雑兵元帥編(6)
兵吾たちの駆けだすところを見て、逃げかけていた山吹は足を止め、術の構えをした。楠見はあわてた。
「何をする」
「当てねばよろしいのでしょう。ひととき稼ぎまする」
「死ぬるぞ」
「末の居場所を得るため、山吹の掛け金を積むときにございます」
楠見は邪魔をやめたが、せかせかと視線を尾根の敵方と山吹に送った。馬上の兵吾が打刀を抜き放つのが見えた。恐怖を紛らわすためか、もう誰がどう叫んでいるのかわからなかった。わずかに遅れた大膳正の乗馬が火術の初弾で頭を吹き飛ばされ、大膳正は背中から落馬した。
「ばじゅら・とぅばん・らかばぐらすたん・かりしゃあてぃ」
楠見の眉が上がったときには、術は放たれていた。相殺するように火術が来る。だがその火球は素通りをした。雷術と言っても麻痺の術であったから、相殺しないで互いに通したのである。楠見は山吹に飛びついて、その頭を下げさせた。自分も下を向いた楠見の視界外で、何かが激しく光り、続いて爆音と石つぶてが来た。背中にいくつか擦過傷を作りながら、楠見が顔を上げると、すべては終わっていた。
立ち上がった山吹が情けなさそうに後頭部をいじっているのは、後ろ髪が少し焦げたようであった。おそらく山吹の麻痺も効いたところへ、二郎三郎が放った矢がさく裂し、術者一行三名が転がり、動かなかった。それをまだ抜き身の打刀を下げた兵吾が検分していた。
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兵吾たちがそこで兵をまとめて引き揚げたのは、けが人のことよりも、この異端審問司への攻撃という重大事案を報告し、詮議するためであった。だが襲撃者たちの来歴も割れず、木神も金神も奇妙な沈黙を保って、神託を降ろさなかった。すでに田植えの時期を迎え、掃討はひとまず沙汰やみということになった。
佐賀大膳正は左肩を強く打っており、左腕がどれほど使えるかは数か月の養生の後にしかわからないと医師は言った。だが大輪兼治から感状と褒美の馬が送られてきたこともあり、本人は上機嫌であった。佐賀家と十橋家の間では、飯綱荘の収量が回復次第、大膳正に農地を与えて移籍させる相談がまとまった。
雑兵元帥編 了
農民など士分でない民の多くは、公に名乗らずとも、自分が属する一族については意識があり語り伝えてもいるので、「苗字や家紋は持っている」と設定しておきます。
直参旗本の自らを指して「上様お手足」「上様お手先」といった表現を使う場面が、『旗本退屈男』の小説版にあったような、ちょっと怪しい記憶があります。尊い方々の部下である場合、手先とか手足とか言った表現は、もともと侮蔑表現にならないのだろうと思います。だいぶ前に廃れた日本語話者の意識だとは思いますが。
火術も雷術同様に、行使している間、術者の語尾が妖しく変化します。




