143 新しい関係
「そろそろ卒業でもいいんじゃないかな」
頬杖をつきながらそういう恭太さんは、相変わらずうっとりするほどきれいだ。
「もうずいぶんコントロールできるようになってきたし、日常生活で困ることもないでしょ?これ以上教えられることはないと思う」
「あ……」
訓練の成果を褒めてもらえるのは素直に嬉しい。
それでも煮え切らない返事が出てしまうのは、恭太さんとの訓練の時間を気に入っているからだった。
ずっとこのまま甘えているわけにはいかないとわかっていても、もう少しこの心地いい時間を享受していたかった。
「まだ何か不安なことでも?」
「……いえ、大丈夫です」
首を傾げる恭太さんには、にっこりと笑ってみせる。
この数ヶ月、恭太さんにはたくさん迷惑をかけてきた。
このままお世話になっていたいなんてわがまま、とてもじゃないけど言えない。
恭太さんの言う通り、私のもやはすっかりとなりを潜めている。
実際にもやを完全に抑え込めているわけではないが、石に押し込んでしまえば外には漏れない。
悠哉さんが用意してくれた例の黄色い石は、今はネックレスになって私の首にぶら下がっている。
ペンダントトップは取り外しが可能で、TPOに応じてブレスレットやアンクレット、ストラップなんかに付け替えられる仕様だ。
「まぁ、困ったことがあればいつでも相談においで」
「はい……」
「なに、寂しい?」
さらりと問われ、思わず言葉に詰まる。
すぐに否定しなければいけなかったのにと慌てて口を開くが、満足げな顔で私を見る恭太さんと目が合って押し黙ってしまった。
「そんなに懐かれると、気分がいいね」
細く長い腕が伸びて、私の頬に指先が触れる。
くすぐったさに肩を揺らすと、恭太さんはふっと楽しそうに口角を上げた。
「……浮気だ」
不意に背後からじっとりと湿った声が響く。
恭太さんはあからさまに機嫌を損ねた顔をして、ぐっと眉を寄せた。
「そういう野暮なことを言いに来たんなら、さっさとカウンターに引っ込んで」
「あー!そういうこと言っちゃいけないんだぞ!恋人をないがしろにすんなよ!!」
「うるさい。鼓膜が破れる」
「破れねぇよ!!」
やんやと騒ぎ立てるマスターをしっしっと追いやるように、恭太さんが手を振る。
マスターはぶすっと膨れた顔をして、ドカッと恭太さんの隣に腰かけた。
「……邪魔」
そう言いつつも、恭太さんはマスターを突き飛ばすことはなく、大人しくその隣におさまっている。
あまりに大人気ないふたりに、思わず笑みがこぼれた。
マスターは膨れ面のまま恭太さんの横髪に手を伸ばし、耳にかける。
恭太さんは深々ため息をつきながら「浮気なんてしないってば」と小さく呟いた。
「仲良くすんのはいいけど、さっきみたいなのはダメだからな」
「なに、さっきみたいなのって」
「イケメンムーブだよ!!あんなん全世界が惚れるだろーが!!」
「バカじゃないの……」
そう思うだろ、と話を振られて苦笑する。
確かにあれは魔性だ。
全世界はわからないけど、一定数の人間は堕ちてしまうだろう。
「まぁ、このバカの言うことはどうでもいいんだけど」
「バカっていうやつがバカなんだぞ」
「は?」
軽口に軽口を返し、ドスの効いた低い声をぶつけられるマスターが不憫な気もしないでもない。
でもなんだかんだ嬉しそうだから、これはこれでいいのだろう。
「これからはオトモダチってことでどうかな?」
「へ?」
「先生と生徒はおしまいだけど、このままさよならってのもなんでしょ?それか、可愛い妹分っていうのも悪くないね」
遠回しに縁を切るつもりはないと言われているのだと理解して、胸の奥が熱くなった。
こんなに甘やかされていていいのだろうか。
でも陽だまりのような優しい眼差しで見つめられてしまえば、遠慮するなんて無理だ。
結婚式にはちゃんと招待してよね、とからかわれたので「お二人も呼んでくださいね」と泣き笑いで返した。




