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23 マスター

「僕、コーヒー。ホットで」


「はいはい」


「あ、私も同じものを」


「はい。少々お待ちください」



 そういって微笑んだ男が色っぽくて、思わずドキッとした。

 恭太さんはカウンターへ戻っていく男の後ろ姿をしばらく眺めたあと、私に視線を移した。



「ああいうタイプ、好み?」


「えっ!い、いや……なんていうか、住む世界が違う感じが」


「そう?結構庶民的な人だけど」



 くすくすと恭太さんが笑う。

 それがなんだか楽しそうで、あの男の人とすごく仲がいいんだろうなと思った。



「それで、何かお話があるんですよね?」



 私が切り出すと、恭太さんは笑うのをやめて「そうだね」と私をじっと見つめる。

 心の奥底まで見透かされているような視線に思わずたじろいだ。



「ちょっとプライベートなことをいくつか聞きたくて。答えたくない質問があったら、無理に答えなくてもいいよ」


「はい」


「君のご両親のことなんだけど、出身はこのあたり?」



 もっと話しづらい質問をされるのかと思ったから、少し拍子抜けしつつも、首を横に振った。

 母はこのあたりの出身だが、父は九州の生まれだ。

 ただ、父は両親との折り合いが悪いらしく、付き合いはほとんどない。

 私のもやのこともあり、家族で帰省したことすらないくらいだ。



「九州、か。具体的な地名はわからない?」


「はい。聞いたことはあるんですけど、はぐらかされてしまって」


「そう。……あと、きょうだいはいる?」


「妹がひとりいます」



 妹ののどかは、私の2つ年下で、今は中学2年生。

 おっとりとした性格で、私のもやを気にするそぶりはない。

 生まれたときからの付き合いだから、姉はそんなものだと思っているのだろう。


 しかし、小学生のころ、のどかが私のもやのことで友人にからかわれているところを見てしまった。

 のどかは軽く受け流していたけど、私なんかが姉だから、のどかに悪意が向けられることもある。

 そう思うと罪悪感が溢れてきて、私は家の外では極力のどかに近づかないことを決めた。



「妹さんはもやは?」


「出てません」


「そう」



 それから恭太さんは、少し考えるように沈黙した。

 店内に流れるクラシックらしき音楽だけが、静かな空間に響いている。



「失礼します」



 そう言って沈黙を破った男は、私と恭太さんの前にコーヒーを並べる。

 それにあわせて、シンプルなチーズケーキも。



「え?あの……」


「サービス。苦手じゃなかったらどうぞ」


「あ、ありがとうございます」



 頭を下げると、うんうんと温かい目で頷いてくれた。

 こういうのを大人の貫禄……いや、包容力というのだろうか。



「俺は千原楓馬(ちはらふうま)。気軽にマスターって呼んでくれ。そんでこいつは、俺の元教え子」


「教え子?」


「そ。俺学生時代に家庭教師やっててさ、そのときの生徒なの」



 そう言って、マスターは恭太さんの頭を乱暴に撫でまわす。

 恭太さんは迷惑そうにそれを引きはがし、ため息をついた。



「すっごくうざったらしい人だけど、悪い人じゃないから」


「なんだよそれ、褒めてんのか?貶してんのか?」


「あと、もやのことも知ってる」



 マスターを無視しながら恭太さんが言って、私は口を開けたまま固まった。

 そして納得した。

 店内が薄暗いから私のもやが気にならないのかと思っていたけど、もやのことを知っていたから反応しなかったのだと。



「妙な偏見とかもないし、このあたりでどうしてももやが止まらなくなったり困ったことがあったりしたら、ここにくるといい」


「でも……」


「そうそう。うちはいつでも大歓迎。遠慮せずおいで」



 そう言って、マスターは私の頭をわしわしと撫でた。

 大きな手のひらが温かくて、視界がゆがむ。

 私は小さく頷いて、涙をこらえながら「ありがとうございます」と呟いた。

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