第三十五話 汝は人なりや?
感想にてご指摘いただいた誤字等を修正しました。ご報告、ありがとうございました。
感想、嬉しさのあまりにやにやしながら読ませていただいています。ありがとうございます。
元々短い私の休眠時間は、人の基準で考えれば毎日が『眠れぬ夜』のそれ、なのかもしれないけれど。
この夜ばかりは、まさしく『心休まらぬ夜』だったように思える。
一夜明けた今でも、私の心は昨晩と同じく、掻き乱されたまま。
同胞を殺す。
それに、何も感じないという事に。
予定どおり件の触手種を見に行こうと、私達は案内役の村人を数人引き連れ、集落から出た。
村から見て、私達が通ってきたのとは反対の方向に、触手達はいるらしいのだけれど。
今の私は端から見ても明らかに分かるほど、心ここに在らずといった感じで、正直通った道なんてほとんど覚えていない。
「ミーニャ、大丈夫?やっぱり…」
道すがら、何度か私に話しかけてきたセレナとカナエにも、かなりおざなりに返事をした、と思う。
多分、うん、とか、大丈夫、とか言ってたんじゃないかな。
これも、よく覚えていない。
最早自らが口にした言葉すら締め出し、足を進めながらも私の思考と意識は、より内へ内へと沈んでいく。
悪い方にばかり向かって行くそれを、駄目だと思っていても止められない。
今の私は、自分の思考さえも制御できないんだ。
…いつからだろう。
自分が、『人』だって疑いようもなく信じていたのは。
旅をしているうちに?
それとも、旅に出るその時に?
セレナの故郷の集落で、エルヴィン家で、人の真似事をしだした時から?
いや、もっと前、人の体を模す事が出来るようになったあの時から、或いはそれよりももっと前からかな。
私は、自分は人なんだ、なんて、すっかり思い込んでいたんじゃないだろうか。
つい昨日までは、少なくとも自分は人と同じ心を持った存在であると、自信を持って言う事が出来た。
出会ったばかりの頃のお母様くらいにしか言われた事は無いけれど、たとえ誰かから、魔物だ化け物だと蔑まれたとしても、今まではそれを普通に受け止める事が出来た。
まぁ、そうだよね。触手だしね。って。
それはきっと、自分が『人』である事を、疑いようもなく信じていたから。
他人に何と言われようとも、身体は魔物のそれであっても、私が『人』である事は私自身が一番よく分かっている。
そう、自信を持って思えていたから。
でも、今はどうだろう。
私は今、自分が人と同じ心を持った存在であると、断言する事が出来ない。
たった一つ。
『同胞を躊躇なく殺せる』という、普通の人とのたった一つのズレが、私の中の『人』をも殺し得てしまったのだろうか。
これまで、人としての生き方を、考え方を、価値観を、出来る限り積み重ねてきたつもりだった。
なのに、今更露呈したこの歪みによって、それが全て崩れてしまったような感じ。
それどころか、なまじ積み重ねてきた分だけ、その重みがより一層、私の歪みを責め立ててくるような気さえする。
人の価値観から見るなら、お前は人殺しと変わりない、って。
考え過ぎだって言う私もいる。
たかだか1つ、人と違うところがあっただけじゃないか。
もとはと言えば人ではないのだから、それくらいのズレはあったっておかしくない。
それを引っ張り出して、今までの積み重ね全てが崩れただなんて、悲観的過ぎるんじゃないか。
そう、なのだろうか。
でも、それをすかさず、人のカタチをした私がぶち壊す。
そのたかだか1つのズレで全部崩れ去ってしまうほど、私の積み重ねは薄っぺらいものだったんだよ。
そもそも自分が、今までちゃんと人として積み重ねていけてたって思うだなんて、それこそ楽観的過ぎるんじゃないの。
人のカタチをしていながら、人でありたい私を否定する。
それは、まるで、人に成りきれなかった不完全な私を象徴しているかのようだ。
或いは私が、もっと人に近ければ。
自分と同じ触手を、同胞を殺す事なんて出来ないと、叫ぶ事が出来たのだろう。
或いは私が、もっと人から遠ければ。
躊躇いなく同胞を殺せる事に、こんなにも心乱されずに済んだのだろう。
我ながら絶妙な距離感だ。勿論、悪い意味で。
白から銀、紫からピンク。
概ね2系統の色で揺らめくそれが視界に入って、私は久方ぶりに意識を現実へと引き戻される。
触手。
オスメス入り乱れ、数匹では足りず、けれど両手足の指では数えられるほどの中途半端な数の触手が、そこに群生していた。
林の中に小さく開いた、背の高い草木が少ない空間で、一つ所に寄り集まったその触手達は、どうやら木々の陰からそちらを見やる私達にはまだ気付いていないようで、特におかしな動きをする事も無くゆらゆらと揺らめき、蠢いている。
ゆらゆら、ゆらゆら。
「成る程、これは…」
うねうね、うねうね。
「あのようにかたまっているせいで、我々では遠目には何匹いるのかもよく分からず…かと言って、近づくのは危険で…」
ゆらゆら、ゆらゆら。
「そうですね、恐らく十かそこらだとは思うのですが……私もここからでは、正確な数は分かりかねます」
うねうね、うねうね。
「…13…」
「えっ?」
「…小さめの成体が9、幼体が4…全部で13…」
「ミーニャ、分かるの…?」
私は見た瞬間になんとなく分かったのだけれど、普通、人族の場合はそうもいかないみたい。
…まぁ私、触手だし、ね。
「どうなさいますか、巡礼官様」
「…一度遠くから刺激して、彼らの有効射程を確認しましょう」
「どこまで触手を伸ばせるか、だよね?」
「ええ……って、ミーニャさん!?」
カナエ達が何か言っている。ような気がする。
ふらふらと触手達に近づく。
木陰から現れた私に対して彼らは、何の反応も示さない。
それはそうだ、私は彼らにとって、餌にも外敵にもなりえない。
彼らと私は、同じなのだから。
一筋の白い触手に触れる。
メス。成体。
彼女には、『自分』というものが分かっているのだろうか。
触れた1本を辿り、その個体の根元、地面に埋まっている部分を探り当てる。
彼女は、今から自分が何をされるのか、理解できているのだろうか。
触手を束ねて両手で握り、地面から引っこ抜く。
彼女は私を、何だと思っているのだろうか。
露わになった彼女の核を、ぎゅっと抱きしめる。
…目の当りにしたら、やっぱり何か思う事もあるんじゃないかって、少しは期待していたんだけどな。
抱きしめる力を、どんどん強くしていく。
…やってみたら、分かるかな。後悔っていう形で。
そして。
私の力に耐えきれなくなった彼女の核が、ぐしゃりと、潰れた。
………
…なんだ、やっぱり何にも感じないや。
旅の道中で、散々討伐してきた魔物や魔獣達と同じ。
殺す前も、殺す瞬間も、殺した後も。
私にとって、同胞は、その辺の魔物と同程度の価値しかないみたい。
その事が無性に、腹立たしかった。
「ああああああぁぁぁあああぁああぁああぁあぁああああっっっっ!!!!!!」
よく分からない叫び声をあげながら、目に付いた触手達を片っ端から引っこ抜いていく。
ふふっ、私にとって『叫び声』なんて、絶対に、無意識で出るものじゃないのに。
わざわざそれをする事で、少しでも人らしさを示そうとしてるのかな。
感情の揺らぎを、いかにも人っぽい形で表現している、滑稽な私。
誰に向かって?さあ、知らない。
引き抜いた彼ら彼女らの核を、握り潰し、叩き付け、踏み潰す。
誰一人として抵抗するは事なく。
ふと気が付けば、そこにいた13の触手達は、あっさりと、みんな死んでしまった。
やがてその死体も消滅し、後に残るのは、きらきらと煌めく彼らの残滓のみ。
彼らの、いのちの名残。
なーんて、感傷に浸ってみたら、結構人らしく見えるかな。
「…精霊様だ…」
全部が終わって静まり返った空間に、木陰からさっきの私と同じようにふらふらと、案内役の1人である集落の青年が近寄ってくる。
「精霊様…」
へぇ、精霊様、見つかったんだ。良かったね。
私には見えないみたいだけれど。
「精霊様…」
他数人の村人達も、彼に続いてぞろぞろと歩いてくる。
誰も彼もうわごとのように何度も、精霊様、精霊様と口にしながら。
彼らは歓喜の表情を浮かべながら、なおも歩みを進め……そして、私の足元に跪いた。
…何やっているんだろう、この人達。
「あぁ精霊様、私達の元に、新たな精霊様が…」
新しい精霊?
居なくなったのが見つかったわけじゃないの?
訳分かんない。
今ちょっと、いらいらしているんだけどなぁ。
と。
「違います!彼女は精霊ではなく…!」
跪いたままの村人達に向かって声をかけながら、カナエが慌てた様子で木陰から飛び出してきた。
彼女。誰か知らないけれど、どうやら精霊と勘違いされている人がいるらしい。
「何を仰いますか、巡礼官様!触手は肉の体を持つ生き物に反応します!」
肉体に反応っていうか……まぁ、体液があるのは肉体を持った動物だけだけど。
「その触手に触れても襲われないとなれば、それはまさに肉の体を持たない精霊様である証左!!」
成る程確かに、元々肉体を持たず、契約してもあくまで魔力体に過ぎない体の精霊ならば、触手が反応する事はない、ような気がする。
「いえ、ですが彼女はっ!」
「精霊様、確かミーニャ様、と仰いましたな!どうか、居なくなってしまわれた精霊様に代わり、我らをお導きください!!」
ミーニャ様。
あぁ、私か。
なんだ、彼らは、私を精霊と勘違いしているのか。
「…違う。精霊じゃ、ない…」
…勘弁してくれ。
私の心はまだぐちゃぐちゃで、誰かに構っている余裕はないんだ。
一歩、後ろに下がる。
「精霊様、どうか、どうか…!」
村人達が、跪いたまま一歩近づいてくる。
「…違う…」
私は精霊じゃない。
また一歩、後ろに下がる。
彼らは再び、跪いたまま近づいてくる。
「…やめて…」
下がる。
近づいてくる。
「…来ないで…」
下がる。
近づいてくる。
なにこれ、やめてよ。
やめてったら。
ふつふつと、言い様のないざわめきが、私の心に広がっていくのが分かる。
私いま、気が立ってるんだから。
近寄らないでよっ……!!
「やめてっ!!ミーニャに近づかないで!!」
張り裂けるような叫び声と共に、視界いっぱいが、綺麗な金髪で覆われた。
今日一日、ろくに意識してすらいなかったその声と姿に、何故か。
ささくれだった心が、少しだけ落ち着くのを感じる。
「どけっ!」
「きゃっ」
あぁ、なのに。
「精霊様ぁ!!」
それを押しのけて現れた、見開かれ、爛々と輝く瞳を認識するのと同時に。
私の心は、再び、激情に駆られてしまう。
「…うるさいっ…!!!」
ばちんって、何か弾かれたような音が響き渡り。
「…え…?……精霊、さま…?」
大きく抉れた、自身のほんの手前の地面を、何が起こったのか分からないとでもいうように呆然と眺める青年。
「…え……?……え……?」
緩慢な動作で、再び私の方へと目を向けた彼は。
結合を解き、手足から伸びた無数の触手を蠢かせる私を見て。
「…ぅ……ぅわああぁ!!!化け物だぁっ!!!!」
当然の叫び声を上げた。




