第十五話 老婆の講義
朝。
机の上に置いてある『時計』と呼ばれる時間を示す道具を眺め、起床する時間であることを確認した私は、隣まだ寝ているセレナを揺さぶり、起こしにかかる。
ゆさゆさ。
「………ん………」
ゆさゆさ、ゆさゆさ。
「…んぁ……もうちょい……もうちょ……」
ゆさゆさゆさゆさゆさゆさゆさ!!!!
「んああああああああああっ?」
めいっぱい体を揺らした事でようやく目を開いたセレナに、魔法板を突きつける。
『8時には起きるようにとお母様から言われている』
今は8時前、そろそろ目を覚まし、1階に降りた方がいいだろう。
「んぇー…いいじゃん少しくらいー…」
いまだ眠そうに目をこするセレナが文句を垂れるが、生憎とこちらは居候の身。家人の言葉は絶対なのだ。
『セレナを確実に起こすようにとも言われた』
この家で暮らし始めて1週間ほど。
一緒に寝るようになってから分かったのだが、セレナはどうも朝起きるのが苦手らしい。
ちなみに、一緒に寝ようと提案してきたのはセレナの方だ。私としては、寝ている時に汗を貰えるのでむしろありがたい話。
お母様も、ここ数日ですっかり優しくなり、今では「セレナの事、起こしてやってくれないかしら?あの子ったら、何度言っても起きないのよ…」なんて、私にお願いしてくるほどである。
「うぅー……ミーニャはお母さんの味方なの?そんなんだったら、私もう汗あげないよ…?」
露骨に脅迫してきた。だが残念。
『寝ている間に既に貰っている』
「うあー!勝手に貰うの禁止ー!」
『今に始まったことではない』
「ぐぬぬ、開き直りおってぇ……!」
そう、私がセレナから汗を貰うのは、この家では最早周知の事となっている。
当初、「そう言えばミーニャって、ご飯はどうする?今までどうしてたの?」と聞かれたときは正直ちょっと焦った。
正直に話すかどうか悩んだのだが……ここまで良くしてくれている人達に嘘をつくのは、果たして『人』としてどうなのだろうかと思い、今まで密かにセレナの汗を頂いていたことを包み隠さず打ち明けた。
危害を加える意図はなく、自然に出てきた汗のみを貰っていた事、セレナの体に害は無い事、セレナの汗が如何に美味であるかという事を真摯に伝えたところ、私の意思が伝わったのか、セレナ以外のみんなは最後の方には複雑な表情をしながらも、これまで無断で貰っていた事を許してくれた(セレナは最初から特に気にしていなかった)。
それどころか、
「セレナもミーニャも女性同士よね…?」
というセレナの母の問いに
『性別など些細な問題だと、セレナ(の汗)が教えてくれた』
と答えると…
「そう、うちの子が……なら、いいわ。これからも、今まで通り危険のない範囲でなら、セレナの汗を摂取することを許可します」
なんと、これからも汗を貰ってもいいとのお許しが出た。
これは嬉しい誤算だ。正直、「やっぱり退治しよう」などと言われるのも覚悟していたのだが。
ありがとうセレナの母。これからはお母様と呼ばせていただきます。
そんなこんなで私の食生活は、今までの水準を保たれることとなったのである。
やっぱり正直が一番だね。うん。
こうして、セレナの家族達から分からないことを教わりながら、ある時は一緒に作業などをし、私は人族の生活様式を着実に学んでいったのだが。
その一方で、セレナの祖母レゾナから、人族の文化や魔法の知識など、いわゆる『常識』というようなものも、少しずつ学んでいくこととなった。
「世界には3つの大陸があるってのは知ってるかい?」
レゾナの部屋。
たくさんの本棚と、それに隙間なく収められた無数の本たちに囲まれて、私は今、彼女からこの世界についての基本的なことを教わっていた。
「『人大陸』、『精霊大陸』、『魔大陸』の3つさ」
彼女の言葉に頷きで応える。
「人大陸ってのはここ、わたしらが住んでるこの大陸の事さ。エルフだの人間だの獣人だの…まぁいわゆる『人族』と、精霊大陸から移り住んできた『精霊族』なんかが暮らしてる」
私の生まれた場所。すべての始まり。
…いやまだ何にもしてないけれどね、私。
「精霊大陸ってのは、太古の時から精霊族のやつらが住んでる大陸……といってもまあ、大昔に『契約魔法』が作られてからは、こっちから移り住んだ人族なんかも結構いて、今じゃ人大陸とそう変わらない様子になってるらしいけどねぇ。ああ、魔法については後でおいおい教えてやるよ。アレコレ一度に言われてもわからんだろうしね」
その通り、私はそんなに要領がいい方ではない。
『精霊族というのは?』
ので、とりあえず一番気になったことだけを聞いておく。
精霊については、以前セレナから説明を受けているのだが、いまいちよく分からなかった。人族とは比べ物にならない量の魔力を持った存在、という事はなんとなく理解できたのだが…
「精霊は…何といったらいいか……膨大な魔力の塊が、意思を持った存在…てところかねぇ」
魔物も同様に、体は魔力で出来ている。その上で意思を持った存在。
それは。
『それはつまり、私のような?』
「かっかっかっ!お前さん程度の魔力量じゃあ『膨大』には程遠いねぇ!」
私の考えを一蹴したレゾナは、「それに」と言葉を続ける。
「精霊ってのはねぇ、人族と契約しない限り実体がないんだよ。魔力量と実体の有無、その辺がお前さんとあいつらの違いさ。ついでに言うと、それらに加えて自我の有無が精霊と魔物の違い……ってことになるねぇ」
つまり。
魔力量が多く、実体がなく、自我があるのが精霊。
魔力量が少なく、実体があり、自我がないのが魔物。
という事か。
『なぜ、精霊には実体がない?魔力量が多く、自我も持っているのなら、体を作り出すことも容易なのでは?』
なにせ下等な魔物ですら、魔力によって作られた体があるのだ。全てのスペックでそれを上回っている精霊が体を作れないとは考えにくい。
「それに関しては色んな意見があるんだが…今は『生命としての制約』だって考え方が主流だねぇ」
制約、とは。
「例えば、わたしら人は、実体があり高い知能と自我を持つが、精霊や魔物と比べると魔力量は少ない。魔物はどうだい?魔物は体を持ってるし、魔力の量も私ら人よりは多いが、その代わり知能が低く自我を持たない」
お前さんみたいな例外もいるがね、と言葉を付け加えるレゾナ。
例外云々は置いておいて、今の台詞で、彼女の言いたいことが分かってきた。
つまり、
『精霊は、膨大な魔力量と自我を持つ代わりに、実体がない』
「そういうことさ!よく分かってるじゃないか。さっき言った契約魔法ってのは、人族が精霊から魔力を貰う代わりに、あいつらに実体を与える魔法でね。この魔法が作られて以降、人族と精霊族は友好関係にあるわけさね」
なるほど、だから人大陸には精霊族が、精霊大陸には人族が流入していったというわけか。
『面白い』
「くくくっ、そうかい?まあこれくらいは知っておかないと、この大陸を旅するのは不便だからねぇ、色々と」
『肝に銘じておく』
「おや、お前さんに肝があったとは驚きだよ。…次は魔大陸とそこに住んでる『魔人』ってやつらについてなんだが……」
日々の講義(レゾナがそう言っていた。「物を教え、教わる事」らしい)の中でレゾナは私に、ある時はこういった、人族だったら当たり前に知っているような知識を教えてくれる事もあれば、またある時は、魔物が人の生活圏に入っていくときの注意事項を考えてくれることもあった。
「触手種ってのはねぇ、他の魔物や魔獣とは少し、怖がられ方が違うんだよ」
『違う、とは』
「そうさねぇ、何といったらいいか…まあ、説明するより見せた方が早いかねぇ」
そう言うとレゾナは、本棚から一冊の本を取り出す。
「これはうちの旦那が、生涯その存在を隠し続けた本でね。わたしもこれを見つけたのは旦那がくたばってから、遺品を整理していた時さ」
それは今まで見てきた本と比べるとやや小さく、少し薄めの本。
今の彼女の言葉を聞く限り、何やら只ならぬ本のようだけれど。
『そのようなものを、私が読んでもいいのだろうか』
若干尻込みしながらそう聞くとレゾナは、何やら楽しそうににやにや笑いながら、
「本ってのは読まれてなんぼだからねぇ。お前さんに読んでもらった方が、旦那も喜ぶってなもんさ。くくっ」
などと言い、私にその本を放り投げてくる。
旦那さんが大事にしていたというのなら、もっと丁重に扱った方がいいのではないだろうか。
と思ったが、本人がいいのならまぁ、いいんだろう。
「いいから読んでみな。賢いお前さんなら、読めばなぜ、触手種が恐れられているかが分かるだろうよ。くくくっ…!」
…なんだか妙に楽しそうだ。そんなに面白い本なのだろうか。
レゾナが強く推すその本に少し興味が湧き、表題に目を通してみる。
『堕ちた精霊教女騎士〜触手奏でる快楽地獄〜』
精霊教というのは確か、人大陸の西半分で広く信仰されている、精霊族を信奉する宗教だったはず。この本に触手種が恐怖される理由が記されているというのなら、それは過去に、触手種が精霊教に何らかの危害等を加えた…という事になる。
精霊教は規模の大きい宗教だというから、今日までそれに恐れられるだなんて、もしやご先祖様達は相当にあくどい事をやってのけたのではないだろうか。
これは、心して読まねばならないかもしれない。
それに、副題の『快楽地獄』という言葉も気になる。
快楽と地獄、相反する意味を持つはずの2つの単語が並んでいるというのは、一体どういう事なのだろうか。何か隠された意味があるとか?
なるほど、これは確かに興味深い……
題名に引き寄せられるようにして本を開き始めた私がそれを読み終えるまで、レゾナはまるで、面白くて堪らないとでもいうような顔をしながら、殆ど表情の変わることがない私の顔を、飽きもせずにずっと眺め続けていた。
…………
………
……
…
『概ね理解した』
しばらく時間をかけて本を読み終わった私は、読了の意思を告げながらレゾナにそれを返す。
「くくくっ。分かったかい?なんで触手種が人に恐れられているのか」
楽しそうな彼女の問いに頷く。
この本を読む限り、やはり私の先祖は人族に対して、彼らが忌み嫌うに足る非道な行いをしてしまったようだ。
読み、得た知識を、確認のために吐き出していく。
『人族は、繁殖行為に際して肉体的な快感を覚え、同時にその時にしか分泌されない特殊な体液を発生させる』
「ああ、それで?」
軽く頷き、答え合わせをするように私に言葉の続きを促すレゾナ。
『その特殊な体液は、触手種にとって非常に栄養価の高い食物となる』
「そう、そうだ。それから?」
『しかし多くの人族は、繁殖行為にあたり強い快感を覚えることに、殊更それが人以外の他種族から与えられることに、強い羞恥と屈辱を覚える傾向がある』
「まあそうだねぇ。という事は、つまり?」
つまり。
『無理やりその体液を摂取しようとすると、「くっ……!殺せ!!」などと言われ、相手と決定的に対立する事となってしまう可能性が高い』
「あっはっはっ!!ああそうだよ、その通りさね!!だがどうだい、最後の方じゃ、その女騎士とやらだって喜んでいたろう?」
『多大な羞恥と屈辱、過度の快感によって精神に異常をきたしてしまったように見受けられた。本人が真に望むところではない、と判断できる』
行き過ぎた快楽による精神の破壊……まさに『快楽地獄』と呼べるものだろう。
なんとも恐ろしい話だ。
「ああ、違いない!くくっ…くくくっ……!!そんだけ理解できりゃ読ませた甲斐もあったってもんさ。うちの旦那も今頃泣いて喜んでるだろうよ…!ひーっひっひ!!」
腹を抱えながら大笑いするレゾナ。
こんなに嬉しそうなんだし、きっと旦那さんの事が大好きなんだろうなぁ。
その後もしばらく笑い転げていたレゾナは、今だに口の端をぷるぷるさせながらこう締めくくる。
「まあとにかく、旅に出てからも人族から体液を貰うつもりなら、今まで通り汗を、それもなるべくなら気付かれないように、そっといただく程度に留めておいたほうがいいだろうねぇ。この本には結末は書かれちゃいないが、同意を得ずにここまでやっちまったらもう触手だとばれて……いやばれなくとも、ひどい目にあっちまうだろうよ」
私に顔を近づけ、にやりと笑いながら一言。
「ま、どうしても味見してみたけりゃ、頑張って相手の同意を取り付ける事さね。くっくっく…!」
触手だとばれないためには、出過ぎた真似はするべきではない、と。その言葉に深く頷く私。
大変、勉強になりました。
とまぁこんな感じで、毎日のように行われる彼女との講義は私にとって、必要な事や知りたかった事を知ることができる、とても有意義なものとなっている。
いやぁ、今日も1日、充実した日だったな。うん。




