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『ご無沙汰しております。いやいや、お元気そうでなりより』


「だから、誰だと言っている!」


『あはは、分家の者など、いちいち覚えてはおられませんか?ご対応下さるのは、いつも奥様や使用人の方でしたもんねぇ』



 のんびりとした話しぶりは、人を煽るのに十分すぎるほど。

 老紳士は怒りに染まった顔をしながら、拳を握りしめている。

 そのとき、通話口の少し遠くの方から『お父さん……』と弱々しい女性の声が聞こえてきた。


 老紳士の顔がさっと青ざめたのがわかった。

 少し低く、かすれた老人特有の声質には、聞き覚えがある。



『切羽詰まった状況だったとはいえ、守りをおろそかにするのはいただけませんねぇ』



 その悠哉さんの言葉を合図に、父は画面を老紳士の方へ向けた。

 そして老紳士に画面が見えるよう、ゆっくりと歩みを進める。

 横目でチラリとみた画面の中には、泥まみれになって蹲る老婦人の姿があった。

 こちらと同じく、老婦人の周囲には多くの人間がぐったりと倒れこんでいる。


 ひゅっと細く喉の奥を鳴らした老紳士は、顔面蒼白だった。

 いくら嫌いな相手とは言え、身内の惨めな姿を見るのは居たたまれないのか、父の顔色も悪い。


 こんな場面で不謹慎だと思いつつも、老紳士と父の表情はとてもよく似ていた。

 この人は自分の血縁者なのだ。

 そう思い知らされるようで気分が悪くて、私は下唇を噛み締めた。



「死者は出していませんね?」


『もちろん。誰も死んではいませんよ。死んでは、ね』



 軽い調子で言う悠哉さんに恐怖心を抱く。

 この人が味方でよかったと、しみじみ思った。



『おと、おとう、さん、もうやめましょう。むり、むりです。これいじょうは、むり』



 たどたどしい言葉で、老婦人が言う。

 時折、カチカチと歯の当たる音がする。

 恐怖に震えているのだろうと思っても、同情心は微塵もわいてこない。


 老紳士はうろたえながらも「何を言っている」とぎこちなく笑った。



「この子さえ連れて帰れば、何も問題ない。こんなやつらなど」


『いけません!さか、さからったら、こ、こ、殺される……。ころさ……』



 嗚咽交じりの老婦人の声を遮るように『やだなぁ』と悠哉さんが言った。



『殺したりなんてしませんよぉ。殺したりは、ね』



 なんとも含みのある言い方だ。

 他人を脅すことに慣れている、そんな口ぶり。


 以前は毅然としていて恐ろしいとしか思えなかった老婦人が、今はか弱い子どものように思えてならない。



「うっ、うるさい!うるさいうるさいうるさいうるさい、うるさいっ!!」



 そう叫んだ老紳士は、老人とは思えない動きで私の方へ手を伸ばし、駆け寄ってくる。

 しかしその手はあっけなく恭太さんにつかまり、一気にひねり上げられた。

 声にならない悲鳴を上げて、老紳士はその場にへたりこんだ。



「うるさいのはどっちなの。往生際が悪い」


『まぁまぁ、ここまで追い詰めても追撃がない、ということは……これ以上の加勢はないとみていいだろう』


「じゃあ、あとは教育だけだね」


「教育?」


『悪いことをしたら、ちゃんと反省してもらわないといけないからねぇ。じっくりと思い知らせるんだよ。逆らったらどうなるのか、歯向かおうなんて二度と思えなくなるまで、みっちりとね。そのうえで、徹底的に管理するんだ』


「か、管理……」


『恐怖心ほど、人の心を容易に支配できるものはないからね。喉元過ぎれば何とやら……にならないよう、ちゃんと定期的に締め上げるから安心していいよ』



 今悠哉さんの顔は見えないけれど、どんな顔をしているのか想像がつく。

 顔は笑っているのに目の奥が笑っていない、あの怖い顔に違いない。

 ぶるっと身震いをして、愚かに震える老紳士に視線を向ける。

 すでに恐怖に支配された彼は、すっかり戦意を喪失してしまっていた。


 しかしそれに追い打ちをかけるように、恭太さんが老紳士の耳元で囁いた。

 


「あなたたちが今までしてきたようにね」



 老紳士の目には涙が滲んでいる。

 あまりにも冷たい声だったけど、全然怖くはなかった。

 恭太さんが私のために怒ってくれているのだと、わかっていたから。

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