太刀谷擾乱編(4)
与謝部も大輪も、もっぱら戦場で働く動員可能兵力は傘下領主軍を含め四千から五千、それに傭兵と、小荷駄などを任せる農兵が加わるのであったが、外征となると他の領境にも手当ては必要で、連れてゆけるのはその半分が精一杯であった。ただ太刀谷の内紛の分だけ、大輪に数的優勢があった。
大将の居場所を知られれば、術であれ火薬火砲の類であれ、取って置きの攻撃力を浴びせることができた。それはお互い様だから、主力同士の衝突が予想されると、「主力に見える集団」を複数用意するのが定石であった。偵察のため散らばっていた多数の小集団は、そのために少数の大集団にまとめられるのである。通信手段が限られているから、最寄りの味方に合流して、即席の陣立てをするしかない。そういう心利いた進退ができない新参の物見衆は、後退して決戦場から離れるよう言われていた。
だが、密集すれば的にもなる。大輪家は「歩騎合わせて三百人」をそうした集団の標準としていた。傭兵はきちんと隊列を組ませ、武器の持ち逃げなどを防がねばならないから、与謝部は傭兵二百人ほどの組を終始ひとかたまりで行動させ、物見は譜代でまかなう陣立てになった。だから、あまり芝居の上手くない役者に「本隊の影武者」をやらせる無理を背負っていた。本物の本陣近くに、どうしても傭兵隊を集中配置してしまうのである。
それも自分たちから仕掛けるしかない理由となり、それをまた読まれていた。
馬蹄の音、あちこちで不規則に上がる喚声は、決戦が近いことを両軍に告げていた。そして目立たない騎馬の一団から、最初の火術が放たれた。
馬がおびえるので、術者は下馬しなければならない。もちろん大輪黒杖衆は、同じように下馬する影武者数名を用意していた。それでもそれは、間違えようもない魔法攻撃の予兆だったが、どの与謝部側歩騎集団も急に止まることができなかった。そして術者が狙ったのは、大輪陣へ突撃してくる与謝部傭兵隊のひとつだった。
火炎は音を立てないが、人馬は立てた。絶叫の多くは短く途切れた。半数が死傷し、傭兵隊は壊乱して動きを止めた。術者は影武者たちとともに懸命に逃げ散ったので、攻撃はそれきりだったが、戦慄は静かに与謝部勢へ広がった。
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「我が黒杖衆、無事に離脱した由」
「うむ」
馬上で報告を受ける大輪兼治の微笑はこういうとき、どうにも人の悪いものになった。もちろんそれを指摘する者は左右にいないから、そのままだった。さすがにこういう場では、大輪兼治も陣立てを崩して前に出たりしなかった。
与謝部の術者は、本陣への脅威を排除するように命令を受け、配置されていた。だから攻撃隊の戦闘で被害が出ても、反撃して自分の位置をさらすことをしなかったのである。
「総がかりよ。貝吹けい」
互いに本陣に突っ込まぬまま術者を温存し、周辺の部隊同士で通常戦闘を行い勝負を決する。それが互いに術者を持ち、相互(本陣)確実破壊の関係にあるこの世界では、よくある大兵力決戦の姿だった。そしてわずかな危険で与謝部側周辺部隊の士気を折った大輪は、戦う前から優勢にあった。兼治の声は、それを反映して弾んでいた。
法螺貝の音は戦陣の合図であるとともに、士気を高める道具立てだった。そしてすでに突入態勢にあった与謝部の先陣は、大輪の先陣とぶつかった。印地(石つぶて)打ちたちが与謝部の槍兵を乱し、逃げながらまた打った。既に誰も彼も、恐怖を紛らすために声を上げていた。
槍兵の押し合いを避け、回り込もうとすれば、両家譜代の騎兵たちは同じような位置取りをして、衝突することになった。徒士が懸命に走って追った。長柄物が振り回され、落とされた騎馬武者は割の悪い生存の賭けに巻き込まれることになった。徒士に混じれば、身を助けるはずの上等な武具は、手柄首のしるしでしかない。
そして二度目の火術が、そうした小勢のぶつかり合いから放たれた。与謝部勢の密集した場所ではなく、直接的な被害は多くはない。しかし一方的に術を放たれている印象は強まった。今度は与謝部の騎馬弓兵隊が急行して、術者を含むと思われる大輪勢を追い散らし、死傷者を出した。
その様子は大輪兼治の位置からは遠く、術が使われたことしかわからなかった。だが決死の攻撃であろことは察せられた。大輪兼治は何かをこらえたように無表情を作り、そして叫んだ。
「本隊を押し出す。与謝部本陣に寄せよ。度胸比べつかまつる」
おう、と馬廻りが応じて叫んだ。術を放てば、生き残った敵術者が我が術者をつぶしに来る。我慢比べである。だが副次的な効果として、与謝部の術者はこれで本陣に拘束されることになる。残りの戦場では大輪の優勢がますます意識される。
本隊を包んでゆく興奮を、大輪兼治は冷めた目で眺め渡した。これで勝利は決まったと兼治は考えていたが、その理由は、今騒いでいる者たちの多くが考えているものではなかった。大輪は有利な血の取引をして、与謝部にごっそりと出血をさせる。それは少し時間をかけて、与謝部の威勢と領地を削ってゆくのである。いま本陣で本陣を攻めようとしているのは、いわば囮である。周囲の与謝部勢が壊走を見せたら、引くつもりであった。
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「ついに野戦の待ち伏せは、ございませなんだ」
「これより、どうされます。太刀谷の郎党ども、どちらにつきましょうや」
兵吾の問いに、二郎三郎は微笑を返した。
すでに太刀谷城のすぐ近く、高い矢倉からなら矢が届きかねない位置まで兵吾隊は近づいていた。太刀谷勢は主の変容にも関わらず、多くが城にとどまっているようだったが、近づいてすら来なかった。だからといって、当主への討伐隊を歓迎してくれるとも思えなかった。
「ご領主がたぶらかされる例は多くはございませんが、神職が討伐した先例もないわけではございませぬ。ここまで無傷で来られたのは重畳ですが、支度も少々ございます」
二郎三郎は油紙の包みをふところから取り出し、押し頂くと、ぺらぺらの呪符を中から取り出した。そして五枚あることを確かめて、言った。
「隠形の呪符にございます。同行できるのは四人」
「身共と大膳正、向田どの、ひかり」
弥助が身を縮めた。死霊の気配は生者ではないゆえに、感じ取ることができないようなのだ。儀次郎は残留組を率いねばならない。
「お連れ下さいませ」
与一郎が甲高く言った。兵吾は用意していた言葉を口にのぼせた。
「与一郎、我らは死地にゆくのではない。父御を生き残らせる三人に、まだ汝は入らぬ」
「与一郎どの。初陣は生き残ることが手柄よ。ここまでよう致された」
もはや別家の与一郎に言葉遣いを改め、向田甚太は次の言葉を……継がずにやめた。それはそれこそ、転生者たちがよく言う「旗立ての言挙げ(口に出すこと)」になったであろう。
「御神職さま、ひとつお尋ねしても、よろしゅうございますか」
「何なりと」
ひかりの問いに、二郎三郎は温容を崩さず答えた。はるか目下から問いかけることは非礼である。寛容な態度であった。
「死霊術師なるもの、太刀谷のお殿様をたぶらかし、なおその場にとどまっておるのでございますか」
「我ら神職の者には、かの者たちの居場所を知る手立てがある。高直なるものではあるが、神託まで賜ったとあらば万全を期さねばならぬ。本社に見張りの者がおって、動けばすぐに知らせが届く」
「なぜ動かぬのでございましょう」
「ひかりどの」
重ねて問うのは非礼が過ぎると大膳正が口を出すのを、当の二郎三郎が制した。
「続けなさい。辻占を侮る神職はおらぬ」
「討伐隊が来るとわかっていて、死霊術師はなぜ逃げないのでございましょう。何かたくらみがございませんでしょうか」
「ふむ」
いつもの手順に乗せて事を運んできた二郎三郎が、立ち止まって考えこんだことを兵吾は感じた。




