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テンタクル・プリンセス-或いは、特異触手個体のこと  作者: にゃー
第三章<集落編>

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第二十一話 彼女の慟哭

 リガルドの町から戻って、何時間か。

 どれくらい時間が経ったのか、自分でもよく分からない。





 

 レゾナが死んだ。


 あの、レゾナが。






 家に帰って、お母様達からその言葉を聞いた時、最初は信じられなかった。



 何かの間違い。


 いや、たちの悪い冗談だ。



 今にも本人が出てきて、意地の悪い笑みを浮かべながら、


「こんな嘘を真に受けるだなんて、お前さんはよっぽどわたしを鬱陶しく思ってたんだねぇ」


 なんて、言ってくるに違いない。私は騙されない。


 

 そんなふうに思いながら、レゾナの部屋に駆け込んで。

 そこに横たわっていた、もう口を開くことのない彼女の姿を見て。



 お父様とお母様の顔を見た時から、本当は分かっていた、レゾナの死を目の当たりにして。




 私は。



 私は― 











 レゾナの死因は、老衰。


 エルフの寿命は通常、150年前後だとされている。

 それに対して、レゾナはもう180年以上も生きており、まさに、元気で衰えを知らないかのような、そんな女性だった。



 でもそれは、見かけだけ。

 本当は彼女の体は、もうとっくに弱り切っていた。だいぶ前から、いつ限界を迎えてもおかしくなかった自分の身体を、レゾナは長年の知識や薬草、魔法等、使えるものは何でも使って、騙し騙し動かし、何とか生き長らえていたのだ。




 セレナが成人するまでは、と。


 その後は、私が一人前になるまでは、と。




 お父様とお母様から聞いて始めて、その事を知った。

 2人は前々からそれを知っていて、だからこそ今回、私に町へ行くように勧めたのだと言っていた。


 レゾナの体が、魔法や薬なんかではもうどうしようもないほど弱っていて、先が長くないことを知っていたから。

 せめて最後に、立派な大人になったセレナと、一人前になった私の姿を見せてあげようとして。 



 結局、2人が思っていた以上に彼女の体は衰弱していたために…というより、レゾナ自身がその事をひた隠しにしていたがために、私達が返ってくる少し前に、彼女は息を引き取ったのだそうだ。




 それを聞いたエトナは、自分だって悲しいだろうに、それをおくびにも出さず、私とセレナがレゾナの死に目に会えなかった事を自分のせいだと悔いていたけれど…


 そんな事ないよ。

 レゾナが弱っていた事は、エトナにも知らされていなかったんだから。

 それに、私が町へ行くことは、レゾナ自身が望んでいた事だった。だから少なくとも、私が彼女の最後に立ち会えなかった事については、エトナには何の責任もないよ。


 なんて、ちょっとは落ち着いた今だからこそ、言える言葉、かな。




 





 レゾナの死を突きつけられてしばらくは、私は彼女の遺体のそばで何もせずに、ただぼーっと座り込んでいただけだった。




 レゾナ。

 

 初めて会ったのは、1年以上も前。

 まだ、見た目が人族っぽくなっただけで、とても『人』とは呼べなかった私の話を聞き、受け入れてくれて。



 それから、この世界の事を何も知らなかった私に、色々な事を教えてくれた。

 

 大陸の事。人の事。精霊の事。魔法や、文化、旅人として生き残るための知恵まで。




 楽しかった。

 彼女の話してくれる事はどれも、私にとってわくわくするような、知らない事ばかりで。


「お前さんは、何を話しても楽しそうに聞くもんだから、こっちとしても中々喋りがいがあるねぇ」


 なんて、言ってくれたっけ。



 時々新しい本を仕入れては、私に見せてくれたりもした。

 

 私みたいな普通ではない奴にも、家族と接する時と同じように接してくれた。






 1年ちょっとしか一緒にいなかった私が。

 同じ生物ですらない私が、こんなふうに思うのは、おこがましい事、だろうか。




…いや。

 そんな事、ないよね。


 きっと彼女なら、「長生きしてりゃ、1年も10年もそう変わらなく思えてくるもんさ」とか、「種族の違いなんて、性別の違いくらい些細なもんだろうに」なんて。

 いつもみたいに鼻を鳴らしながら。そう、言ってくれるよね。

 




 先生で、友人で、おばあちゃん。






 私にとって彼女は、そんな存在だったんだ。











「これ、お母さんから、あなたに渡すようにって」



 レゾナの部屋で、魔法によって、一時的に腐敗を止められている彼女の隣に座り込み。

 この1年の間の、彼女との思い出にどっぷりと浸かっていた私を現実へ引き戻したのは、お母様から渡された小さな小包だった。



「あなた以外は、中は絶対見るなとも言われていたから、何なのかはわからないけれど」



 受け取っても、いいのだろうか。

 いくら私が、レゾナの事を家族のように思っていたとしても。彼女の遺品を受け取る権利は、やはり本当の家族にこそあるはずだ。



「お母さんだって、あなたの事を家族だって思ってた。もちろん、私達もそう思ってるわ。だから、これはあなたが受け取るべきよ」



 逡巡する私に、微笑みながらそれを手渡してくるお母様。



「見ちゃいけないらしいから、私は下に戻るわね。…気持ちの整理がついたら、いつでも降りていらっしゃい」



 そう言いながら彼女が部屋を出た後も、少しの間悩んでから。

 

 でもやっぱり、レゾナが私に、と残してくれた物を私が受け取らないのは、それこそ良くない事だと思い直し。

 

 その小包を、開ける事にした。








 それは、1冊の本。


 いつか彼女が見せてくれた、お爺様の形見。

 

 触手と人の関係を綴った本。





…ずるいよ、こんなの。


 この本がどういう(・・・・)ものなのかくらい、今の私にはもう分かっている。


 まかり間違っても、こんな時に渡すものじゃないって事くらい、もう、分かっている。

 



 それを、こんな。こんなの――




「……ふふっ……」




――こんなの、笑っちゃうしか、ないじゃん。





 レゾナの、最後の悪戯心。

 笑わなきゃ、彼女の教え子じゃ、ないでしょう?









 それから、もう少しだけ、レゾナのそばにいて。

 町へ行った時の事を、物言わぬ彼女に話してから。


 私は、お父様とお母様が待つ、1階へと降りて行った。







「ミーニャ…もう、大丈夫なの?」


 私が下りてきたのに気付いて、お父様とお母様が駆け寄ってくる。


「…もう、平気…」


「そうかい?…無理して…は、いないようだね。うん、良かった」


 安堵の息を漏らしたお父様が、私が抱えている本に目を向ける。


「その本は…っと、それがお義母さんがミーニャに残したものかい?だったら、詮索は無用だね」


 頷く私。

 流石に、この場で見せられるものではない。


「とにかく、少し休むといいわ」


 お母様に促されるまま、椅子に座り、一息つく私。

 そういえば、家に戻ってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。


「…今、何時…?……帰ってきてから…どのくらい、経った…?」


 窓から日の光が入っているという事は、少なくとももう朝…となると一晩中、レゾナの部屋に籠っていたという事になる。


「貴女達が村に戻ってから、もう2日後のお昼よ」



…2日後?

 という事は、つまり。



「ミーニャは、丸1日以上部屋に籠っていた、という事になるね」



 それは、何というか。



「…ごめん、なさい…」 



 まさかそんなに時間が経っていたとは。2人には心配をかけてしまった。


「いいのよ。あなた達にとっては、随分と急な事だったでしょうし……お母さんの事、想ってくれて、ありがとう」


 お礼を言うのはこっちの方だと思うのだけれど……レゾナには、返しきれないほどの恩がある。

 もちろん、お母様にお父様、セレナにも。


…その、セレナの事なんだけれど。



「…セレナは、どうしてる…?」


 ここにいない彼女を心配しての、私の言葉に、2人の表情が曇る。


「セレナも、ミーニャと同じように、部屋に籠ってしまったんだが…」


 彼女もまた、飲まず食わずで1日以上過ごしているという訳か。

 触手の私は、1日2日食事をしなかった程度では特に問題はないが、人族であるセレナの体にとってそれは、結構な負担になってしまうはずだ。


…でも、それも当然か。セレナにとってレゾナは、生まれた時からそばにいた、血の繋がった家族。

 きっとその死に、私なんかより、よっぽど深い悲しみを抱いているのだろう。


「…そうであれば、まだ良かったのかもしれないけど…」


 しかしお母様は、複雑な表情をしながら言葉を続ける。



「…あの子は、お母さんの死を、受け入れられていないみたいなの」 



 死を受け入れられていない、とはどういう事だろうか。



「あの子は、お義母さんがいない現実に耐えられないんだろう。お義母さんの死を、見ないふりをしているんだ」



 それは。あまり、良くないのではないか。



「…今はまだ、心の中では分かっている。お義母さんはもう帰ってこない事を。でも、このまま目を背け続ければ、やがては現実が見えなくなって、心に歪みが生じてしまうかも知れない」


 それは、いけない。

 レゾナの死で、セレナまで駄目になってしまうなんて。そんなのは誰も、レゾナも、望んでいない。





 私は弾かれた様に立ち上がると、2階の、セレナの部屋へと向かっていく。



「ミーニャ!?」


「待って、今は…!」



 お父様とお母様の声を尻目に階段を駆け上がり、セレナの部屋のドアをノックする。


「…セレナ…?」


 返事はない。


「……セレナ……セレナ…!」


 もう一度呼びかけるも、やはり返事はない。 



 カギは閉まっている…が、こんなもの、私には指1本で開けられる。



 がちゃり。




 鍵穴に指を突っ込み、形質変化で容易く開錠した私は、そのまま部屋の中に入り込み。





「…ミーニャ?……どうしたのー?」





 目の下に大きな隅を作り、虚ろな笑みを浮かべながらベットの上に蹲るセレナと、目が合った。





…ひどい目だ。いつもの、澄んだ瞳とはかけ離れた、何も映さない真っ暗なそれ。

 私の石ころの瞳の方が、まだ幾分かましだろう。



 これが、『現実が見えなくなる』という事か。

 こんなセレナ、見ていられない。





 私は無言で彼女に近づき、だらりと垂れ下がった腕を掴んだ。






「…あれ?もう食事の時間?でもごめん、今そんな気分じゃ…」


 そのまま彼女を引っ張り、部屋の外に向かう。


「ミーニャ?…どうしたの…ちょっと、痛いよ…?」


「…レゾナの部屋に、行く…」


 私が、その言葉を口にした瞬間。




「…やだ…」




 セレナが、初めて私を拒絶した。




「…行かない。私は行かない…」


「…どうして…?」


「だって、行く意味ないもん…」


 私の手を振り払ったセレナが、うわごとのように呟きながら後ずさりする。



「…意味は、ある…レゾナに、最後の言葉を…」




「最後なんかじゃない!!!」




 呟きが、絶叫に。




「おばあちゃんは生きてる!!最後なんかじゃない!!!」



 分かってるくせに。

 本当に生きている人を指して、わざわざ「生きてる」なんていうもんか。


 レゾナはもういないんだって事を、彼女も分かっている。

 分かっているのに、見ないふりをしている。



「…生きてるなら、部屋に行っても、問題ない…」


「だめ、だめだよ…!勝手に部屋に入っちゃ…!」


「…許可なら…本人から、貰ってある…」


「そんなはずないっ!!」


「…?……どうして……?」


「…っ!!……それはっ……!!」




 自分でも気が付いているんでしょ?

 言ってる事が、めちゃくちゃだよ。




 ベットの上に倒れ込み、なおも私から離れようと後ずさるセレナに、一歩一歩近づいていく。



「…本当は分かってる、はず…レゾナはもう…死んだ…」



 眼前に、事実を突きつける。



「死んでない!!…なんで…!どうして、そんな事言うの!?」



 半狂乱になったセレナが、金色の髪を振り乱しながら叫ぶ様子に、いつかのお母様の姿が重なる。

 こういうところ、本当に親子だなぁ。



「……き、嫌い!!おばあちゃんが死んだなんて言うミーニャなんか、大っ嫌い!!近寄らないでよぉっ!!!」




 嫌いって、初めて言われたかも。ちょっと…いや、結構ショック。



 でも。

 セレナが、レゾナから目を背けてしまうのは。

 セレナの心が、歪んでしまうのは。


 二人の友として。家族として。

 絶対に、止めなければならない事だ。




 そのためなら。

 嫌われるくらい、なんて事はない。





 

「…セレナっ…!」



 ベッドの端で、壁に背を着けながら小さく震えるセレナを、思いっきり引き寄せる。

 勢い余って、2人してベッドに倒れ込んでしまったが……逃げようとするセレナを抑え込む事に成功した。



「やだっ……!離してっ!離してよっ!!」


 なおも抵抗する彼女に、その『言葉』を投げかける。





「…セレナ、思い出して…!『目を塞いで、見て見ぬふりをするなんて』レゾナは望んでない……!」





「っ!!」



 それは、私がセレナに連れられて、初めてこの家を訪れた時。 


 錯乱するお母様に、レゾナが放った言葉。




――目を塞いで、見て見ぬふりをするなんて、勿体ないとは思わないかい?




 恐れは現実を、先を見る目を塞いでしまう。

 今セレナが、レゾナの死を恐れ、拒絶し、目を塞いでしまったら、彼女の現実はここで止まってしまうだろう。

 レゾナはそんなこと、望んでいない。




「……って………だって……!」



 今は亡きレゾナの、その言葉によって。


 見開かれた、セレナの目の端から。



「……おばあちゃんが死んだって、認めたら……!」



 ようやく。



「…もうっ、会えなくっ…なっちゃうんだもん……!!」



 涙が、零れる。



「…っ…うぅ…っ…!…うあぁぁぁぁっ…!!……っ!…っ!」 





 目を覆う暗闇を、透明な雫に流されて。

 

 瞳に色が、目に光が、戻っていく。


 そこにあるのは、悲しみの色と、涙の光だけれど。


 それでも。





「…おばあちゃんっ…!……おばあちゃっ……っ…!!」





――ああ、良かった。もう、大丈夫だ。











 丸1日以上飲まず食わず、寝ずでいたために、当然ながら衰弱しふらつくセレナの手を取り、レゾナの部屋まで行って。



 彼女は、そこでまたひとしきり泣き明かし。


 まだ、悲しみを隠せてはいないけれど。



 日が沈んだ頃には、いつもと同じ、生き生きとしたセレナが、戻って来ていた。




 



「…セレナ…!…大丈夫…じゃ、ないわよね…こんなにやつれて……」



 私と共に1階に降りてきたセレナを見て、お母様達が駆け寄ってくる。


 む、この光景、さっきもみたような。


「こういう時に何もできない親で、済まない…」


 お父様、そんなに気を落とさないで。


「ううん…そんな事ないよ。おばあちゃんを、待たせてくれてたんでしょ?私の方こそ、遅くなってごめんね…」



 レゾナの体にかかっている『保存』の魔法は、数時間程度しか効果がない。お父様とお母様はこの2日間、交互にそれをかけ続けていてくれたのだ。

 私とセレナが、レゾナと、最後の話ができるように。



「いいんだ……ちゃんと、受け入れる事ができたんだね?」


「うん……待っててくれたお父さんとお母さんと、それから、ミーニャのおかげで」



 まだ涙の余韻が残っているのか、ほんの少しだけ赤らんだ顔を、こちらに向けてくるセレナ。



「ミーニャ、本当にありがとう。あなたのおかげで、セレナは救われたわ…」


 救われたなんて大げさ……でも、ないか。


「…ん…気にすることはない…」


 当然です、家族ですから。


「僕からも、感謝を。ミーニャの『父親』であることを、誇りに思うよ」


「私も…って、まだお礼言ってなかったね。……ミーニャ。本当に、ありがとう」



…なんか、ちょっと照れるのだけど。



「…だけど…1つだけ…大きな代償を、支払った…」


 それはそれとして、忘れてはいない。



「だ、代償!?なに、ミーニャどうしたの!?」






「…セレナに、『ミーニャなんて大っ嫌いだ』と言われた…」






 私は執念深い触手なのだ。





「あ、いや、あれは、その…ね?全然本気じゃなかったていうか、あの時はどうかしてたっていうか…ね?」


「…『近寄るな』とも、言われた…」


「ごめん!ほんとごめん!ごめんなさい!!」


「…心が…折れそう…」


「あらあらミーニャ、かわいそうに…いらっしゃい、お母様が慰めてあげるわ」


「…お母様ー…」


「あれぇ聞いてない!?」


「セレナ、家族に向かって軽々しく大嫌いだなんて言うのは、あまり感心しないね…」


「いやお父さん、分かってて言ってるでしょ!?」


「んー…何がだい?」


「何がって…なんだろうね!私もよく分からない!!」


「セレナ、あなた疲れてるのよ…お風呂に入って、ご飯を食べて、今日はゆっくり寝なさい」


「確かに疲れてるけど…そういう事じゃなくて…」


「…セレナ…ちょっと汗臭い…」


「匂い分からないくせに!!」


「…雰囲気で…」


「雰囲気!?今日のミーニャなんか鋭いよ、言葉が刺さるよ…!」




 言葉が刺さる?当然だ。




 だって私は。

 あの元気な皮肉屋、レゾナ・エルヴィンの。



 教え子にして、友人にして、孫……ミーニャ・エルヴィンなんだから。

 






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