37 吸収
遠くで、何かを叫んでいる父の声が聞こえる。
父の手はしっかりと私の腕をつかんだままなのに、こんなに遠くに聞こえるのは、この濃いもやのせいなのだろうか。
気持ちを落ち着かせないといけないことはわかっているのに、あふれ出るもやを、怒りを、止めることができない。
このままもやに包まれて、消えてしまえたらどんなにいいだろう。
そんな不穏な考えが脳裏をよぎる。
そのとき、誰かが私の肩をそっとつかんだ。
少し大きい手、細く長い指先の感触。
気づくと、恭太さんの顔が至近距離にあって「うえっ」と変な声が出てしまった。
恭太さんは私の目の前に、透明の細長い石を差し出し、父に掴まれていない方の手に握らせる。
そして普段よりも少し低めの声で「深呼吸」と呟いた。
言われるがまま深呼吸を繰り返すと「その調子」と囁く。
「手の中にある石の中に、もやを押し込め」
「でも、ど、どうやって……」
「もやの感覚にだけ集中して。感知できたら、それをゆっくりと動かすんだ」
目を閉じて、もやに意識を集中する。
パチッと弾けるような感覚は、普段よりも強い。
感じたもやに押し付けるように石を動かすと、少しだけもやの感覚が減った気がした。
そのままもやを感じる場所に石を動かし続ける。
しばらくすると、するりともやが吸われていくような感覚を感じられるようになってきた。
「上出来」
そう恭太さんが言われて目を開くと、もやはずいぶん薄くなっていた。
ほっと安堵したような視線を向ける小春さんとは裏腹に、驚愕の表情を浮かべている父に気付く。
恭太さんは父の手をそっと私の腕から離したかと思えば、私をくるりと回転させて、凪さんの方へと押しやった。
凪さんはぱっと私を抱きとめ、父から庇うように私の視界を遮る。
「かすみちゃん、大丈夫?!」
「小春さん……」
「気分が悪くなったりはしていない?あんなにたくさんのもやが出たこと、今までにあったかな?」
私の顔を覗き込むようにして、小春さんと先生が声をかけてくれた。
大丈夫だと返したが、先生たちは難しい顔をしている。
どうしたのかと訊ねたら、目が真っ赤に充血しているらしい。
「痛みは?」
「な、ないです」
「見えづらさは?」
「それもないです」
私の返事に先生は頷き、父に「念のため詳しく検査を」と言った。
しかし、父は「必要ない」と一蹴する。
「必要ないって……!かすみちゃんの視力に影響がでたらどうするんですか?!」
非難めいた口調で言う小春さんに、父は舌打ちを返した。
「だから、何も問題はないから検査は必要ない。もやを動かすには相当な力を使う。その代償が出ただけで、すぐにおさまる」
「どうしてそう言い切れるんですか?もし違ったら……」
「違わない!俺もそうだったんだ。そういう体質なんだろ」
そう言って父は、また私に手を伸ばしてきた。
怖くなって後ずさると、私と父の間に先生が割って入る。
「まあまあ」
「……」
「娘さんも混乱していますし、このまま帰宅されても困るでしょう。どうか、そこまで頑なになる理由を話してはくださいませんか?」
「……」
「何か理由があって、今まで隠してこられたんでしょう?」
無言を貫く父に、穏やかに先生が語り掛け続ける。
父はしばらく先生を睨みつけたあと、大きなため息を一つ吐いた。




