第七話 失敗に学ぶ
「ミーニャ!来たよー!」
待ちわびていた声が、私を呼ぶ。
ああ、やっと来た。ようやく訪れたセレナに、思わずゆらゆらと触手を伸ばす。
「っとと。なぁにミーニャ。そんなに待ち遠しかったの?」
いつもは正直ちょっと邪魔に思えるほど私の近くに座るセレナが、今日に限ってなぜか、私の触手がギリギリ届かない位置で立ち止まる。
「ふふっ…もの欲しそうにしちゃって。ほら、もっと伸ばさないと届かないよー?」
いつもはやさしいのに、なんだって今日はこんな意地悪をするのだ。もう。
「ほら、ほら。……あーもう、今日のミーニャは一段とかわいいなぁ」
早く。早く。もう待ちきれないよ。
「そんなに激しくうねうねさせちゃって……しょうがないなぁ、いいよ」
ようやくセレナが私に近づいてくる。
「ほーら、お待ちかねの…きゃっ!」
我慢できずに、触手で強引にセレナを引き寄せる。
「もぅ、せっかちなんだから…」
ああ、やっとだ、ようやく―
「はい、この前話したスライム、一匹連れてきたよ」
――はじめまして、近縁種さん。
事の発端は、少し前。私が『私』になってから1年半ほどが過ぎた頃だった。
毎日セレナから色々なことを教えてもらい、人族の営みについての知識を順調に増やしていった私は、段々と、ただ話を聞くだけでは飽き足らなくなっていった。
セレナの体験談を、或いは彼女がもってくる様々な本の内容を、文字通り全身を耳にして聞くうちに、
――もっと知りたい。
――自分自身の目で、この広い世界を見てみたい。
いつの間にか、そう思うようになっていた。
セレナが住んでいるエルフの『集落』を。
森を抜けた先にあるという『街』を。
数え切れないほどの人族が暮らしているという『国』を。
それだけじゃない、『森』を、『山』を、『海』を、海の先にあるという『別の大陸』を。
――今まで聞いてきたあらゆるものを、直接見てみたい。
そんな風に、強く思うようになっていたのだ。
しかし、大きな問題が一つ。
そう、何を隠そう私は触手である。
セレナがいろいろな本を読み聞かせてくれたおかげで、私のような、いわゆる『魔物』だの『魔獣』だのが、人族にとってどういった存在なのかは、もうとっくに理解していた。
人族に危害を及ぼす、危険で、討伐すべきもの。つまるところ私は、そういう存在なのである。
話を聞く限りでは、大半の魔物や魔獣は理性を持たず、結構容赦なく他の生き物に襲い掛かってくるらしいので、人族たちの判断は身を守る上で正しいものだし、討伐は当然の事だろう。
はたから見れば、私の事をあっさりと受け入れているここのエルフたちの方が異常なのだ。まぁその中でも、明らかに群を抜いておかしいのが一人いるけど。
私個人としては別に、特に人族を襲おうという気はない。むしろ、高い知能を持ち、長い時間をかけて高度な文明を築き上げてきた人族を、ある意味で尊敬しているのだ。そんな人族の作り上げてきたものを見てみたいというのが、今の私の願いなのだから。
とはいえ、いくら私が「争う気はありませんよー」なんて考えたところで、人族には伝わるはずもない。うかつに町や村なんかに触手を踏み入れたら、私程度瞬く間に討伐されてしまうだろう。自慢ではないが、触手種は生命力こそ高いものの、そこまで強い生き物というわけではないのだ。
ならばどうする。諦めて、この小さな広場に永遠に居座り続けるか。この場所は小動物や、夜には野獣なんかもよく訪れる。ただ生きるだけなら、定期的に彼らから養分をもらえば、それこそいくらでも生きられるだろう。触手種に寿命はないのだから。
だがそんな触手生に私は耐えられるのか?
ここで細々と生き永らえ、毎日セレナの話をただ聞き続けるだけの、そんな生活に、私は満足できるのか?
――否、否だ。
私は知ってしまった。この広場の外に、森の外に、広い世界が広がっていることを。今の私には想像もつかないようなものが、この世界には溢れているという事を。
それを知ってなお、ここに留まり続ける事なんて、私にはできそうにない。
だから、旅に出るのだ。自分の触手で世界をまわり、多くのものに触れ、多くのものを見て、そして多くのものを知る。
――それが、『私』の生きる理由。
…と、いうわけで旅立ちを心に決めた私は、実際にどうすれば人族に襲われることなく、彼らの営みの中に入っていけるのかを考えた。
ようは、明らかに魔物だと分かるやつが近づいてくるからいけないのだ。それはそうだ、『人族の文明』というのは、人族によって構成されているからこそ、『人族の文明』足りえるのだから。
だったら話は簡単だ。
――人族に成りすませばいい。
魔獣の中にも、木や草なんかに化け、森の中に溶け込み、近づいてきた獲物を襲うものがいるらしいが、それと同じだ。いや、もちろん襲うわけではないが。
私は、魔物ではなく人族として彼らの世界に入っていけばよいのだ。堂々と、「ここにいて当然」という顔で。大丈夫、言葉は分かる。いつもエルフたちを見ていて、彼らの考え方なんかも少しは分かっているつもりだ。見た目さえどうにかすれば、十分やっていけるだろう。
多分。きっと。不定形種は環境適応力が高いといわれてるし。
思い立ったら即行動。
という事で私は、その日の夜、手始めに自身の核を地中から引っこ抜いた。
思ったより抜けやすいんだよね、これ。
人族の体は、胴体を中心にして、二本ずつの手と足、頭といった五つのでっぱりがある。セレナは人族の体については教えてくれなかったので、中身に関してはよく分からないが、手は物をつかむため、足は移動のため、頭は見る、聞く、嗅ぐ、食べるために存在するというのは分かる。
…改めて考えてみると、人族は妙に頭に機能が偏っている気がする。触手種みたいに、全身を耳や口として使えた方が便利だと思うんだけれど。ちなみに、触手種に鼻はありません。ので、匂いもわかりません。
とにかく、五本くらいなら楽勝だ。
私は核を中心にして、下に二本、左右に一本ずつ、上に短めに一本、触手を伸ばす。
そうすればほら、あっという間に人族に……ならなかった。
………
…いや、まぁ、分かってはいた。
人族の顔はもっとこう、丸っぽかったし、『髪の毛』というらしい極細の触手みたいなものが無数に生えていた。手だって、先の方は『指』と呼ばれ、五本に枝分かれしていた。今の私に、そこまで器用に触手を作り出す技術はない。
体の色も違う。わたしの体色はメスの触手の証である白銀色だが、人族はもっと色味のついた、まさに『肌色』と呼ばれる色をしているらしい。人族の中でも比較的体色が白い方だというエルフでさえも、私ほど真っ白ではない。
この辺は正直、やってみるまでもなく分かっていたことだし、少なくとも髪の毛や指は、触手を生み出す技術をもっと磨けば何とかなるだろう。
しかし、そんな見てすぐに分かる部分以外にも、何かが違う。どこがどう、といえるものではないのだけれど。どう表現すればいいのか……
…例えば私が「ぐにゃーん」という感じだとしたら、人族は「シャキーン」みたいな。
なんというか、しっかりしていない感じというか。何が違うのだろうか。
……うーん。さっぱり分からない…
…これは難題だ。何せ自分でも、どう違うのかよく分かっていないのだから。
恐らくこれは、すぐに分かることでもないだろう。何がおかしいのかをじっくり考えなければ。
どうやら、私が旅に出られるのは、まだまだ先になりそうだ。
薄々分かってはいたことだけど、物事そう上手くはいかないものだな……と気を落としながら私は、夜明けまで短い睡眠をとるために、元いた場所に核を埋め直す。
朝になって、セレナがやってくるまで、眠ろう。
「森の外の町の近くで、スライムが大量発生したらしいよー」
朝。
珍しくセレナの話を聞き流し、どうすれば「シャキーン」って感じになるのかをひたすら考えていた私は、彼女が発したスライムという言葉で、意識を現実に引き戻される。
「なんでも数十年ぶりの大発生なんだとか」
スライム種。触手種の近縁種で、確か……
「不定形種の原種。普段はゲル状の体をしているが、環境・状況に応じて形や硬度を、また個体によっては体色をも変化させることができる。それほど強力な魔物ではないが、数が集まると厄介な存在である」
……だったっけ。
…あれ?
……『形や硬度、体色を変化させることができる』
………スライムは触手種に近い存在。
だったら、触手種だって『形や硬度、体色を変化させることができる』のではないだろうか?
昨晩は失敗したけれど、もしかしたら何かこう、コツみたいなものがあるのかもしれない。
そして、初めから体を変化させることが得意なスライム種は、もしやそのコツのようなものを知っているのでは。
………
あ、会いたい!今、凄くスライムに会いたい!!
いろいろ聞いてみたい!いや意思疎通はできないだろうけど、どうやって体を変化させるのかを間近で見てみたい!
セレナは何と言っていたっけ。町の近くで大量発生した?
……行ってみるか…?
人型にはなれないけれど、核を引っこ抜けば動くことはできる。
いや、でも町がどこにあるのか分からない。
でもでも、数十年ぶりといっていたし、これを逃せば次はいつになることやら…
どうする、どうする。
悩む私を尻目に、セレナは言葉を続ける。
「なんでも町主導で人を集めて、大規模な討伐をおこなうー、だってさ」
まって、やめて、せっかくのチャンスが。
…こうなったら討伐される前に、何とか町の近くまで……
「うちの村からも何人か出稼ぎに行くみたい。んで、私もそれに付いていこうかなーって。お祖母ちゃんも『いい腕試しになる』って言ってたし」
…夜になってからすぐ向かうとして、一晩で行って帰ってこれるかな……無理かな…道分からないし…
「スライムなんて見るの初めてだから楽しみだなー。一匹連れて帰ってみようかな?……って、わあっ」
マジですか!?是非に!是非にお願いします!!
恐らく冗談半分で口にしたのだろう言葉に、私は触手を全力でうねらせて反応する。
「えっと……連れてきてほしいの…?ほんとに…?」
ホントですホントです。どうかお願いします。
私が過剰に反応したことにセレナは目を丸くして驚き、次いで考え込むように頭に手をやった。
「ミーニャがそんなに反応するなんてめったにないから、できれば連れてきてあげたいけど……勝手に連れてきちゃったら怒られるかなぁ……?」
貴女だけが頼りなの。お願いセレナ…!
うねうね、うねうね。
「…分かった。一応聞いてみるけど、ダメだったらごめんね…?」
ありがとうセレナ!頑張ってセレナ!
うねうね、うねうね。
「やだ……!いつもの3割増しでうねうねしてるミーニャかわいい……!」
こうしてセレナは町へ向かい、私はその帰りを今か今かと、触手を長くして待っていたのである。




