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72/144

72 嘘

「あぁ~……なんか、すっごいバカバカしくなってきた」



 空を見上げるように顔をあげて、雨音さんが言う。

 父はそんな雨音さんを見ることなく、軽く咳払いをして「違うからな」と呟いた。



「さっき娘が言ったのは、ただの憶測であって、事実じゃない。俺はお前も含め、全部の縁を切りたかっただけだから」


「……そうかよ」


「別にお前がどうなろうが、もう俺には関係ない」



 さらりと言う父は、やはり演技派なのだと思う。

 きっと父を知らない人なら、騙されている。



「……お父さん」



 ポツリと呟き、私は父の足元を指さした。



「漏れてるよ」



 うっすらと、しかし確かに、父の足元には淡い緑色のもやが広がっていた。

 父はハッとした顔をして、すぐにもやを消し去る。


 ふいっとそっぽを向いた父は、少しだけばつの悪そうな顔をしていた。



「なんっていうか、親子だよな」



 ぼそっと雪成が言う。

 言葉の意味がわからなくて首を傾げると「お前もそうだったじゃん」と答える。



「急にそっけなくなったころ。理由きいたらさ、何でもないとか何とか言ってさ」


「そうだったっけ……」


「でも普段よりめちゃくちゃもや出てんの。なんでもないはずないのに、素直じゃないところがそっくり」


「……ごめん」


「ま、いいけど」



 ため息をついた雪成は、まだ不満そうな声だ。

 でもそのまま父に歩み寄り、その顔を覗き込む。



「おじさんも、いいかげん観念して、謝って仲直りした方がいいっすよ」


「必要ない」


「じゃないと、あの人暴走して危ないことするかも」


「……しないだろ」


「さっきも集落の人とやりあって危ないとこだったのに?」


「は?!」



 雪成の言葉に、父が大きな声を出す。

 そしてさっきまで頑なに視線をあわせなかった雨音さんにズンズンと近づき、その胸倉をがしっと掴んだ。



「お前何やってんだよ!」


「……何って言われても」


「これはお前には関係ない俺の事情だから!お前はさっさと家に戻れ!そんで二度と俺にもあいつらにもかかわるな!何かあってからじゃ遅いんだぞ!?」



 雨音さんはすごむ父をじっと見つめて、自身の胸倉をつかんだ手をつかむ。

 そして「俺の勝手だろ?」と言い放った。



「俺がどうなろうが関係ないって言ったじゃないか」


「家族がいるだろ」


「俺は独身だ」


「親が……」


「両親は数年前で事故で死んだ」



 雨音さんは淡々と言った。

 猟師をしていたという祖父も、すでに病気で他界しているという。


 猟の時期以外は実家で暮らしていると言っていたから、てっきり両親と同居しているものだと思っていたから、すでに天涯孤独の身の上だったとは想像もしなかった。



「俺が死んでも、誰も悲しまない」



 暗い目をして、雨音さんが言う。

 父はそんな雨音さんを見て、がっくりとうなだれた。



「……そんなこと、言うなよ」


「事実だ。どうせ誰からも必要とされない人生なんだ。最期に、お前たちの役に立つのも悪くないかもな」


「なんだよ、それ」


「俺が今から集落へ行って、嘘の情報を伝えるのはどうだ?」


「ばれたら、ただじゃすまない」


「別に構わないさ。それに、もう手遅れだ。どうせ俺は処分される」



 雨音さんはそう言って、両手をあげてみせた。

 父の肩がブルブルと震えている。

 足元からは、もはや隠す気もないのだろう、濃いもやが次々と湧き出ては渦を巻く。


 低い声で「ふざけるなよ」と父が言った。

 そしてうなだれたまま、雨音さんの胸元に頭を押しつける。



「……だったら、お前も連れて帰る」


「どうでもいいのに?」


「本気でそんなこと思ってるわけないだろ!」



 叫ぶように言い放った父に、雪成が「ほらぁ」と魔の抜けた声を出す。

 その言葉に、さっきまで死んだ魚みたいな目をしていた雨音さんの肩がプルプル震えだした。



「だから観念したほうがいいって言ったんすよ」



 父は恨みがましい目で雪成をじろりと睨んだ。

 しかし雪成は呆れたように笑って「嘘ですよ」と続ける。

 意味がわからないという顔をする父に、雨音さんが「ばぁーか」と笑う。



「別に俺はあいつらとやり合ったりしてねえから」


「……は?」


「平和的な会話しかしてないから、多分疑われてはないだろ」


「騙したのか?」


「先に騙したのはそっちだろ」



 ひょうひょうと言ってのける雨音さんに、雪成がうんうんと頷く。

 口をパクパクしている父が滑稽で、なんだか私まで笑えてきてしまった。

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