135 遠い日
「かすみちゃん、小さい頃うちに入院してたの覚えてる?」
昔を懐かしむような遠い眼差しをして、小春さんが問いかけた。
私は少し悩んで、正直に答える。
「記憶にはないんですけど、親から聞いたことはあります」
「そうだよね、小さかったもんね」
こーんなに小さかった、と大げさに手で表現する小春さんに苦笑する。
確か、幼稚園に入園する前だったはずだ。
でも小春さんのジェスチャーは、生まれたての赤ちゃんくらい小さい。
「かすみちゃんがうちに通い始めて、結構経ってからだったかな」
「小春さんはもうこの病院にいたんですよね?」
「うん。かすみちゃんの入院の少し前にね」
改めて考えると、長い付き合いだ。
看護学校卒業後、すぐにこの病院に勤めだしたと言っていたから、当時は新人看護師だったのだろう。
それでも、記憶の中の小春さんは、いつも頼りになるお姉さんだった。
「入院中ね、かすみちゃんのお母さん、ずうっと泣いてて」
「あぁ……」
安易に想像がつく。
きっといつもの悲劇のヒロインだ。
今よりもきっと、当時の方が程度がひどかったんだろう。
ペコリと頭を下げて「うちの母がすみません」と謝ると「そういう意味じゃないよ」と首を振った。
「親が不安そうな顔をしてるとね、子どもも影響を受けて不安定になりやすいの。だからかすみちゃんのことも注意してほしいって、先輩に言われてね。病室へちょこちょこ顔を出して、様子を見てたんだ。お母さんが先生とお話ししているときとか」
「えっと……なんか暴れたり泣いたりしてました?」
「ぜーんぜん。私の顔見た瞬間、にこーって笑うのがかわいくって」
へへっと笑う小春さんに、気恥ずかしくなる。
「かすみちゃんはね、すごくいい子だったんだよ。お母さんの頭を撫でてあげててね」
「頭を?」
「そう。泣いてるお母さんを放っておけなかったんだろうね。大人が小さい子にやるみたいに、よしよしって。小さな手で疲れるだろうに、ずっと」
「へぇ……」
今となっては考えられないが、当時の私はきっと、母のことが大好きだったんだろう。
泣き止んで笑ってほしいと思うくらいには。
「その姿にぐっときちゃって」
「……は?」
それだけで?
口には出さなかったけど、充分に伝わったらしい。
小春さんは困ったように笑って「変でしょ?」と視線をそらした。
「変……では、ないですけど……なんか」
「それだけでって?」
「はい……。なんかもっとこう、感動的なエピソードが」
「あはは、そういうのもいいけどねぇ」
ぽりぽりと頬をかきながら、小春さんが目を細めた。
遠い日の私を思い出しているのか、それとも違う大切な人を思い出しているのかわからない、切ない表情。
「当時、少し心が参ってて」
「……何かあったんですか?」
「妹がね、死んじゃったの」
え、と乾いた声が出た。
何の気なしに言っているようで、小春さんの目には、うっすらと涙の膜が張っている。
ゆらゆらと揺れる瞳が儚げで、思わず手を伸ばしそうになった。
でもきっと、その悲しみは私には拭えない。
そうわかったから、降ろした手のひらをきゅっと握った。
小春さんはそんな私を見て、少しだけ眉間にしわを寄せた。




