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58 遭遇

 その日はとてもよく晴れた水曜日だった。

 いつもより早起きした私は、すっきりとした気持ちで身支度を済ませる。

 登校まではまだ時間があるけど、せっかく早起きしたのだからと、少し早めに家を出た。


 玄関からのぞく青空は目が冴えるような鮮やかさで、思わず頬がほころぶ。

 まるで世界が祝福しているかのような、完璧な朝の風景。



「おふぁよ」



 あくびをしながら、雪成が言う。

 ずいぶん早い時間に遭遇したものだと思ったが、朝練があるらしい。

 まだ半分寝ているような顔が面白くて、思わず笑ってしまった。


 でも寝ぼけている雪成は気づかなかったようで「ねみー」と言いながら私の横に並んだ。

 本当は隣を歩くつもりはなかったのだけど、今朝はなんだか気分が良くて、他愛ない世間話をしながら並んで歩いた。


 それからまもなく、その日の自分の行動を激しく後悔することになるとも知らずに。






 気づいたら、走行する車の中にいた。

 背後から急に誰かが覆いかぶさってきて、抵抗する間もなく見知らぬ車の後部座席に押し込まれていたのだ。



「ちょ、急に何なんだよ!」



 いっしょに押し込まれた雪成が声を荒げる。

 さっきまでの眠そうな顔とは打って変わった、焦燥感に満ちた顔が現状の危機感を如実に表していた。


 雪成のとなりには、私たちを車に押し込んだらしい男が座っている。

 髪を短く刈り上げた、顔に大きな傷のある男。

 年齢は30代くらいだろうか?

 雪成は学校では背が高い方だけど、男の体格はそれよりさらに2回りほど大きい。


 誘拐。

 拉致。

 監禁。


 物騒な言葉ばかりが浮かんできて、恐怖で声が出ない。

 カチカチと奥歯の鳴る音だけが、嫌に響いていた。


 男はじっと私を見ていた。

 雪成は私を後ろ手で庇うように背中に隠す。



「じっとしてろ。大丈夫だから」



 そう言った雪成の声も震えていた。

 こんなとき、雪成みたいに恐怖心を抑え込んで立ち向かうこともできず、震えることしかできない自分が心底嫌になる。



「な、何の……ご用、ですか……?」



 消え入りそうな声で、そう訊ねるのがやっとだった。

 スモークが貼られた車内が暗いからか、それとも私のもやが充満しているからかわからないが、視界が悪く男の表情もうまく読み取れない。


 男はただ無言で、私を見るだけだった。

 その代わり、助手席からひとりの女性が振り向いて口を開いた。



「大丈夫。怖いことなんてしませんからね」



 同じ「大丈夫」という言葉なのに、どうしてさっきの雪成のものとはまったく違って聞こえるのか。

 緊迫した車内に似つかわしくないほど温和な笑みを浮かべる女性が、私は自分を攫った男よりもずっと怖かった。


 ふと、雪成が息を呑むのがわかった。

 目を見開き、じっと女性を凝視している。


 いかにもお金持ちそうな、銀杏色の着物に身を包んだ老婦人。

 どことなく、父に似た顔立ちのーー。


 そこまで考えて、血の気が引く。

 目の前の老婦人の正体に気づいてしまった私は、無意識のうちに雪成の服の裾をぎゅっと握りしめていた。

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