102 危機感
「あなたたち、緊張感ってものが一切ないんだね」
そう怒ったように言った恭太さんは、なぜだか少し機嫌がよさそうだった。
少し緩んだ口元に、普段とは違うあどけなさを感じてドキッとする。
「そういうとこが気に入ってんだろ」
茶化すようにマスターが言って、恭太さんはまた蹴りを入れていた。
それでも否定しなかったところをみる限り、あながち嘘でもないらしい。
恭太さんはゆっくりと紅葉ちゃんに近づき、少し離れたところで足を止めた。
まっすぐ紅葉ちゃんに向けられているのは無表情だけど、その眼差しに冷たさはない。
「さ、勢いで連れてこられた君は、これからどうするつもり?」
「どうって……」
「ここから逃げ出す?でもあの様子じゃ、彼らのもとに戻ってもいいことにはならないと思うけど」
「うぅん……それは別に、どうとでもなるだろうけど……どうしよっかなぁ」
場の雰囲気のせいか、紅葉ちゃんも普段のような柔らかな雰囲気に戻っていた。
首を少し傾けて思考を巡らせている様子に、思わず声を上げる。
「どうとでもって、危ないよ!さっきあの人、紅葉ちゃんのこと殴ろうとしてたんだよ?」
「あぁ、そういえばそうだね」
「いや、だからもっと危機感を持って!紅葉ちゃんが怪我したら悲しいよ」
「えぇ……?えっと……危機感は、かすみんが持つべき……かな?」
気づくと紅葉ちゃんの肩を掴んで揺さぶっていた私に、紅葉ちゃんが困惑した表情で言う。
意味がわからずに首を傾げると「こら」と恭太さんが私の肩を引いて、紅葉ちゃんから引き離す。
「その子の言う通り。さっき自分がどんな状況だったか忘れたの?」
「あ……えっと」
「そもそも、まだ詳しい話すら聞いてないんだけど?まずは先に状況を確認させて」
恭太さんに問われるまま、私は今までのことを説明する。
個人的な事情を勝手に話してもいいものかと紅葉ちゃんに視線を向けると、紅葉ちゃんは親指と人差し指で丸を作ってみせたので、安心してすべてを話した。
その後、恭太さんや父から紅葉ちゃんにいくつか確認をして、紅葉ちゃんも素直に答えた。
ある程度話が済んだところで、恭太さんが深々とため息をつく。
「……ほんっとに、危機感ゼロ。頭みせてごらん」
恭太さんの細い指が、私の後頭部に触れる。
殴られた部分に指先が触れると、ずきっと痛んで思わず顔を顰めた。
自分の手でも触れてみると、小さくたんこぶができていることに気づいた。
「ほら、これ当てときな」
マスターに氷嚢を渡され、礼を言って受け取る。
紫陽花柄のきれいな氷嚢だ。
頭にそっと当てると、ひんやりとして心地よい。
氷嚢を持つ手に、ふいに何かが触れた。
振り返ると、雪成が私から氷嚢を取り上げたところだった。
「すんません、手首も手当てしてやってくれますか?」
「手首?……あ、ほんとだ」
恭太さんが私の手を取って、袖をまくる。
すり切れた手首を見て、眉を寄せた。
「救急箱。早く」
「はいはい、待ってろ」
恭太さんに促され、マスターが背中を向けた。
勝手知ったる様子で室内に足を踏み入れる様子を見て、そういえばとずっと口にしていなかった疑問を口にした。
「ところで、ここっていったいどこなんですか?」




