つづら師編(1)
「分かれかけの'ぱんげあ'」と言えば、この惑星の地勢を思い浮かべていただけるだろうか。地球に比べると海の面積が少々狭いのだが、大陸の中に海峡のような細長い塩水湖が(比較的最近の年代に)形成されており、唯一の大洋は大陸に囲まれて、北極も南極も大陸の一部が覆っていた。大陸の切れ目は地球のそれとは一致せず、大陸の東の端に特別な国があるわけでもない。だが転生者たちは、大陸の東端にある幻の故国を懐かしみ、地名や国名にその記憶を引き継ぐことがあった。ここ千年の間に成立した大国の多くは、転生者たちが支配するか、少なくとも支援してできたものだったから、あちこちに似たような名前の国があった。
十橋荘のある国は、国号を敦馬といった。南北に延びる細長い塩水湖の西岸に広がっていたが、大陸全体ではむしろ内陸の位置である。他の多くの国同様、国王の権威は緩やかに衰退し、乱世になっていた。
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「転生者の中には、遠くまで声を飛ばせる術者、わが身を瞬時に遠くに飛ばせる術者もいた。今もいると言われるが、めったに現れることはない。こうした力ある者が仲間となれば、大きな国を作り、保つことができた。例えば恐ろしい竜が現れた国では、こうした力で国の力を合わせなければ人は滅びてしまうから、強い国ができた。だが長続きしなかった。なぜかわかるか」
神社方が管理する中村の塾で、鳳吾は講堂を見渡した。二十才を過ぎた年恰好の者もいたし、女児もいた。国史の講義は原則として十才からだが、村の戸籍は流入者もいてあまり正確ではなかったから、ちょっと怪しい子もいた。講堂といっても、椅子は三十人分ほどしかなかった。そして、椅子は足りていた。
「人の力で国を保っているから、人の力が衰えれば、国はばらばらになってしまうのだ。優れた術者はその国の公家なり武将なりになったが、その子供たちに同じ力があるわけではなかった。だが、もうひとつ理由がある」
手が上がった。利発だが生意気そうな子だった。鳳吾はうなずいて発言を許した。
「違うのだ大戦ですね」
「そうだ。兄から聞いたか」
「はい」
前年の受講生によく似た少年がいたことを鳳吾は覚えていた。家に帰り、得意になって聞いたことを語って聞かせていたのだろう。良いことだと鳳吾は思った。
「転生者たちはそれぞれに、異界の正義、好み、性癖を持って国づくりをした。竜を倒すとか、悪王を倒すとか言ったことでは容易に力を合わせることができても、脅威が去って自由な国づくりができるようになると、信ずるものの違いが表れてしまった。転生者同士の仲違いで大国が割れ、あるいは大国同士がぶつかって無数の死者が出ることが、この千年のうちに三度あった。転生者たちはそれを、違うのだ大戦と呼んでいたという」
鳳吾の口調は苦々しく沈んだ。
「これを第一次、第二次と数えることはほとんどない。一度大戦に加わった国々は、生き残ったとしても人々を二度と戦いに駆り立てることができず、次の大戦までに滅ぶか、弱まってしまった。転生者が政治と戦争の中心から外れて、大きな国は緩やかな結びつきを保つだけになり、中にいる諸侯が小さくまとまり、互いに争うようになった。それが今の世だ」
鳳吾は受講生を見回した。みんな神妙な顔で聞いていた。
「この世界の、術を持たない人間たちもまた、世の中を進めている。電信や電話は今、大陸のほんのわずかな部分を結んでいるだけだが、やがて人間世界を覆うだろう。人々の意見が瞬時に伝わるようになれば、それは一つの考えを共有するための力になる」
にっこりした顔がいくつかあった。だが受講生に混じっている大人の何人かは、むしろ表情に苦みを増した。
違うのだ大戦の間に、多くの術者が殺された。戦場でのぶつかり合いと同じくらい謀殺があった。転生者は無敵ではない。そして転生者を殺すために最も適した武器は、他の転生者。そのことを世界が知った。術者ではない多くの人々が連携できれば、それは術者を圧迫する力となり、捨て身の反発を招いて、新たな火種ともなりかねない。もちろんここにいる大人たちにも、それを知っている者がいるのだった。
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教導場に送り込まれた、雷術師(見習)山田花の日常は午前が体力づくり、午後が雷術訓練であった。体力づくりの指導者は山忍びであった。
「この一周で貴様らは死力を振り絞る思いであったろう。だが戦場に'ここまで'はない。次の一周で見たことがない己の姿を見てもらう」
「……」
林道の脇に倒れ込んだ受講生たちは、誰も声を発しない。だが指導者は冷たく言い放った。
「許された返事は'にんじゃあ'だけだ」
「「「にんじゃあ」」」
受講生たちから弱弱しい叫びが上がった。この世界の常識からすれば、若い娘たちが薄着で湯気が上がるほど汗をかいているのは煽情的な光景かもしれなかったが、男の受講生にそんなことを考える余裕はなかった。
「そのままで聞け。我々全転生者組合は戦場に術者を送らない。それはお前たちのことを思って……ではない。どこかの大領主の味方をすれば、残りの世界から袋叩きに合うからだ」
最低限の休憩時間として話を聞かせているのも確かであったが、花はそれだけではないと感じていた。座学の時間には、講堂に上司や同僚の目と耳がある。術者の集まりだから、当然それはある。だがここにはない。おそらくでしかないが。
指導者は、公的な場では伝えられない機微を転生者たちに伝えてくれているように思えた。
「お前たちにとって、術者であることは仕事だ。できる仕事仲間を持て。それとは別に、友も持て。仕事仲間を持てない者は、友にすべてを頼ることになる。術者と知って寄ってくる者の中には、どれだけ用心しても、回し者がいるのだ。ある日気づくと、お前たちは友のせいで、どこかの大領主に仕えて、命ぜられるまま戦に駆り出される羽目になっている。もっと悪いかもしれない。頼まれて人を殺す連中だ」
受講生たちの激しい息が、ずいぶん静かになってきたことを花も感じた。だが指導者の声はもう少し続いた。
「何事もなさそうな護衛任務が、実はお家騒動であることもある。全転も巻き込まれたくはないのだが、たまに見抜けず受けてしまうことがあるのだ。そういう仕事で人を殺めたとき、仕事仲間では救えぬ心を、友が救うことがある。だからやはり、友は持った方が良いのだ」
指導者は、言うべきでないことを言ってしまったのをごまかすように、早口になった。
「次の一周、悪人どもが迫っていると思い、命の限り走れ。では起立せよ。出発」
さすがに受講生たちの反応は、素早かった。指導者はそれでも、何度も手を叩いて急き立てた。




