103 許さない
この立派な日本家屋は、恭太さんの家なのだそうだ。
それを聞いて、以前凪さんが話してくれた家庭事情を思い出した。
両親が離婚して、恭太さんは父親と一緒に父方の実家に移り住んだと言っていた。
きっとここがそうなのだろう。
そう思って訊ねてみれば、肯定が返ってきた。
今はこの家に、恭太さんとお父さん、そして伯父である悠哉さんの3人で暮らしているらしい。
「マスターの家かと思ってました」
「な。自分の家だってのに、人をこき使いすぎなんだよな」
そう文句を言いつつも、マスターはまんざらでもない顔をしていた。
手際よく傷の手当てをしてくれるマスターに感謝していると、紅葉ちゃんが青い顔をしていることに気付いた。
「あれ、大丈夫?気分悪い?」
問いかけても、紅葉ちゃんはふるふると首を横に振った。
それでも痛みをこらえるかのように、きゅっと唇を噛み締めたままだ。
そんな紅葉ちゃんに、父が何か耳打ちをする。
紅葉ちゃんは目を見開いたあと、唇を少し震わせた。
「大丈夫」
そう言って、父が紅葉ちゃんの背を押した。
紅葉ちゃんは大きな瞳を滲ませながら、所在なさげに私を見つめる。
「かすみん……」
「うん」
「あの……私……」
「うん?」
「ひどいことして、本当にごめんなさい」
そこまで言って、紅葉ちゃんはまた唇を噛んだ。
瞳に涙の膜が張っている。
涙をこぼさないよう、必死で堪えているのだと気づいた。
「かすみんの気持ちも考えないで、私、自分のことばっかりで……。頭も手首も怪我させて、苦しくて怖い思いをさせて、本当にごめんなさい……」
許さなくていい。
許さないでほしい。
紅葉ちゃんはそう言って、制服のスカートを握りしめた。
指先が白くなるほど、強い力で握りしめているのが痛々しい。
私は黙ったまま紅葉ちゃんに近づいた。
そして右手を大きく振りかぶる。
紅葉ちゃんはすべてを受け入れるように、そっと瞼を下ろした。
ゆっくりと振り下ろした手のひらが、紅葉ちゃんの頬に触れて、ぺちっと小さな音がした。
紅葉ちゃんは驚いたように目を見開いた。
予想外だったのか、その拍子に涙が一粒ぽろりと零れる。
「へへ、これでおあいこ」
そう言って、指先で紅葉ちゃんの頬を伝う涙を拭う。
紅葉ちゃんは「全然おあいこじゃないよ」と顔をくしゃり歪ませた。
とめどなく溢れる涙を止めることもできなくなったらしく、拭いきれない涙が指先を濡らしていく。
ひっくひっくとしゃくりあげる姿が子どもっぽくてかわいくて、よしよしと両手で頭を撫でまわした。
許せない。
そう思った。
もちろん紅葉ちゃんのことじゃない。
この純粋な女の子をいいように操っていた人たちを、絶対に許さない。
「お父さん、心配だね」
そう言うと、紅葉ちゃんは首を横に振った。
嘘つき。
そんなに苦しそうな顔をして、無理に笑おうとしたところで到底誤魔化せるはずがない。
それでも紅葉ちゃんはきっと、認めてはいけないと思っているのだろう。
加害者である自分が、被害者に対して同情を誘ってはいけないのだと、本気で思ってる。
そんなところがいじらしくて、たまらない気持ちになってしまった。
紅葉ちゃんの背に手を回して抱きしめると、肩がぴくりと揺れる。
口を噤んだまま腕の中に納まっている紅葉ちゃんの身体は薄く、どうしようもないほど頼りなかった。




