126 道案内
そのとき、背後から「すみません」としゃがれた声が響いた。
振り向いた先にいたのは、杖をついた老紳士だった。
細身のスーツにキャメルのロングコートを羽織った姿は品があり、真っ白な髪はきれいに後ろに撫でつけられている。
なんというか、資産家っていう感じの人だ。
「少し道をお尋ねしたいのですが」
どうやら老紳士は、在原大学病院へ向かっているらしい。
長年お世話になっている病院への道筋を思い出しながら説明するも、うまく理解してもらえない。
雪成がスマホで地図を確認してはどうかと提案したが、扱い方がわからないと一蹴されてしまった。
「道案内をお願いできませんか」
そう問われて、雪成と顔を見合わせた。
「申し訳ないのですが……」
「なんとかお願いできないでしょうか?離れて暮らす息子が入院しており、一刻を争うのです」
「えっと……じゃあ、タクシー呼びましょうか?」
必死な様子の老紳士を放っておく気にもなれず提案するも、首を左右に振られてしまった。
治療費に予想外の費用が掛かって、金銭的余裕がないという。
こんなに質のよさそうな服装をしているのに、と思わないわけではなかったが、それを言っても仕方がないのでどうしようかと頭をひねる。
困っているのであれば、案内してあげたい気持ちはある。
それでも、この状況下で安請け合いするのは憚られた。
「おい、どうした」
弱り切っていると、校舎の方から体格のいい男が歩いてきて、そう声をかけられた。
今年この学校に赴任してきた体育教師だ。
いかにも熱血教師と言う風貌をしているのに、中身はクールで、そのギャップが女生徒の人気を集めているという噂だ。
まぁ、単純に顔がいいから人気があるだけかもしれないけど。
「えっと、この方が大学病院へ行きたいそうなんですけど、うまく道順を説明できなくて」
「君は確か、霧山さんだったか。そこは、君が通っている病院だろう?」
「え?あ、そう……ですけど」
先生の言葉にぎょっとする。
他人の前で、教師が生徒の個人的な事情を口にしてもいいものなのだろうか?
そもそも、自分が受け持っているわけでもない生徒の通う病院をなぜ知っているのか。
そう思わないわけでもなかったが、私は学校内では有名人だ。
もちろん、悪い意味で。
だから情報が伝わっていても、おかしくはない。
だからといって、この場で口にすることじゃないとは思うけど。
「俺が案内してやれたらいいが、方向音痴でな。たどり着ける自信がないんだ。霧山さんの都合が良ければ、案内を頼めないだろうか。もちろん俺も同行するし、案内が済んだら学校まで戻るのに付き添おう」
「ほかの先生にお願いしてみては……」
「すまないが、ほかの先生方はみな忙しそうでな。俺はもう帰るところだから、お任せするのは申し訳ない」
下手に出てはいるが、断らせてくれるつもりはなさそうだ。
どうしようかと雪成を仰ぎ見ると、彼もまた困った顔をしていた。
「今、友人を待っていて……。その子が来てからなら」
「いや、息子さんが危ないのだろう。お待たせするわけにはいかない」
「でも」
「彼も君の連れだろう?」
先生がちらりと雪成に視線を向けて言った。
私たちが頷くと「ならば」と先生は続ける。
「友人のことは彼に任せておくといい。ほら、すぐに行くぞ」
そう言って背中を押されてしまっては、もうどうしようもない。
引き留めようとする雪成に大丈夫だと頷いて見せて、私は歩き始めた。




