閑話 とあるエルフの心変わり
あの子を始めて見た時、最初に思ったのは「色がきれいだな」って事。
当時はまだ細く、1本しかなかった触手を風に任せて揺らめかせる様を見て、次に思ったのが「なんかかわいいな」って事だった。
一目見て、すっかりあの子の事を気に入ってしまった私は、あの子が女性に害を及ぼす存在じゃないと分かってからは、毎日のようにあの広場に赴いては様子を見たり、話しかけたりしてみた。
勝手に名前を付けたりもした。
周りの人たちは、触手に夢中になっている私の振る舞いを、まるで面白い物でも見るように眺めていたけど。私としてはただ、お気に入りのペットを思いっきり可愛がるような、そんな程度の感覚だった。
オークの群れが討伐された次の日、いつも通り会いに行った時あの子は、何だか今までにないほど興奮していて、触手をやたらめったらに振り回していた。私は祖母から習ったばかりの『沈静の魔法』であの子を大人しくさせながら、「やっぱり触手だと、オークの気配とかを感じ取れるのかなぁ」なんて、その時は呑気に考えていたのだけど。
思えば、それからしばらく経ってからだった。
私が広場に来ると、触手を振って反応するようになったのは。
まるで言葉が聞こえているかのように、触手を揺らめかせるようになったのは。
まるで私の行動を観察するかのように、常に何本かの触手をこちらに向けるようになったのは。
私が単なる自己満足で読み聞かせていた本の内容を、少しずつ理解していくような素振りを見せ始めたのは。
そのことに気付いてからは、私はますますあの子を可愛がるようになった。
今までに持ってきた本を再び引っ張り出してきて、もう一度最初から丁寧に読み聞かせてあげたり。これまで以上に積極的に、私の事や村の様子なんかを伝えてみたり。
私の言葉を聞き、振る舞いを観察し、どんどん成長していくあの子を見て。私は「なんてかわいくて賢いペットなんだろう」とか、そんなことを考えていた。
体に触れられるようになったときは嬉しかった。中々懐かない動物が、心を許してくれた時みたいで。
自分で本を読み始めた時には驚いた。まるで人みたいだと。
そしてついにある朝、本人にとっては悲願だっただろう、あの子が人型へ変身する瞬間を目の当たりにした。
遂にここまでできるようになったのかと、あんまりにもうれしくなった私は、あの子を自分の家に連れて帰った。お母さんは最初は怒っていたけど、おばあちゃんの説得もあって、最後には無事、あの子もうちで暮らすことになった。
みんながあの子を見て驚く様子に、何だか無性に誇らしい気分になったりもした。「どう、賢いでしょ?」って。
「ペットだって家族の一員なんだから、やっぱり同じ家で暮らすべきだよね」だなんて、あの時の私は、まだそんなふうに考えていて。
おばあちゃんとあの子の会話も碌に理解せず、あの子の事を、全然よく見ようとしていなかった。
人としての生き方を覚え、ますます人らしくなっていくあの子を眺めながら、「賢いなー」とか「かわいいなー」とか、上辺しか見えていない、薄っぺらい事を口にするだけの毎日。
お父さんがいて、お母さんがいて、おばあちゃんがいて。大好きなペットがいて、エトナさんがよく遊びに来る。そんな楽しい毎日がずっと続けばいいのに、なんて、私は何も考えずにそんな事を考えていた。
馬鹿な私がようやく気付いたのは、おばあちゃんが死んだとき。
その事を認めたくなかった私は、部屋の閉じこもって、現実から目を背けていた。
おばあちゃんはそんな事、きっと望んでいないはずなのに。
その時の、普段に輪をかけて馬鹿になっていた私は。
あの子が部屋に入ってきたとき、あの子に対してとても失礼な事を考えてしまった。
――こんなときでもやっぱり、体液がほしいんだな。
今でもあの瞬間の事を思い出すと、自分で自分を思いっきりぶん殴ってやりたくなる。
結局のところ、ここに至ってまだ私は、あの子を『ただの魔物』としてしか見てなかったんだ。
でもあの子は、そんな私の目を覚まさせてくれた。
子供のように駄々をこねる私を、抱きしめて。
ひどい事を言ってしまった私を、決して突き放すことなく。
言葉少なに、厳しく。けれど私のためを思って、声をかけてくれた。
そこまでしてもらってようやく私は、おばあちゃんの死を、悲しい出来事として受け入れる事ができた。
この日。
あの子に目を覚まさせてもらって、あの子がおばちゃんの死をどう思っているのかを知って。
お父さんもお母さんも、エトナさんも、おばあちゃんもとっくに分かっていた事に、私はやっと気が付けた。
死を悲しみ、人を慈しむあの子は――彼女は。
まぎれもなく、1人の『人』なんだってことに。
それから私は、彼女の胸の中でわんわん泣いた。
2人でおばあちゃんのところに行って、そこでもまた、馬鹿みたいに大泣きしてしまった。
彼女も、たった1年程度しか一緒にいなかったおばあちゃんの事を想って、一緒に悲しんでくれたのが……なんというか、変な言い方だけれど、嬉しかった。
彼女はその日、私の汗も涙も、一滴たりとも口にすることはなかった。
この出来事で、私は2つの事を決心した。
目をそらさずにこの世界を、現実を見据えていきたいって。
今度こそ、ちゃんと『人』として、対等の存在として、彼女と向き合おうって。
おばあちゃんが死んで、私が自棄になったんじゃないかって心配する両親とエトナと、たくさん話をして。
私が、まぎれもなく自分の意思でそうしたいんだって、分かってもらって。
一緒に行く事を、彼女に伝え忘れていたと気付いた時には、ちょっと焦ったけど。
私の事を心配してくれる彼女を何とか説き伏せて。
そして、私は今日、生まれ育った村を出る。
ちゃんと目を見開いて、この世界を見るために。
正面からしっかりと見据えて、彼女と向き合うために。
どこまで行けるのだろう。どこにたどり着くのだろう。
怖い? 不安? 楽しみ?
…いや、よそう。
彼女の言葉を借りるなら「その時に考えればいい」んだ。
期待も。不安も。全部、全部――
――彼女と、一緒に。




