第三十二話 分け入る林に踏み入れぬ羞恥
数日の間、道なき道を進み続けてから。
よく晴れた日の朝、私達は、高低様々な草木の生い茂る林へと突き当たった。
そう言えば、背の高い木がたくさん生えているのを見るのは、森を出て以来かも知れない。
「この林の中に、集落があるんだよね?」
「ええ、地図の通りなら」
セレナとカナエが、大きな地図を広げながら道程の確認をしている。
このえらく大きな地図は、巡礼官に配布される道具の1つで、町なんかで売っているものよりもより細かく、道や町、こんな辺境にあるという小さな村すらも載っているらしい。
この地図を頼りの各地を回ると同時に、実際に行ってみて地図と変わっていた事などを報告するのも、巡礼官の仕事の1つ、という事なのだとか。
「こんなところにある集落でも、教徒さんっているものなの?」
「西側で、精霊教徒のいない人の集まりなんて、それこそ獣人の集落くらいのものですよ」
後は、私達の故郷とかね。
あそこは完全に西側、とは言い切れないけれど。
「むしろこういった小さな集落は、そこに住む人々のほぼ全員が教徒…なんて事もままあります。そう言った場合には大抵、1人2人の精霊が居ついていて、それはそれは大事に扱われている事が多いですね」
「へー。それは精霊の方もまぁ、悪い気はしないだろうねー」
「でしょうね。まさに、崇め奉られる存在、といった扱いでしょうから」
教都で同族と共に、大勢の教徒にちやほやされるか。町で人族と仲良くやっていくか。人里離れた集落で、少人数ながら熱心な人達に崇められるか。
人大陸で、お好みの精霊生を満喫しよう、みたいな。
「そう大きな林でもないですし、上手くすれば、今日中に辿り着けるかもしれません」
さて、地図の確認を終え、いよいよ林の中へ踏み込む事になったのだが。
「林の中を進むとなると、切り傷に気を付けなければなりませんね…」
そう言ってカナエは、私とセレナの格好に目を向けた。
冬も過ぎ、だいぶ暖かくなってきた今日この頃。
常にローブに身を包んでいるカナエと違って私達は、下半身こそ丈の長いズボンを穿いているものの……上半身は、袖が肘ほどまでしかない、町で安売りされているような質素な上着を、肌着の上から着ているのみだ。
ポケットの類もほとんどついておらず、ベルトに通したポーチに小さなスクロールをいくつか仕舞っているセレナはまだしも、私に至っては、背負った荷物袋に全てのに道具をまとめて放り込んでいるという有様。
一見して、旅人というには軽装過ぎる格好。
しかし実際のところ、触手であるために食糧がいらず、薬品や武具の類も必要ない私には、この程度の荷物でも十分というか。
セレナにしても、レゾナから細々とした魔法をかなり習っていたようで……旅をする上でのあれこれは、大抵魔法でどうにかまってしまい、その分持ち物は少なくなっている。
彼女の荷物の大半は着替え・防寒具と食料。私は殆どが着替えと防寒具、というような有様だ。
結果、妙に軽装というか、「ちょっとそこまで出かけてきます」とでもいうような、気軽さすら感じられる佇まいになってしまっているのだけど。
私達も、ローブくらい買った方がいいかなぁ。
ローブ羽織ってると、なんかそれっぽく見えてくるよね。
旅人然とした感じ、というか。要はかっこいい。
…ともかく、カナエが今危惧しているのは、軽装過ぎる私達が、生い茂る草の葉で切り傷を作らないか、という事だろう。
たかが切り傷と侮る事なかれ。
森や林の中では、小さな切り傷でも放っておくと膿んで大きな傷になり、さらにそれを放っておくとやがては何らかの病気にすら繋がってしまう可能性だってある。
そんな長期的な話ではなくとも、何か所も傷ができ、少しずつでも血が流れていくというのは、存外に体力を消耗してしまうものだ。
森の探索中、何だか妙に体が重いと思ったら、体中切り傷だらけであっちこっちから血がだらだら流れていた……なんて事もありうる。初めて狩りに行った時のセレナとか。
特にこの林みたいに背の高い草葉が茂る場所では、体を傷付けないよう、肌を覆うような丈の長い服を着るのが定石。
そう考えると、今の私達の格好は、お世辞にも森や林の中を歩くようなものとは言えないだろう。
しかしまぁ、そこはセレナも森に生きる一族。流石にその辺りの事は分かっているというか。
「正直暑いけど、しょうがないね」
そう言いながら、仕舞い込んでいた冬用の長袖に手早く着替え、その上から防寒用の外套を羽織って。
あっという間に冬仕様の厚着セレナに。これで林の中を歩いても、肌を切る事はないだろう。
ただし。
「う…もう暑くなってきた、かも」
結構…いや大分暑い、という問題はあるけれど。
今日、結構日差し強いしね。
「林に入れば、日差しはだいぶ遮られますから……恐らく、湿気はかなりのものでしょうが」
「うへぇー…」
励ましているようで現実を突きつけているだけのカナエの言葉に、露骨に嫌そうな顔をするセレナ。
必要な事と分かってはいても、やっぱり嫌なものは嫌なんだろう。
森での狩りでも、狩りそのものじゃなくて、どんな時でも厚着しなくちゃいけない事を嫌がってたなぁ。
暑さだけでなく、汗で服がべっとり張り付くのが、堪らなく気持ち悪いらしい。
…次に大きな町に行った時に、ローブ買おっか。
「…セレナ、頑張って…」
ちなみに私は、血も流さなければ病気にもならない、それどころか切り傷程度ならできたそばから治っていく。
ので、このままでも問題なし。
まぁ別に、厚着しても汗かかないし、暑さも『嫌だ』とは思わないから、着ても着なくてもどっちでもいいんだけどね。
「ミーニャずるーい…」
いや、ずるくはないでしょ。
時折聞こえてくる、よく分からない鳥やら虫やらの鳴き声を耳に受けながら。
やや薄暗く、そしてじっとりとした空気の漂う林の中を、私達3人は並んで進んでいく。
例によって、先頭を歩くのは私だ。
危険な道や何があるか分からない所で、疲れ知らずかつ不測の事態に強い私が一番前を行くのは、この1か月余りの3人旅で最早当然の事となっていた。
気配に敏感なカナエを最後尾に、そのカナエと私の間にセレナが挟まる形で1列になって歩く、定番の陣形。
大抵の場面はこれでどうにかなる、所謂鉄板というやつだ。
今回も、背の高い草や邪魔になりそうな枝葉などを先頭の私が先んじて処理する事で、後に続く2人の負担が減り、殆どペースを落とさずにサクサク進む事ができている。
時折立ち止まって、カナエが地図を確認しては、方向を修正したりして。
私達は特に迷ったりする事もなく、林中の集落へと向かっていく。
…というか、林の中って、地図見て位置とか分かるものなの?
「単に地図を見るだけではなく、匂いとか気配とか、草木の生え方とか……まぁ、色々ですよ」
いろいろ、ですか。
これも獣人ゆえか、或いは今までの経験か。
両方、かな。
とまぁ、そんな感じで、特に問題も足止めもなく。
林に踏み入ってから、途中何度か休憩をはさみつつも歩き続け、カナエの懐中時計の針が昼と夕方の間くらいを指した頃。
「そろそろですね。もう半刻ほど歩けば、集落が見えてくるはずです」
カナエが、目的地が近い事を告げた。
当初の予定よりも、かなり早く着きそうだ。
「やっと脱げる〜」
セレナは集落に着く事よりも、厚着から解放される事の方を喜んでいる様子。
まぁ、結構汗かいてるもんね。
「ふふっ、お疲れ様です。大変だったでしょう」
そう言ってセレナを労うカナエも、額の端にじっとりと汗が滲んでいるのが見える。
あのローブ、通気性も良い優れ物らしいんだけど、やっぱりこの湿気には耐えられなかったみたい。
「そうですね……予定よりも大分早く着きましたし。このまま集落に行くのもなんですから、ここで少し身を清めておきましょうか」
汗をかいただけでなく、服の端々に汚れなんかがついていた事もあって。私達は集落に行く前に一度、体を綺麗にする事にした。
といっても普通は、布で拭くくらいしかできないんだけど。
…そう、普通は、ね。
草葉を踏み倒して空間を作り、毛皮を縫い合わせて作った敷き物を敷いていく。
こんな林の中だ、どうせ誰も見ていないだろう、という事で。
セレナとカナエは手早く服を脱ぎ、布で汗を拭いていく……のだが。
「うぇ、ベタベタ感が残る…」
やはりというか、何というか。
結構汗をかいていただけに、拭きとった程度ではべたつきが残ってしまい……水で洗い流した時のように綺麗さっぱり、とはいかないようだ。
さらに、それだけではなく。
「服も思いっきり汗吸っちゃってるし…」
セレナが摘み上げた肌着や上着も、汗でじっとりと湿ってしまっている。
「やむを得ないとはいえ、この湿気の中で厚着したのですから、どうしてもそうなってしまいますね…」
とか言っているカナエも、汗べっとり。
2人とも、湿気から来る汗に悩まされているようだ。
…ふっふっふ。やはりここは、私の出番のようだねっ。
「…私が、拭いてあげる…」
もちろん、触手で。
私たち触手種の体は、肌に浮いた体液を根こそぎ吸い取る事が出来る。汗だって、肌がすべすべさらさらになるくらい、綺麗さっぱり吸収して進ぜよう。
「うっ、うーん…」
私の言葉を聞き、渋い顔…というか、「嫌ではないけれど…」みたいな顔をするセレナ。
やはりセレナはこのところ、私との過度な接触を避けているようだ。
今更触手種が怖くなった訳でもあるまいし、やっぱりあれかな。
触手種との絡みが、性的なあれこれを思い起こさせるというか。
でも、それに関しても以前は、全く気にも留めていなかったと思うのだけれど。
村を出て恥じらいを覚えたのか、はたまた、カナエという、家族とは違った第三者と深く関わるようになって、人の目を気にするようになったのか。
日々の食事に支障はないし、いつかの精霊宮の時のような非常時には、恥とか外聞とかは服と一緒にかなぐり捨ててでも助けてくれるけれど。
やっぱり、普段からもっと積極的に触れ合ってもいいと思うんですよ。昔みたいに。
「…私は、栄養を摂取できる…セレナは、べたべたしなくなる…お互い得になる…」
という建前のもと、セレナにもっと触れていたい。
この状況を虎視眈々と待っていたのも、ひとえにその思いからだ。
旅の道程を通して、感謝と好意を伝えるっていうのは、なるべく実践していきたい。
「…おかしな事をするつもりも…ない…」
そんなわけだから、別にやましい気持ちは一切ない。多分。
そもそも、『やましい』っていうのがどんな気持ちか、良く分からないけれど。
「別に、いやって訳じゃないんだよ?ただ、恥ずかしいっていうか…」
「…昔は、セレナの方から…くっ付いてきていたのに…」
ちょっと寂しげな雰囲気を醸し出してみたり。
「う……あの頃は、私も若かったというか、何も分かってなかったというか…」
「…散々弄んで…いらなくなったら、ぽい…」
「ちょっ、どこで覚えてきたのそんな言葉っ」
この間買った恋愛の本で。
これを言えば大抵の男は口答え出来なくなるって書いてあったけれど、セレナの反応を見るに女性にも有効みたい。
ふむ、この台詞は今後も使えそうだ。
「うーん…私だって、ミーニャとくっ付くのは、好きなんだよ?」
結局、汗の不快感には勝てなかったのか。
はたまた、私のお願いが効いたのか。
きっと後者だねっ、多分っ。
「じゃあ、お願いするけど…変な事したら、駄目だからねっ」
そう言ってセレナは、私の方から彼女に触れるのを許可した。
それにしても失礼な。
一体私がいつ、セレナに変な事をしたというのか。
「…いただき、ます…」
上着を脱いで、正面からセレナに抱き着き。そのまま、人型は保った状態で指先から触手を伸ばし、セレナの体を撫でていく。
「…んっ……ふぅっ…」
やさしく、やさしく。
肌に残った汗を掬い取るように、体を撫でまわす。
触手で汗を吸い取るのは、布で拭き取るのとは訳が違う。一滴たりとも無駄にはせず、肌に残った汗を根こそぎ持って行くのだ。
触手の撫でていったところから、セレナの肌が見違えるようにすべすべ、さらさらになっていくのが分かる。
「…んんっ…」
柔らかい彼女の肌に、女性特有の緩やかな起伏に沿って触手を這わせていく。
こういう時にセレナが出す、くすぐったそうな小さな声は、何というか、こう。
上手く表現できないけれど、なかなか悪くない、というか。
久方ぶりの、セレナとの濃厚な触れ合いに上機嫌になりながら、上半身の汗をあらかた吸収し終わり、次は下半身だ…と彼女のズボンに手をかけようとしたところで。
「し、下はいいからっ」
セレナは、少し顔を赤らめながら、いそいそと私から離れていってしまった。
あらら、逃げられた。
「私はもういいから、服の方をお願い、ねっ?」
そう言って汗で重くなった上着と肌着を放ってくる。
うーむ、上半身は良くて、下半身は駄目。
この辺の線引きもまた、羞恥心からきているものなのだろうか。
どうやら生殖器に近づくほど、羞恥の度合いは大きくなっていくようだ。
…まぁ、変な事はしないって約束だから、セレナが拒む事はしないでおこう。
私はおとなしく服を受け取ると、今度はそれを胸にかき抱くようにして、自分の身体に押し付ける。
旅に出てから気付いた事なのだけれど、どうも触手種は、服に染み込んだ汗なども吸収する事が出来るらしい。一度乾いてしまったものは駄目だけど、今回のように服をじっとりと濡らしている汗なら、そのほとんどを吸収する事が出来る。
これが分かってからは、道中私がこまめに服の汗を吸う事で、服が汚れたり痛んだりするのを大分防ぐ事が出来るようになった。流石に、洗った後のように綺麗さっぱり、というわけにはいかないけれど。
せっかく体を綺麗にしても、汗だくの服を着直したんじゃ意味ないからね。
服の方も、なるべく綺麗にしてあげよう。
…案外触手って、パーティに1匹いたら何かと便利かもしれない。
とかなんとか、触手種の有用性について考えながら、服に染み込んだセレナの汗をどんどん取り込みつつ。
私は、先ほどから顔を赤らめて黙り込んでしまっているカナエへと目を向ける。
カナエはセレナ以上に、性を想起させる行為に敏感だ。
普段、何気なく行っている食事の時には何ともないのだけれど……今みたいに、セレナの方が少なからず性的なイメージをもってしまい、恥じらいを見せるような時には、どうも当事者以上に羞恥心を覚えてしまうようだ。
人の行為を見ているだけでも、顔が真っ赤になってしまうような彼女には、当然ながら。
「…カナエも、汗…拭く…?」
「いいいえっ、私は大丈夫ですからっ」
私のお誘いも、あえなく断られてしまった。
服も、「私の分はいいですから」って言って、いつも自分で洗ったりしているんだよね。
私としては、カナエの汗の味が気になるから、度々声をかけてはいるのだけれど。
どうやら、よっぽど私に汗を吸われたくないらしい。
それが単なる羞恥心によるものなのか、それとも本物の嫌悪からくるものなのか、どっちかによってかなり変ってくるんだけどなぁ。
主に、私の気分とかが。
まぁ近いうちにその辺り、きっちり問い詰めてやろう…なんて思いながら、服からも汗を吸い終わり。
ささっと身支度を整えて、私達は、最後の一歩きを再開する。
さてさて、次の集落では、どんな事が待っているのやら。




