変わったようには感じなかった。


 ただ、紅葉ちゃんは笑っていることが多いけど、いつでも笑顔というわけはないだろう。

 たまたまぼうっとしているときに、視線が私へ向いているように見えただけかもしれない。

 そう思い込もうとしても、川上くんの言い方からすると、そうとは思えない異様な雰囲気があったのだろう。


 気づかないうちに、何か嫌なことをしてしまったのだろうか?

 記憶を手繰り寄せてみても、とくに思い当たることは何もない。



「なにもないならいいんだけど、ちょっと気になって。ごめんな」



 そう言った川上くんは、困った顔をして笑った。

 私は首を振って「ありがとう」と返す。

 心配してくれたのだというのは十分伝わったから。


 それから少しして、バタバタと紅葉ちゃんが席に戻ってきた。

 少し汗ばんでいるから、走って戻ってきたのだろう。

 まぶしい笑顔で「セーフ!」と私にピースをする紅葉ちゃんは、やはりいつもと変わらないように見えた。

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