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71 大切だから

 父は情の深い人だ。

 それこそ、自分の大切なものを守るために、十何年も嘘をつき続けられるほど。

 だからこそ、わかってしまった。

 父が雨音さんに黙って姿を消したのは、ただ関係を断ち切ろうとしたからではないのだと。



「……だから、連絡しなかったんでしょ」



 ポツリと呟くと「……は?」と雨音さんがこぼした。



「なんだそれ。俺が重いからだめだってか?」



 自虐的に笑って、雨音さんが言う。

 私ははっとして「違います!」と慌てて首を横に振った。

 うっかり口をついた一言で、さらに状況を悪化させることだけは避けたかった。


 雪成も、非難めいた視線で私を見ている。

 いたたまれなくなって、早口で続ける。



「そういう意味じゃなくて!すみません、つい口が滑ったっていうか、気づくと声にでてたっていうか。でも、とにかくそういう意味じゃなくて!」


「じゃあ、どういう意味なんだよ?」


「……大切に思ってるからこそ、巻き込みたくなかったんじゃないかなって」



 雨音さんがあれほど父に執着していたのは、それほどの親しい関係があったということだろう。

 だからこそ、助けを求められなかったのだ。

 大切な相手だからこそ、自分のために自らを犠牲にしてほしくなんてなかった。



「かすみ」



 名前を呼ばれただけなのに「これ以上何も言うな」と言われているのだと理解できた。

 でも私は、首を横に振ってそれを拒否する。



「雨音さんのこと、きちんと考えたうえで決めたことなんだと思います。黙って姿を消そうって。それが正しかったのかどうかは、別の話ですが」


「……なんだよ、それ」


「腹が立ちますよね。すごく自分勝手だし。……でも、私は父の気持ちもわかります。自分のせいで大事な人に何かあったら、きっと耐えられない」


「黙って姿を消すことが、相手を傷つけるとしても?」


「それでも、危険にさらされることなく安全な場所にいてほしい。……こんな風にユキを巻き込んだ私が言っても、説得力にかけるでしょうけど」



 そう言って苦笑すると、雨音さんは困ったような怒ったような顔をした。

 そしてぐしゃぐしゃと私の頭を乱暴に撫でる。



「君は、彼を巻き込んだことを後悔してるんだ?」


「……本当なら、さらわれるのは私一人だけだったはずですから。祖父母の異常さを知ったのだから、もっと気をつけるべきだったのに。無闇に行動をともにしなければ、ユキを危ない目に遭わせることなんてなかったのに……」


「自分だけが犠牲になるべきだったって?……彼はそう思っていないみたいだけど」



 そう促されて雪成に顔を向けると、変な顔をしてプルプルと震えていた。

 どうしたのかと問いかけると「ふざけんなよ」と唸るように呟く。



「そんなくだらねぇこと考えて、俺と距離とったりしたら絶対許さないから。中学のときだってさ、急にそっけなくなって、話しかけても無視するし」


「中学って、あれは……」


「あれは何だよ!俺、本当は怒ってたんだからな」


「えぇ~……」



 父と雨音さんの話をしていたはずなのに、なぜか話が脱線していく。

 それに、まさか雪成があの頃のことをそんなに気にしているとは思わなかった。


 困り果てて情けない声を漏らすと、雨音さんが小さく噴き出した。

 雪成とふたりで雨音さんを見ると、肩をプルプル震わせたかと思えば、耐えかねたように声を上げて笑い出した。



「笑い事じゃないんだけど」



 雪成が唇を尖らせて、不満気に言う。

 雨音さんは「悪い悪い」と答えながらも、笑いが止まらないのか苦しそうだ。

 その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいる。

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