36 失望
先生に促されてようやく席に戻った父は、深くため息をついてうなだれた。
そして頭をガシガシとかきむしって、恭太さんを睨みつける。
「こっわ」
まったく怖がっていない顔をして、恭太さんが言う。
凪さんが小声で「刺激しない」と注意したのが聞こえた。
凪さんは恭太さんをかばうように、恭太さんにぴったりとくっついている。
それはそうだろう。
自分の家族が初対面のおじさんにつかみかかられたら、警戒するのも当然だ。
「霧山さん、どうして急に……」
「すみませんね。その子がこちらをずいぶん挑発するもんで」
「挑発?僕は提案しただけだけど?」
「目上の者には敬語を使うよう教わらなかったのか?」
「暴漢が目上?あなたこそ常識がないんじゃない?」
焼け付くような空気に、思わず身構える。
厭味ったらしい話し方をする父なんて初めてで、まるで知らない人みたいだ。
恭太さんはちらりと私に視線を向けて、仕方なさそうに表情を緩める。
「ごめん、怖かったかな?」
「あ、いや……ちょっと……」
そう言いながら、自分の手が少し震えていることに気付いた。
小春さんがそっと手を握ってくれて、ちょっとだけ安心した。
「怖がらせるつもりはなかったんだ。でも、確かめたくて」
「確かめる?」
「そう。そこのおじさんが、本当に何も知らないのかを」
そう言って、恭太さんが父を指さした。
父は恭太さんを睨みつけたまま、黙り込んでいる。
「よくもまあ、長年悩み続ける娘を放っておいたもんだよね。小さいころからトレーニングしていれば、今頃普通の生活が送れていたはずでしょ?」
「……お前に何がわかる」
「わからないから聞いてるんでしょ?バカなの?」
すぱっと恭太さんが言って、父は苦虫を嚙み潰したような顔をする。
そして観念したように話しだした。
「ばれてしまったならもういい。俺はお前ら一族に、娘に今後一切かかわるなと言いに来たんだ。話を聞く限り、伯父の方さえ警戒すればいいと思っていたんだが、予想外だった」
「娘の体質が改善しなくても問題ないと?」
「そういう話をしているんじゃない」
「じゃあ、どういう話?あなたが代わりに訓練してあげるってこと?今まで素知らぬ顔をしてきておいて?」
「……うるさい」
恭太さんに口に勝てないと悟ったのか、父はそう言ってそっぽを向く。
「霧山さん……さすがにこのまま訓練を中断するというのは、あまりにかすみちゃんが不憫です。ご実家とは疎遠だとお聞きしましたが、それが何か関係しているのですか?」
先生の問いかけに、父は「ええ」とぶっきらぼうに答えた。
「うちの娘を親戚連中に引き合わせるなんてごめんです。彼らもきっと、うちの縁戚にあたるんでしょう。だから今後接触は控えていただきたい。……それに、かすみのそれは体調には一切影響のないものですので、もう通院も不要でしょう。うちの者には私から話をしておきますので」
「いやいや、そんな勝手な……」
「勝手?確かに先生方にはよくしていただきましたが、これは家族の問題です。口を出される筋合いはない。ほら、帰るぞ」
父はそう言って、私の腕をぐいっと引っ張る。
ちょうどさっきぶつけたところにあたって、痛みに声が漏れたが、父は気にも留めない。
先生と小春さんが必死に父を説得していたが、父は話をきくつもりはないようで、私の腕を引いたままズンズンと歩いていく。
その背中に、恭太さんが「臆病者」と言い放った。
父は一瞬立ち止まったが、振り返ることなく歩みを進める。
「お父さん、痛い……っ」
痛みと恐怖から泣きそうになりながら言ったが、父には届かなかったのか返事はない。
普段温和な父が怒ったところなんて、初めて見た。
それに、父がまさか何もかも知ったうえで、すべてを隠していたなんて。
強い失望と怒りが、私の中で激しく渦巻いている。
「あらら」
そう呟いたのは、恭太さんの声だっただろうか。
深く濃いもやに包まれて、もう私の腕を引く父の顔すら見えない。
父の「落ち着きなさい」という声が聞こえたが、この状況でどうやって落ち着けというのだろう。
頬を伝う涙をそのままに、私は姿の見えない父に向かって「嘘つき」と零した。




