89 お迎え
「かすみん、おっはよ!」
弾むような元気な声に顔をあげる。
にこにこと笑う紅葉ちゃんは「もう具合はいいの?」と首を傾げた。
「うん、もう大丈夫」
「よかったぁ。ずっとお休みだったから、心配してたんだ」
「ありがと」
もう少し会話を続けたかったけど、先生が教室に入ってきたので、大人しく口をつぐむ。
いつも通りの朝のホームルーム。
ただそれだけの光景に、なんだかぐっときてしまって両手をぎゅっと握りしめた。
※
気づけばもう、放課後。
あんなことがあったあとでも、学校生活は変わらず、普段通りだ。
いつもと違うことといえば、休み時間のたびに雪成がクラスまでやってくるようになったことくらい。
別に隣のクラスなんかじゃない。
短い休み時間にわざわざやってくるほど近い距離にあるわけじゃないのに、雪成は当たり前のように私の席までやってきて、窓枠に腰かけたり、机に手を置いてしゃがみこんだりして、私の顔を覗き込んでくる。
いい加減勘弁してほしいと伝えても、涼し気な笑みで流されるだけだ。
紅葉ちゃんには「仲良しだぁ」と言われ、藤堂さんからは複雑そうな視線を向けられ、川上くんは「熱烈だな」なんて意味のわからないことを呟いていた。
私のクラスにも雪成の友人は多いらしく、気安く挨拶を交わしている。
ただその友人たちの顔にも、ずっと「?」が浮かんでいたのは気のせいではないだろう。
「帰るか」
放課後も当たり前のようにやってきた雪成に、私はため息をついた。
念のため「部活は?」と訊ねると「休み」だという。
それは部活全体が休みなのか、雪成だけが休みなのか。
なんだか聞いちゃいけない気がして、それ以上の追及はしなかった。
放課後は、雨音さんが迎えに来てくれることになっている。
本当は父が来る予定だったが、外せない仕事が入ったらしい。
わざわざ申し訳ないと思ったが、遠慮してより面倒な事態を引き起こす方が迷惑だと割り切って、ありがたく迎えをお願いすることにした。
「かすみん、もう帰る?私もいっしょに帰っていい?」
「あ……今日、迎えがきてて」
「そうなの?ざんねーん」
紅葉ちゃんの誘いに乗りたい気持ちはあったが、いっしょに帰って何かあってはいけない。
紅葉ちゃんは「じゃあね」とひらひら手を振ってくれた。
教室の窓から校門へ視線を向けると、すでに雨音さんの姿があった。
あまり待たせるわけにはいかないと、早足で教室を出る。
「お待たせしました!」
小走りで雨音さんに近づくと、雨音さんは眉をさげて苦笑いした。
「何も走ってこなくてもいいのに。転ぶぞ?」
「いや、でも」
「おじさんにとっちゃ、多少の待ち時間はどうってことないの」
わしわしと頭を撫でられる。
大きな手のひらの感触が心地よくて、つい笑い声がこぼれた。
雨音さんの大きな手が離れていったと思ったら、ふいに後ろから違う手が伸びてきた。
「わっ!」
驚く私の頭を乱暴に撫でまわす雪成に、雨音さんが笑いをかみ殺すような声を漏らす。
ちょっとだけ仏頂面で、私の髪をぐちゃぐちゃにかき乱している雪成はどこか機嫌が悪そうだ。
そんな私たちを見た雨音さんは大層面白そうに「青春だなぁ」なんて呟かいたが、その意味については深く考えないことにした。




