32 本
「ま、そのうちわかるさ。恋なんてものは、自制がきかないもんだからな」
「……どうでしょう」
温かいまなざしを向けられ、多少の居心地の悪さを感じつつも、悪い気はしなかった。
鼻先をくすぐるコーヒーの香りがたまらなくて、カップをつまんで口元に運ぶ。
「おいしいだろ?」
「はい。とっても」
私がそう答えると、マスターはうれしそうに笑った。
ごゆっくりどうぞ、とカウンターへ戻っていくマスターを見送って、私は鞄から小説を取り出した。
今日、学校で宝生さんが貸してくれたのだ。
これも短編集で、前回は残酷な話が多かったけど、今回はちょっと不思議で悲しい話が詰め込まれている。
物語に没頭して読み進めていると、ふいに誰かに見られているような気がして顔を上げた。
視線の先には、ようやく気付いたと言わんばかりに不敵に笑うきれいな人。
「ひえっ……」
「なにそれ?おばけでもみたの?」
思わず情けない声が漏れると、心外そうに恭太さんが眉を寄せた。
そんな表情もとびきり美人だ。
「いや、そうじゃなくてっ!っていうか、いつからそこに?」
「んー?10分くらい前かな?」
「声かけてくださいよ……」
「楽しそうだったから。邪魔しちゃ悪いでしょ?」
だからって、これはこれで心臓に悪すぎる。
バクバク鳴ってる心臓を落ち着かせるため、軽く深呼吸する。
「そんなにおもしろい本なの?」
「あ、はい。友だちが貸してくれて」
「ふうん。タイトルだけ見せて」
言われるがまま、本を閉じて表紙を恭太さんに向ける。
恭太さんはスマホでそれを撮影し「ありがと」と笑った。
「本、好きなんですか?」
「そうだね、割と読む方かな?霧山さんも?」
「私は普段はあんまり……。でも最近友だちに借りた本が面白くて、はまりそうです」
「そう。じゃあ、僕も貸してあげる」
そう言って、恭太さんは鞄の中から一冊の本を取り出して私に差し出してきた。
「好みじゃなかったら読まなくてもいいからね」
「あ、ありがとうございます……!」
予想外の展開にテンパりつつ、本を受け取る。
恭太さんが読む本……どんなのだろう。
好奇心を抑えられずにパラパラとページをめくると、ところどころにきれいな挿絵が入っている。
文章量もそんなに多くないから、さらっと読んでしまえそうだ。
そこに、マスターが恭太さんのコーヒーを運んできた。
いつのまに注文を済ませていたのか、まったく気づいていなかった自分に改めて驚く。
「お、ようやく気付かれたか」
「マスター……教えてくださいよ……」
「悪い悪い、すっごい集中してたから」
そう言いつつも、まったく悪びれていないマスターに笑ってしまった。
昨日から心にささくれ立っていた棘は、いつのまにか気にならなくなっていた。
「そういえば霧山さん、こないだうちの伯父に会ったんだよね?」
「はい、いろいろ教えていただきました」
「次の訓練のことも聞いた?」
「あ、もやを感知するってやつですよね。恭太さんにお願いしてあるって聞きました。よろしくお願いします」
恭太さんはうんうんと頷いて、じっと私を見つめる。
どうしたのかと思っていたら、ふいに足元の空気が冷たくなったように感じた。
冷房の風だろうか?
それにしても、急に?
気になって足元に目を向けるも何もなく、冷たさも消失していた。




