66 潜伏
雪成は、ずっと私の手を握っている。
怯えを秘めた顔で雨音さんを睨みつけながら、きっとずっと張り詰めている。
もしも雪成からもやが出ていたら、きっとこの小屋全体に充満するような密度を放っているだろう。
私のもやは、不思議と少ししか出ていなかった。
雨音さんに気を許したわけではないのに、心のどこかで信頼できると思っているのかもしれない。
それでも、繋がれた指先から伝わる警戒心が、私の心を引き締める。
「二人は恋人?」
繋いだ手を眺めながら、雨音さんが問いかける。
「ち、違います!」
とっさに否定すると、ピクリと雪成の手が動いた。
そして少しだけ、握る力が強くなる。
「じゃあ、友だち?」
「友だちっていうか……幼馴染で……」
「……だってさ。反論は?」
雨音さんが雪成に訊ねる。
雪成は少し不満げな顔をして「別に」と呟いた。
「今はそれでいい」
「今は?」
含みを持たせるような言い方に首を傾げると、雪成はふいっとそっぽを向いた。
耳の先が少し赤い気がしたけど、髪の毛に隠れてよく見えない。
「青春だなぁ」
はははっと雨音さんが笑った。
他愛のない話で、緊張をほぐしてくれようとしているのがわかる。
雨音さんから勧められて、小屋に置いてあったカップ麺を食べさせてもらった。
雪成はさっきおにぎりを食べたからいらないと言うが、ふたりで同じものを口にして、何かあったら困ると考えているのだろう。
私が我慢して雪成に食べてもらおうと思ったけど「ばーか」とおでこにデコピンをくらった。
遠慮せずに食べとけ、と言われて、大人しく従う。
喉を滑り落ちていく温かさに、うっすらと涙がにじんだ。
そうしてしばらくの間、とりとめのない話をしながら過ごした。
雪成は警戒を解かないままだったけど、ポツリポツリと話をするようになっていた。
日が傾き、窓から西日が差し込んでいる。
ほのかに赤みがかった光が消えかかるころ、小屋の扉をノックする音が響いた。
「ごめんくださぁい」
しわがれた女性の声が響く。
祖母らしき女性のものとはまた違った、年配女性の声。
ノックの音は鳴りやまず、どんどん強くなっていく。
お年寄りが叩いているとは到底思えない激しい音に、私は身震いした。
雪成に手を引かれ、私たちは小屋の床下収納に滑り込んだ。
万が一に備えて、中の荷物を雨音さんが移動しておいてくれたのだ。
ふたりで入るには狭く、身体を密着させなくてはならないが、背に腹は代えられない。
床下収納を隠すように、雨音さんが上からラグを被せ、テーブルを配置する。
「はいはい、そんなに叩かなくても聞こえてますよ!」
そう言って雨音さんが扉を開く音がした。
「急になんです?扉が壊れるじゃないですか」
「すみませんねぇ。急ぎの用件でして」
「……どんな用件です?」
「子どもを見ませんでしたか?」
「子ども?」
「ええ。高校生くらいの子ども。男の子と女の子。本家のお客様が森で迷子になってしまったそうで、みんなで探しているんですよぉ」
ゆったりとした話しぶりだ。
何も事情を知らなければ、警戒されることもなさそうな声色。
「今日は森に入ってたんですけど、そんな子たちは見なかったな。もしうちを訪ねてくるようなら、すぐに連絡を入れますんで」
「まあまあ、ありがとうございます。でもねぇ」
「……でも?」
「もしかしたら、すでに中に潜んでいたりして」
「ははは、まさか」
「例えば、そのタンスの中とか、ベッドの下とか」
「ありえませんよ」
雨音さんがそう答えてから、しばらくの沈黙が流れる。
今、ふたりはどんな顔をして対峙しているのだろう。
声が漏れないように口元を覆いながら、必死にもやを抑え込む。
もやが外に漏れてしまえば、すぐに見つかってしまう。
恐怖心を押し殺し、瞑想に集中しようと目を閉じる。
時折かかる雪成の吐息がくすぐったい。
余計なことを考えていてはダメなのに、抱きしめられるような形で密着していることを意識してしまう。
せめて、あの石さえ手元にあればよかったのに。
ないものねだりをしてもどうにもならないとわかっていても、そう思わずにはいられなかった。




