121 贅沢な朝
部屋を出ると、廊下に待機していたらしいおじいさんが朝の挨拶をしてくれた。
紅葉ちゃんと並んで頭を下げ、挨拶を返す。
「皆様、集まっておいでですよ」
そう促され廊下の先へ進む。
扉の向こうでは、父が難しい顔をしながら新聞を広げてコーヒーを飲んでいた。
家では新聞なんて取ってないから、珍しい光景だ。
どんな記事を見ているのかと後ろからこっそり覗き込んでみると、動物園でキリンの赤ちゃんが公開されたというニュースだったので、なんだかがっかりした。
キリンの赤ちゃんはちょっと見てみたいし、かわいいニュースだと思う。
でもこれを難しい顔して読んでいるのは、明らかに格好つけているだけだ。
「……お父さん……」
あえて言葉にせず、視線だけで訴える。
父は少しうろたえた顔をしながら、そそくさを新聞を畳んだ。
「よ、よく眠れたか?」
「うん」
「あっちに朝食を用意してもらってるから、いただいてきたらどうだ?」
「そうする。紅葉ちゃん、いこ」
そう紅葉ちゃんを促すと、にこにこして頷いてくれた。
父はなぜかほっとした顔をしていたが、紅葉ちゃんに「キリンがお好きなんですか?」と問われてコーヒーを吹き出す。
目を泳がせながら「ま、まぁ、それなりに?」なんて言っているのが、ますます格好悪い。
軽く引いた目で父を見ていると、こらえきれなかったのか、父の隣に座っていた雨音さんが喉を鳴らした。
「っくく、慣れないことするから」
「……慣れないことってなんだよ」
「お前普段からニュースとか見ないタイプだろ」
「決めつけるなよ」
「……今の総理の名前、言えるよな?」
「あっ、当たり前だろ!」
そう言って父はふいっと顔をそらした。
当たり前だというくせに、答える気はさらさらないらしい。
それはつまり、そういうことなのだろう。
「さすがにそのくらい知っといた方がいいと思うぞ……」
ガチのトーンだ。
しみじみと呟いた雨音さんに、部屋のあちこちから吹き出す声が聞こえてきた。
これ以上触れるとかわいそうなので、紅葉ちゃんの手を引いてテーブルへ向かう。
机の上の大きなお皿には、小さなサンドイッチが並べられていた。
ちょっとずつつまめるかわいいサイズのサンドイッチだ。
「おいしそう」
「どれ食べる?」
「どうしよっかな」
ハムとチーズの挟まったものを手に取り、パクッとかぶりつく。
紅葉ちゃんはジャムがサンドされたものを手にしている。
ふんわりとしたサンドイッチはパサつきもなく、具も瑞々しくておいしい。
サイズが小さいから、2口3口でひとつ食べきれてしまう。
2人揃って、2つ目に手を伸ばした。
「コーヒーと紅茶、どちらにいたしましょうか?」
おばあさんに問いかけられて、紅茶をお願いした。
恭しく会釈したおばあさんは、しばらくしてからきれいなティーカップに淹れた紅茶を出してくれる。
カップに口を寄せると、芳醇な香りが鼻先をくすぐった。
紅茶にはまったく詳しくないけど、家で飲んでいるものより格別に上等なものだ。
こんな状況なのに、今までの人生で一番贅沢をしている気がする。
それがなんだかちょっとおかしくて、私はカップを傾けながら小さく笑った。




