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116 被害者

「それじゃ、茶番はそのくらいで」



 話の流れをすっぱりと断ち切るように、悠哉さんが言う。



「本題に入ろうか」



 そうして廊下の先を顎で指す。

 広い部屋で話そう、という意図だろう。


 それを見て、私の裾を紅葉ちゃんがきゅっと掴んだ。

 私は大丈夫だというように、その手をそっと包み込む。

 そのまま手を繋いで、短い廊下を進んだ。

 たった数歩の距離なのに、緊張やら不安やらが混ざり合って、嫌に長く感じる。


 さっきまで思い思いにくつろいでいた部屋のソファに、体格のいい男性がぐったりと横たわっていた。

 うっすらと開いた瞳が紅葉ちゃんをとらえ、くしゃりと表情がゆがんだ。



「パパ……っ!!」



 同時に紅葉ちゃんが駆け出し、体当たりのように抱き着く。

 小さく呻き声を上げながらも、その人は優しく紅葉ちゃんの背をさすった。


 あのときは、ただただ恐怖しか感じなかったのに。

 不思議な気分で、そう思った。

 車内で携帯トイレを黙って差し出されたときは、感情の読めない無表情が怖くて仕方なかった。

 でも今は、紅葉ちゃんのことが大切で仕方がないのだと痛いくらいに伝わってきて、微塵も怖くなんてない。


 静かな部屋に、紅葉ちゃんの嗚咽だけが響いていた。





 紅葉ちゃんのお父さんの名前は、 穂高(ほだか)さんというらしい。

 穂高さんもあの集落の出身で、紅葉ちゃんのお母さんとの結婚は幼いころに両親によって決められたという。

 当時の穂高さんはまだ小学校に入ったばかり。

 一方で紅葉ちゃんのお母さんはすでに成人していたというから、何か特殊な事情やしきたりなんかがあるのかもしれない。



「家格の差があり、妻には逆らえずに生きてきました。君たちを攫うときも、悪いことだとわかっていながら、抗うという選択肢すらなかった。怖い思いをさせてしまったこと、お詫びのしようもありません」



 深々と頭を下げる穂高さんの隣で、紅葉ちゃんもいっしょに頭を下げる。

 私はそれを見て、つむじの形がそっくりだなんて、場違いなことを考えていた。



「顔を上げてください」



 父がそういって、穂高さんの肩を持ち上げる。

 やせこけた頬、血色の悪い顔、あちこちにできた濃さの違ういくつもの痣。


 ああ、この人も被害者だ。

 そう思うと、胸が締め付けられるような思いだった。



「謝罪は十分していただきました。かすみ、お前はまだ謝ってもらいたいか?」



 父の問いかけに、私は首を横に振る。

 雪成くんは、と続けて問われ、雪成も同様に首を振った。



「ほら、子どもたちもこう言っていますから」


「しかし……」


「娘たちのこと、庇ってくださったんでしょう?それでこんな目に遭わせてしまって、むしろ申し訳ありません」


「何をっ……!あなた方は純粋な被害者です。もっと早くに反抗できなかった自分がいけなかったのです。どうぞ警察に……」


「警察はダメ!!」



 思わぬ単語に、思わず叫んでしまった。

 驚いたような顔で、穂高さんが私を見ている。



「私は紅葉ちゃんの友だちなので、紅葉ちゃんを悲しませるようなことをするつもりはありませんっ」


「だが……」


「難しいことはわからないし、あのときは本当に怖かったけど、でもっ」



 穂高さんの隣では、紅葉ちゃんが両手を胸のところでぎゅっと握りしめたまま、唇を噛み締めている。

 見開かれた大きな瞳には涙の膜が張っていて、今にも零れ落ちそうだ。

 それでも泣いてはいけないと、頑張って堪えているのだろう。

 今すぐ抱きしめたくなる健気さだ。



「……無事に、紅葉ちゃんのところに帰ってきてくれて、よかったって思います」



 話がぐちゃぐちゃになっている自覚はあった。

 それでも、今一番に思っていることを素直に伝えると、穂高さんはまぶしいものを見るかのように目を細めた。

 そしてちらりと紅葉ちゃんに視線を向けて「ありがとう」と言ってうなだれた。

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