イントゥ・フリー
無人島にひとつだけ持っていくとしたらなにを選ぶか。
確たる答えなどない、取り止めもない質問だ。サバイバルツール、飲料水、衣服、あるいは通信手段。
どれも間違ってはいなくて、しかし、間違いないとも言えない。
椛島啓介はそれとよく似た質問にこう答えた。
「じゃあ、これで」
手には、一丁の拳銃が握られていた。
*
乾いた炸裂音が響いて、馬車に乗っていた王女の体が崩れ落ちる。
エーディバルト第二王女アリシア姫の生誕を祝うパレードで、大通りは王族が乗る馬車と楽隊、それを警護する衛兵たち、遠巻きに歓声を挙げる民衆とでごった返していた。
はじめ事態を飲み込めなかったのは、遠巻きに見ていた民衆ばかりではない。馬車を中心とした隊列のうち、端の方にいた兵士は周囲のざわめきでようやく不穏な気配を感じ取ったくらいだった。ややあって馬車のすぐ傍にいた兵士が怒号を挙げ、取り返しのつかない異常事態が起こったことをその場の全員が知る。
「王女が撃たれたぞ!」
笑顔が張り付いたままの王女の額に丸い穴が開き、どろりと血が流れ出る――遠目にも明らかな死。歓声は一瞬にして悲鳴に変わった。
王族を連れた行進ということで警備の厚さは厳重そのもので、人はおろか鼠一匹通さない兵士たちの隊列。広範囲に及ぶ魔力探知と超硬度結界による魔術対策。弓矢の射程距離内と思われる窓や高台はくまなく人払いされ、不審人物がいれば即座に排除する備えが敷かれていた。
凶行はそれらの一切をすり抜けて、いともあっさりと行われたのだった。
「とにかく盾壁でお守りしろ!」「周囲に魔力反応はありません!」「この傷は、凶器は一体なんなんだ」「犯人を捜せ、絶対に逃がすな!」「結界を張り直せ!」
その場にいた誰もが、すっかり混乱しきっていた。
「どういうことだ?」
民衆に紛れてその光景を見ていた啓介は、全身からどっと汗が吹き出すのを感じた。
王女の死に様はこの数日間で自分が何度となく頭の中で反芻したイメージそのままだった。だが、自分ではないのだ。撃ったのは自分ではなく、王女の頭を穿ったのは自分の拳銃ではない。
有り得ないことだった――何故ならこの世界には銃が存在しないのだから。故にこそ王女の暗殺は自分の仕事だったはずなのに、目の前には確かに“銃殺された王女”がいる。
(なにかやばい……!)
いつの間にか窮地の真っ只中に引きずり込まれている。そう確信した啓介は、とにかくその場から離れようと身を翻した。
「なるほど、それがジュウ。私が知らない武器で私を殺そうとしている男の子、と。なるほど」
喧騒の中にあっても妙に通る、凛とした女性の声が聞こえた。
「ということは、あなたがケイね。――私はアリシア・エーディバルト。早速で悪いんだけど、私の家出を手伝ってもらえるかな?」
「……なんだと?」
裾を掴まれて振り返った先には、つい先刻に頭を撃ち抜かれたはずの第二王女の名を名乗る女が立っていた。
*
椛島啓介はこの世界の住人ではない。
こちらの世界に来てからはケイと呼ばれることが多いので、名乗るときにもそちらで通している。世界全体的になのか地域によるのかはわからないが、どうもケイスケの方は語感に馴染みがないらしく、名乗ると怪訝な顔をされてしまう。もう二年間も本名を呼ばれていないので最近では通称の方がしっくりくるようになりつつある。
こちらの世界に来たときのことは、よく覚えていない。記憶が曖昧なのだ。気が付いたときには街を当て所なく歩いていた。そこが日本でないことは建物の造形や歩く人々の顔を見れば一目瞭然だったが、とにかく歩くしかなかった。
散々彷徨った果てにある男に拾われ、様々な紆余曲折を経て現在に至る。
「生きてェのか。じゃあ答えてみろ。お前にはなにができる」
そう問われて、啓介は答えた。
「人を、殺せます」
携帯電話も財布もなく、服もなんだか粗末な布切れのような見覚えのないものに変わっていたのに、何故だかこちらの世界に持ち込むことができていた唯一の持ち物。
自分のアイデンティティを手元にある拳銃以外には見出せなかった。
ターニングポイントが元居た世界で拳銃を握らされたあの出来事なのか、男の質問に答えたときなのか、あるいは朧気な記憶の中にある、何かの選択をしたときなのか、わからない。
なにかがほんの少し違えば別の選択肢があったのかもしれない。
兎にも角にも、椛島啓介はいま、殺し屋としてこの世界に生きている。
「おや。いらっしゃい」
パレードが大通りを通過する二時間ほど前。啓介はねぐらにしている宿のすぐ近くにある大衆食堂に訪れていた。
「どうも。いつものお願いします」
「あいよ。……なんだい、見慣れない格好してるね」
「ええ、ちょっと仕事で隣町まで行ってきた帰りでして。余所行きなんですよ」
普段から食事のほとんどをこの食堂で済ませているので、女店主にはすっかり普段の服装まで覚えられてしまっていた。彼女の言うとおり、いま身に着けている濃紺色のマントは啓介の持ち物ではなかった。
三日前に、この世界における後見人兼雇用主の男から仕事の指示文書と一緒に送られてきた貸し出し品である。
「なんでここ数日は街から離れてたんですけど。随分と賑わってますね」
「そりゃそうさ。今日はアリシア様の生誕日だからね。いまのうちに来てくれて良かったよ。うちももう少しで一旦店仕舞いしようと思ってたとこだからさ」
アリシア。
アリシア・エーディバルトは、この国の第二王女である。――そして、今日、殺し屋である啓介が命を狙う標的である。
先のマントは彼女の暗殺に必要な道具なのだ。その効果は認識阻害。フードを目深にかぶって顔を隠せば、周囲から自分に向けられる視線を弱めることができる。
本来であれば凶器をぶら下げた悪漢の存在を認識させないほどに絶大な効果を持つ品ではない。しかし一定の――たとえば、隠れ蓑にできる民衆という名の人壁と、周囲にいる誰もそれを凶器だとは認識しない凶器を持っていれば。そういう条件を満たせれば、白昼堂々の暗殺という矛盾した行為を実現させることも出来得る代物だ。
「人気ありますよね。アリシア姫は」
「そりゃそうさ。あんまり大きな声じゃ言えないけどね、みんなもうすっかり疲れちまってるのさ。酷かもしれないけれどお姫様には頑張って頂きたいもんだよ」
エーディバルトは侵略によって版図を拡げてきた軍国主義国家だ。
いま現在は小康状態が続いているものの、それでも周辺国家の国境には常に警戒線が張られている。火種はあちらこちらにあって、いつ燃え上がるかわからない。ある意味で非常に不安定な状況下にある国なのだ。
そんな国策に対して否定的な立場をとっているのがアリシア姫だ。
彼女は自らも戦線に赴くことで有名なのだが、その目的は戦の勝利ではなく戦の調停である。生まれ持った才能なのかその為の研鑽をどこかで積んだのかはわからないが、敵味方の致命的な弱みを握り、お互いに兵を退かざるを得ない落とし処を押し付ける。そんな傍若無人ともいえる交渉術に長けていて、あちこちの戦火を鎮めて歩いているエーディバルト一族の異端なのだ。
異端故に、民の間では彼女と軍国主義の権化である現王および第一王子とは反目し合っているという噂が度々囁かれていた。
「アンタもパレードは観るんだろ?」
「そうですね、せっかくですから」
「ほれ、じゃあさっさと食っちまいな。観るのに良い場所は早々と取られちまうよ」
「どうも」
値段が安くて出てくるのが早い以外にこれといって取り立てるべき点のないランチを掻っ込みながら、考える。
今回の仕事、おそらく依頼主は王と第一王子、あるいはそのどちらかだ。仕事の指示に経緯の説明はまったく含まれていなかったが、窺える背景からはそうとしか考えられない。
聞き齧っただけでも王女の活躍はめざましく、彼女がいなければこの国はもっと多くの血を流していたに違いない。しかしそれは同時に、戦によって得られていたであろう利益の機会損失でもあるはずだ。調停がもたらすのは即ち停滞で、対して反目する二人の主義は前進を望んでいる。この指向性の違いは致命的であるように見える。
平和を望むが故に殺される。理不尽の極みだ。そこには一切の正義はない――もちろん、その下手人にも。
この国の行く末にさして興味はない。他に行けるところがないから居るだけだ。他に生きる術がないから、殺すだけだ。呆れるほどに単純で蒙昧だ。そう自覚して尚、だからといって自分の命を諦める気にはなれない。見下げ果てた浅ましさだと自分でも思う。自分の凶弾が、この先に数えきれないほど多くの人々が流す血に繋がるのだとわかっていても、いまこのときを自分が生き延びることよりも優先すべきことだとは思えないのだ。
もしかしたら既に自分は人として壊れてしまっているのかもしれなかった。それはそうだ。この二年間、数えきれないほどの人間をこの手で殺めてきた。まともでいられる方がおかしい。
だが、少なくともいまは、そんな疑問を抱くことはまだできている。
啓介は、仕事前にはいつもこうして自分のモラルと仕事とを天秤にかけてみている。その度、天秤にかける錘がまだ自分の中にあることにささやかな安堵を覚えた。
「そろそろ行きます。ご馳走様でした」
「あいよ」
女店主が言うように良い場所は早めに押さえておかなければならないだろう。殺るのに良い狙撃ポイントは、遠すぎても近すぎてもいけない。
マントの下、ベルトにぶら下げた拳銃の感触を確かめると、啓介は大通りへ歩き出した。




