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56 惚気

「いやぁ、青春だなぁ」



 にやけ顔で言うマスターに、私は苦い顔をして「遠い世界の話です」と返した。

 学校でのことを話すつもりなんてなかったのに、聞き上手なマスターの術中にまんまとハマってしまったのだ。


 今日も、恭太さんとの訓練の日。

 本当は予定になかったけど、たまたま恭太さんの時間が空いたらしく、連絡をもらったのでお願いすることにした。

 約束の時間より早めに喫茶店に着いたら、マスターによる「なんか元気ない?」からの軽快なトークに取り込まれ、気づくと愚痴を吐き出していた。



「いいじゃんいいじゃん。若い子の青春話なんて、聞いてるだけで楽しいもんだし」


「私は楽しくないです……」


「いやいや、そんなこと言って……正直、どうなの?」


「何がですか?」


「彼のこと意識しちゃってないの?」



 口元に手を当てて訊ねるマスターは、まるでからかい甲斐のあるおもちゃを見つけたみたいな顔をしている。

 私は深々ため息をついて「ないです」ときっぱりと言い放つ。



「こんな体質だし、そんな風に考えたことなんて一度もないです」


「体質は関係ないと思うけどなぁ」


「ありますよ……」


「俺は気になんないけど?」



 私の向かいの席に座ったマスターが、頬杖をつきながら笑った。

 余裕のある大人の笑みってやつに、思わずドキッとする。



「……そんなこと言ってると、勘違いする人が出てきますよ?」



 意趣返しのつもりでそう言ってみたが、マスターは大人びた表情を崩さない。

 私はむっとして「彼女さんが怒りますよ」と付け加える。



「それは怖いな」


「……怖い人なんですか?」


「浮気でもしようもんなら、殺されるだけじゃすまないだろうな」


「えぇ……」



 殺されるよりもひどいことって、一体何なんだろうという疑問も浮かんだが、聞いたらいけない気がして口をつぐんだ。

 ただ、そう語るマスターの顔はデレデレと緩み切っていたので、恋人からの重い愛情がうれしいタイプらしい。



「ま、浮気なんてしねぇからいいんだけど」


「……そうですか」


「あ、惚気でもきく?恋愛の素晴らしさを教えてやるぜ」


「遠慮します」



 速攻で断ったのに、マスターは聞こえなかったかのように話を続ける。

 普段はそっけないのに酔ったら甘えてくれるだとか、髪の毛がサラサラでずっと触れていたくなるだとか、正直どんな顔をして聞いていればいいのかわからない内容だ。

 適当に相槌をうっていると、ふいにマスターの背後に人の気配を感じた。


 なんだかひんやりとした空気を感じて顔をあげると、恭太さんが薄い笑顔を浮かべて立っていた。

 恭太さんに気付いていないらしいマスターは話を続けていたが、私は笑っているはずなのに目線だけで人を殺せそうなほど冷たい瞳をしている恭太さんに怖気づいてしまい、それどころではなくなってしまった。



「ん?ちゃんと話聞いてるか?」



 相槌が消えたことに気付いたマスターが、不満そうに問いかける。

 しかし青ざめている私の視線が自分の背後に向けられていることに気付き、顔をひきつらせた。

 そしてそのままゆっくりと振り返る。



「きょ、恭太……。いつ来たんだ……?」


「少し前。何くだらない話をしてるの?」



 恭太さんはそう言って、マスターの頭をガッと掴んだ。

 マスターが痛みに声をあげても「ギブギブ」と叫んでも手の力は緩むことなく、ぎりぎりと頭を締め付けている。



「恭太さん……ま、マスターの頭がつぶれちゃいます……」



 思わずそう言うと、恭太さんはにっこり笑って「そんな簡単につぶれないよ」と答えた。

 その顔があまりに怖くて、でもきれいで、マスターには悪いけどそれ以上は何も言えなかった。

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